九席目 怪談・ホテル観音裏

文字数 5,144文字

 笑いの多い噺ではありません、怪談としていますが、そして怖い話でも……敢えて言うなら怪談風味の人情噺と言ったところで……。
 落語好きの方なら『観音裏』にピンとくるでしょうが、かつて吉原遊郭が存在した場所です、はい、廓話の要素もたっぷり入ってます、R-15までは行かないとお思いますが、お子さんか来場してると寄席ではちょっと演りにくいかも(^^)



「ふぅ……ちょっと調子に乗って飲みすぎたな……終電の時間にさっぱり気づかなかったよ……う~風が冷たいや……タクシーで帰るには遠すぎるしなぁ、別に帰りを待ってるような女もいないんだ、無理にタクシーで帰るより泊まっちまった方が安上がりだし楽なんだがなぁ、その方が会社にもよっぽど近いし……なのに、どこのホテルも満室と来てやがる、春節だから中国の団体さんでも泊ってるのかね……う~さぶっ、どんなんでも良いから早くホテルを見つけねぇと風邪ひいちまうよ……どこか空いてるホテルはねぇかなぁ、それも安いところが良いね、カプセルホテルでもなんでも良いからさ……おや? こんなところに……なになに?『ホテル観音裏』?……随分と古びたホテルだなぁ、一体いつ頃の建物なんだ? この令和の時代に平成を飛び越して昭和の匂いがプンプンしてらぁ、防火とか耐震とか大丈夫なのかね、〇適マークとかついてるのかな……でも、贅沢は言えねぇよな、入ってみよう……あれ? フロントに誰もいねぇや……ま、でもこんな寂れたホテルなら空き室もあるかも……すみませ~ん、誰かいますか~?」
「……はいはい、失礼しました、ホテル観音裏にようこそおいでくださいました、こんな寒い夜はお客様が少のうございまして、ついフロントを空けてしまいました」
「終電を逃しちまって泊まりたいんですけど、部屋は空いてますか?」
「はい、沢山ございます」
「一泊おいくらですか?」
「一万円でございます」
「この建物にしちゃ随分とぼるね、でもなぁ、他に空き部屋があるホテルはなさそうだしな……寝間着はあります?」
「はい、お部屋に浴衣のご用意があります、もっともお使いになる方は少のうございますが」
「ん? どういうことだ?……歯ブラシとかは?」
「房楊枝が備え付けになっております」
「房楊枝? 江戸時代の歯ブラシですよね?」
「よくご存じで」
「落語が好きなもんで……でもそれって、レトロを通り越して民芸品レベルですよね?」
「当ホテルでは今でも現役でございます」
「良くそれを作る職人が残ってるなぁ……浅草だからかな……まあ、いいや、話のタネにもなるし……一泊お願いします」
「ありがとうございます、何号室になさいますか?」
「別にどこでもいいけど……」
「では、お気に召したところをお使いください」
「キーは?」
「必要ないと存じます」
「え? それってどういうこと?」
「入られればお分かりになるかと……」
「ふ~ん……」
「お荷物をお運びいたしましょうか?」
「いや、会社帰りに飲んだんでこのカバンだけですから大丈夫ですよ」
「では、そちらのエレベーターでお好きな階にお上がりください」
「エレベーターも古いや、今時タッチ式じゃない丸いボタンのエレベーターなんてあるんだな……わっ! なんだこれは? 廊下の両側に木の格子がはまった部屋が並んでる、元は牢屋か何かだったのかな……?」
「ようこそおいでくんなまし」
「お兄さん、おあがりよ」
「お兄さん、こっち、こっち」
「え~っ? それぞれの部屋にひとりづつ着物の女!?……吉原かここは?……あ、そうか……ホテル探してるうちに観音様の裏手まで来てたんだっけ……いやいや、それにしたって時代が違い過ぎるよ……」
「あら、お兄さん、様子が良いねぇ、迷ってないでお登楼りよ……それともあたしが相手じゃ嫌かい?」
「おっ……いい女だねぇ……ちょいと年増で、色っぽくて……ちょいと崩れてるような何とか踏みとどまってるような微妙な感じがツボだなぁ」
「だったら良いじゃないか、あがっておくれよぉ」
「そうだな……そうさせてもらおうか……なるほど、客が入ると襖を閉めることになってるのか……さっきの一万に玉代も入ってるのかな……まさかそんな安くないよな」
「お兄さん、何を一人でぶつぶつ言ってるんだい?」
