拾壱席目 【殿方専用新作落語】 ぬ……抜けねぇ…… (R指定なし)

文字数 4,204文字


 こちらは殿方専用落語となっております、いえ、別に助平な内容だと言うわけじゃありませんが……男にとっちゃぁ可笑しいと思いますけれども、女性にとっては可笑しいかどうか……それに『男って本当に馬鹿なんだから』とか言われ、そっぼを向かれてオシマイのような気がしますんで……。


 冬の寒い明け方のことでございます、男やもめの大工の熊さん、ふと目を醒ましたのでございます。
「うう……小便がしてぇ……でもなぁ、外は寒いだろうなぁ、布団から出たくねぇなぁ……でも外に出ねぇことにゃ厠までたどり着けねぇもんなぁ……いけねぇ、ぼちぼち切羽詰まって来たぜ、仕方ねぇ、ここは思い切って布団から……いや、出れねぇ、俺ぁ布団から出るわけにゃいかねぇ、いっぺん出ちまったが最後、体も布団も冷えちまって元通りあったまるころにゃ起きなきゃならねぇよ、なんとかならねぇもんかな…………待てよ、夕べ俺が飲んだのは酒だけだよな、茶なんぞ飲んでねぇよ……ってことはだよ、飲んだより多く出るわきゃねぇよな……な、理屈から言ってそう言うことだよな、だとしたらだよ、酒がへぇってたあの徳利、あれに小便も全部へぇるわけだよな……いや、待て待て、小便を入れた徳利にまた酒を入れるか? そんな徳利に入れた酒が飲めるか?……でもよ、ちゃんと洗ゃぁ良いんだよな、どうせ俺しか使わねぇんだしよ……あれを洗う面倒とこの寒いのに厠へ行く面倒、どう考ぇたって厠に行くほうが面倒だよな…………な……そうしよう……こぼさねぇようにしっかりと中まで突っ込んで……と…………(中略)…………ふぅ、小便なんか我慢してるもんじゃないね、体から力が抜けてくようだぜ……ぶるるっ……小便するとそうしてこう震えがくるかね……あったけぇからだろうな、あったけぇのが出て行った分体は寒くなるんだろうな……でもよ、布団から這い出して厠まで行くことを考げぇればこのくらいのこたぁ我慢しなくちゃなるめぇよ……ふう、すっきりした、さてと、もう一度寝直し…………お?……こいつぁどういうこった?……ぴったりはまっちまって……もういっぺん引っ張ってみよう……お、おお?……こいつぁ拙いんじゃねぇか?……もうちょい力を入れて……いてて……痛いねどうも……だがよ、このままってわけにゃ行かねぇよ、徳利ぶら下げたままで仕事にゃ行けねぇよ、邪魔でしょうがねえや、いやいや、邪魔だとかなんとか言う前にみっともなくて外に出られやしねぇ……でもよ、入ったんだから抜けねぇなんてことはねぇはず……うおぉ、痛ぇ……参ったねこりゃ……」