「いや……こんなん聞くのは無粋だけどさ、お姉さん一晩幾ら?」
「あら、帳場で払ったんじゃないのかい?」
「帳場? ああ、フロントか……ああ、払ったよ、一泊一万だって」
「だったらもうおあしのことは心配しなくていいんだよ、外から芸者でも呼ぼうってんなら別だけど」
「いや、酒はもういいんだ」
「あら、そうかい? あたしのお酌じゃ嫌かい?」
「いやいや、そうじゃないんだ、飲んで騒ぐのはもう充分ってだけで、姐さんとサシなら話は別だよ、姐さん、名前は?」
「おとき、そう呼んでおくれ……肴は大したものないけどさ」
「いや、乾き物でもありゃ充分だよ……ひょっとしてこれも宿代に入ってるのかい?」
「当たり前じゃないか」
「それで一万?」
「そうさぁ」
「安過ぎないか?」
「時の流れから取り残されたような宿だからねぇ……」
「いやいや、俺ぁこういうの好きだよ、シティホテルだ、デザイナーズホテルだなんて格好だけ付けたのは却って嫌いだね」
「あら、おまいさん、嬉しい事言ってくれるじゃないか、ついでに時の流れから取り残されたような女だけど……あたしを可愛がっておくれでないかい?」
「おときを一目見た時にビビっと電気が走ったくらいでさ」
「嬉しいねぇ……抱いとくれよ」
「お? そんなストレートに、大胆だなぁ」
「嫌だよこのひとは、肩に手を廻して抱き寄せておくれって言ってるんだよぉ」
「そ、そうだよな……ソープじゃないんだから最後まで行けるワケないよな……」
「最後まで行くのはもうちょっといい心持になってからね」
「アリなの!? 最後まで行っちゃって良いの!?」
「やだよ、こう言うところに来るのはそれがお目当てなんじゃないのかい?」
「まぁ、そりゃそう……いやいや、俺はただ終電逃しちまったから寝床を探してただけなんだけど」
「でもこの宿を見つけたんだろう?」
「ああ、まあ、そうだな」
「それなら良いんだよぉ、浮世の憂さなんかぱぁっと忘れてさぁ」
「そ、そうだよな」
「おまいさん、煙草は?」
「ああ、吸うよ」
「じゃぁ、あたしが付けたげるよ」
「は? 長キセル? 煙草盆も?」
「はい、おまいさん」
「あ、ああ、ありがとう……ぷはぁ……紙巻煙草と同じ葉っぱとは思えないな」
「お気に召したかい?」
「召した召した、変わった味だけどなんだかフワフワしてくるね」
「特別な葉っぱで出来た煙草だからねぇ」
「どっかから読経が聞こえないか? 声が小さくてよくわからないけど」
「観音様の裏手だからねぇ……それよりさ、電灯なんて無粋なものは消して行燈をともそうじゃないか」
「ああ、いいね、その方がずっといい」
「そうかい? 嬉しいねぇ……どうだい? 暗すぎるかい?」
「いや、このほの暗い感じが良いな」
「ねぇ、おまいさん、一杯やろうよ」
「ああ、いいね……なんだかピンク色してねぇか?」
「ロゼだよ」
「ああ、ワインだったのか、猪口に注がれたからてっきり日本酒かと思った……美味いな」
「あたしにも注いでおくれよ」
「ああ、こいつは気が付かなかった、この盃でいいかい?」
「あんたが口を付けた盃が良いんだよ……ここから飲んだのかい?」
「ああ」
「じゃあ、あたしも……はい、ご返杯」
「お、おう……うっすら紅が付いてて色っぽいや」
「ふふふ……そうだろう?」
「それにしても、このワイン、変わってるな、なんだか不思議な味がするよ」
「Since nineteen-sixty nine、五十年物だよ、それからこっちのお酒はここには置いてないんだよ」
「どうしてそこだけ英語……?」
「そんなことどうだっていいじゃないか……ねえ……もっと ぎゅっとしとくれよ」
「ああ、もちろん……おときの抱き心地は格別だな、それに甘い汗のにおいがするよ」
「汗臭くて嫌かい?」
「そうじゃないんだ ムラムラして来る匂いだよ」
「ふふふ……ちょっと暑くないかい?」
「エアコンは……」
「ここにはそんなものありゃしないよ、それにそう言うことじゃなくってさ」
「……って言うと……」
「もう、じれったいねぇ、着物を脱がせておくれって言ってるんだよ」
「あ、ああ……もちろん」
「お前さんもそんな堅苦しいスーツなんて脱いだらどうだい?」
「あ、ああ……」
「ちょっと待って、あたしが脱がせたげる……だからあたしの着物もおまいさんが……ね?」

 立ち込める妙に甘い匂いの煙草の煙……妖しいピンク色に輝く酒の酔い……。
 そして何よりもかぐわしい女の肌に包まれまして、男は天国を垣間見たのでございます。

「ねえ、おまいさん、もう一晩いておくれよ、何ならこのまま居続けしてくれても良いんだよ」
 熱く火照って湿った女の柔肌を傍らに抱き、たわわな乳房を押し付けられてそう言われれば大抵の男は心が動きます。 ですが……。
「そうしたいのはやまやまだけどさ、そういうわけにも行かないんだよ」
「どうしてさ、あたしの具合、良くなかったかい?」
「いや、蕩けるようだったよ……ずっとこのままでいたいと思ったくらいさ……でも俺は稼がないわけにも行かないんだ」
「良い女(ひと)でも待ってるのかい? それとも約束を交わした女(ひと)がいるとか……」
「そんなんじゃないんだ、田舎のおふくろが体を悪くして入院しててね、金がかかるんだ」
「……そうかい……おっかさんの為と言われればあたしはもうなんにも言えないよ……だけどせめてこの一晩だけはあたしの良い男(ひと)で居ておくれでないかい?」
「ああ、もちろんだよ……だからもう一度……」
「何度でも……あたしの火照りを鎮めておくれよ……それから」
「それから?」
「おときって女がいたってこと、それだけで良いんだ、それだけ忘れないでおくれよ」
「なんだか今生の別れみたいなことを言うんだな、そうちょくちょくってわけにも行かないけど、近いうちにまた来るよ」
「そうかい……? その気持ちだけであたしは良いんだよ……」
 そして二人は甘い甘い夢の中へと落ちて行ったのでございます……。


「おい、あんた、おい、あんた、この寒空にこんなところで眠っていると凍え死ぬぞ」
「う~ん……え? あれ? ここは?」
「あんた、もしやホテル観音裏に?」
「あ、はい……どうしてそれを? それにどうして外で寝てたんだ? ここはどこですか?」
「三ノ輪の浄閑寺ですじゃ」
「浄閑寺?……あの投げ込み寺の?」
「後ろを振り返って見なされ」
「これは……供養塔?」
「左様、吉原の遊女が何千人とそこに眠っておりますじゃ」
「何千人も……」
「夜遅くに男が一人でこの観音裏をうろついておりますとな、時にホテル観音裏に迷い込も者がおりますのじゃ、あんたは戻って来れたが、中には戻って来れなくなる者もおりますじゃ」
「戻って来られない……と言うと……まさか……」
「お察しの通り、ここに行き倒れて死んでいた男は何人もおりましてな」
「ど……どういうことなんでしょう?」
「遊女たちも寂しいんじゃろう……遊女たちの浮かばれない魂が時に男を誘い込みますのじゃ」
「ではあのホテルは……」
「あんたのように生きて戻られたお方は、口をそろえて『ホテル観音裏に泊まった』と言いますのじゃ、じゃがそんなホテルは実在しとりませんでな……居続けしてくれとは言われませんでしたかな?」
「あ、言われました」
「それをあんたは断りなすった」
「はい、居続けっしたいのはやまやまでしたが、田舎のおふくろの病院代を稼がないといけないもので……」
「なるほど……それはある意味おふくろさんに命を助けられましたな」
「おふくろが? 俺をこの世に繋ぎ留めて……」
「左様、母の愛とは時も場所も飛び越えるもののようじゃなぁ」
「はい、確かに『とき』よりも強かったようです」

♪音曲:Hotel California

 その後、男は浅草に用事がある度に供養塔に花と線香を手向けるようになり、おふくろさんの病気もそれから目に見えて快方に向かったと言う……。

 遊女の魂が男に見せる幻……ホテル観音裏の一席でございました。
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