 熊さん、徳利と格闘しているうちにすっかり朝になってしまいます。
 
「おう! 熊! 仕事に…………お前ぇ、なにやってんだ?」
「いや、ちょいとな」
「ちょいとってお前ぇ……ここんとこ雨が続いたんで懐が寂しいのは俺も一緒だよ、しばらく吉原にも行ってねぇや、だけどお前ぇ、いくらなんでも徳利に突っ込もうなんぞ情けねぇじゃねぇか、せめて蒟蒻を人肌にあっためてだな……」
「馬鹿っ、そんなんじゃねぇよ」
「だったらなんだ?」
「実はよ……この明け方のこった」
「おう」
「小便がしたくて目が覚めちまったのよ、だけどよ、厠まで行って帰って来た頃にゃ体も布団も冷たくなってるじゃねぇか」
「ああ、俺もそう言うことがたまにあるぜ、ありゃ情けねぇもんだよな……あ、そうか、お前ぇ、そん中にしちまったのか?」
「面目ねぇ……」
「おかしなことをするね、どうも……まあ、そんなこたぁどうでもいいや、さっさと引っこ抜いて仕事に行こうじゃねぇか」
「それがよ……抜けねぇんだ」
「ああ?」
「だからよ……抜けねぇんだ……」
「へぇったんだから抜けねぇってことが……待てよ、絶対にねぇとも言えねぇな」
「そ、そうなのか?」
「形を考げぇて見なぁ、先っぽは丸くなってらあ」
「ああ」
「そんでカリが張ってるよな」
「あ……」
「そこでつっけぇてるんじゃねぇのか?」
「確かにそんな感じがすらぁ」
「俺にも覚えがあるけどよ、朝小便がしたくて目が覚めちまった時なんざ……勃ってるわな」
「あ、ああ……」
「朝勃ちってやつだ……朝勃ちしてたのにその徳利にへぇったのか? そりゃちっとばかし情けなかぁねぇか?」
「余計なお世話だい」
「いや、悪りぃ……でもよ、朝勃ちってやつぁ、出しちまえば萎まねぇか?」
「それがよ……中で締め付けれちまっててよ……」
 そこへ通りがかりましたのは、この長屋の大家さんでございます。
「朝っぱらから騒がしいねぇ、何事だい?」
「あ、大家さん」
「……おい、熊さん……何やってるんだい?」
「それが……抜けねぇんで……」
「どうしてそんなものに突っ込んだんだい?」
「面目ねぇ……厠に行くのが面倒でついこの中に」
「……馬鹿なことしたもんだねぇ……だけど入ったんだから抜けるだろう?」
「それが……引っかかっちまって……」
「ふむふむ……なるほど……」
「何が『なるほど』なんですかい?」
「中のものが冷えると鍋の蓋が開きにくいことってあるだろう?」
「確かに、そんな時は横へずらすと開きますね」
「湯気ってものは熱いうちは膨らんで、冷めると縮まるからなんだよ、蓋がぴったり閉じてると蓋の上より下の方が空気が薄くなるんだな、薄くなった空気が蓋を引っ張って開けにくくしてるんだよ、横にずらすと薄い空気と濃い空気が混ざり合って引っ張る力がなくなるから簡単に開く、そういうわけなんだ」
「それと熊のこれにどういう係わりが?……あ、そうか、小便てやつはあったけぇんで、それが冷えたんで中から引っ張ってるってわけですね?」
「ご名答、徳利の首に熊さんのがぴったり蓋をしちまってるんだな」
「なるほど……」
「大家さん、理屈はどうでもいいんですけどね、これ、どうしたら外れるんでしょうね」
「勿体ないけど徳利を割るしかないんじゃないかい?」
「あ、なるほど……道具箱にゃ玄能もありやすんで」
「さあさ、外へ行って割っといで」
「このまま外へ出るんですかい? そいつはちょっとできねぇ相談だ」
「みっともないかい? そりゃ仕方がないだろう、ものぐさした報いだよ」
「いや、家の中でも」
「よしとくれ、よしとくれ、畳を汚されちゃ堪らないよ」
「いえ、土間のところで」
「土間でもいけないよ、家の中が小便臭くなっちまうだろ?」
「そんな殺生な」
「誰もいない時を見計らってさっと厠へ行って割っといで、ほらほら、亭主が仕事に出るとおかみさん連中が井戸端を始めるよ、今の内だよ……八っつぁん、外の様子を伺ってやんな」
「へぃ……おう、熊、玄能を懐に入れときな……今だぜ、さっさと行って来い」
「わかった」
 熊さん、一目散に厠に向かいます。
「なんだろうねぇ、あの恰好って言ったらないね」
「そうですね、大家さん……股の下で徳利抱えて」
「邪魔だとみえて酷い蟹股だね……ああ、でも無事に厠に入れたね……パリンと音がしたね、首尾よく割れたみたいだね…………でもどうしたことだろう、中々出て来ないね」
「そうですね……あ、戻って来た……どうだい? 抜けたかい?」
「それがよ……」
「それがどうしたってんだ?」
「徳利が割れたのは良いんだけどよ、首のところが残っちまってよ」
「そこも割っちまえばいいじゃねぇか」
「そこんとこが厚く出来てるみてぇでよ、割れねぇんだ」
「どれどれ、見せてごらん」
「大家さん、そいつぁちょっと……」
「そんなこと言ってる場合かい? 見せてごらんよ……こりゃ痛そうだな、赤黒く腫れあがっちまってる」
「どれどれ……本当だ、こいつは辛そうだな」
「徳利の首に絞めつけられて血の流れが止まっちまってるんだよ、こりゃいけない、このまま放って置いたら腐ってポロリと取れちまうよ」
「ええっ? 本当ですかい?」
「本当だとも、壊死とか言ってな、怖いものだよ……八っつぁん、玄能を貸しておやり」
「どうするんですかい?」
「ぶらぶらしてるものを叩いたって割れやしないよ、八っつぁんの玄能を下に敷いて熊さんのでコツンとやればきっと割れるよ」
「俺の玄能を下に敷くんですかい? そいつはちょっと……」
「ああ、それじゃぁね、熊さんの玄能を下敷きにして八っつぁんのでこつんとやるんだ、それなら良いだろう?」
「へぇ、それくらいなら……おい、熊、玄能出しな、それを徳利の首の下に……それでいい、やるぜ?」
「ちょ、ちょっと待った、そんなに振りかぶるんじゃないよ、割れたは良いけど中味も潰れちまったなんてことになったら洒落になんねぇ、自分でやる、頼むから自分でやらしてくれ」
「そうか? まあ、それが良いかも知んねぇな、ほらよ、貸してやらぁ」
「ありがとうよ……」
 コツン。
「駄目だ駄目だ、そんなにそっと叩いても割れねぇよ」
「わかってるよ! 今のは加減を調べたんじゃねぇか、今度は割るぜ」
 ゴツン。
「やっぱり俺がやってやろうか?」
「いいっ! 自分でやる!」
 ゴツン。
「釘締も貸してやろうか?」
「冗談じゃねぇ! 突き刺さっちまう」
「じゃぁ、思い切って打てよ、江戸っ子だろう?」
「わかってらぁ! 今度こそ割って見せるぜ」
 ガツン。
 パリン。
「ぎゃぁ!」
「あ~あ~、今のは痛そうだったな、潰れてねぇか? そうか大丈夫か、でも良かったじゃねぇか、これでお前ぇは無罪放免だぜ」
「痛ぇぇぇ……ああ、でも何とか割れた……」
「そこんとこ、血の流れが悪くなってたからね、しばらく擦っていると良いよ」
「へぇ、大家さんも色々教えて下すって、ありがとうごぜぇやす」
「これに懲りて二度とおかしなことするんじゃないよ」
「へぇ、骨身に染みましたから」
「そこに骨はねぇけどな」
「うるせぇよ、八」
「うるせぇたぁなんでぇ、さっさと玄能返しやがれ」
「あ、ああ……すまねぇ、ありがとうよ」
「じゃぁね、あたしは帰るからね、熊さん、くれぐれもよく擦っておきなさいよ」
「へい」
 大家さんががらりと障子を開けますと……。
「あ……」
 熊さんの家の前には騒ぎを聞きつけたおかみさん連中がずらりと……。



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