拾席目 時そば~人情編~

文字数 4,399文字

 改作落語『時そば・人情編』
 おなじみの古典落語「時そば」の改作です。
 正月ですのでほんわかした噺を一席お付き合い願います。




「そばうっ! そばうっ!」
「おい、そば屋さん……おい! 行っちゃうんじゃないよ、呼び止めてるんじゃねぇか」
「すまねぇ、風鈴が良い感じに鳴ってたもんで」
「確かにな、普通そば屋の風鈴ってのはチリ~ン、チリ~ンと鳴るもんだけどよ、お前さんのはチリリリン、チリリリンって調子良く鳴ってたな」
「ありがとよ、そば、喰うのかい?」
「喰いてぇから呼び止めたんだ、何ができる?」
「花巻に卓袱、以上!ってなもんだ」
「威勢が良いね、生粋の江戸っ子だな?」
「おうよ、爺さんの爺さん、そのまた爺さんの代のず~っと前から江戸っ子よ、確かその頃の帝は神武って言ったな」
「それくれぇで自慢するない、俺ぁ卑弥呼の代からだ」
「そんなわけがあるかよ」
「心意気だよ、わかるだろ?」
「あたぼうよ!」
「ときに、お前ぇんとこの行燈、変わってるな」
「的に矢が当たって当たり屋ってんだ」
「こいつぁいいや、俺ぁ今から鉄火場へ行こうってんだ、当たり屋ってなぁハナっから縁起がいいじゃねぇか」
「博打か、実は俺もでぇ好きだ」
「そうかい! それにしても今夜は寒いな」
「寒いだぁ? 情けねぇこと言ってんじゃねぇよ『体中顔と思えば寒く無し』って川柳を知らねぇのか?」
「そりゃ知ってるけどよ、体中顔と思ってもやっぱり寒いや」
「だけどこんな夜は蕎麦が良く売れるってもんよ」
「商売繁盛でなによりだ、卓袱熱くしてくんねぇ」
「おう! 卓袱だな? おらよ!」
「早ぇ! もう出来たのかい?」
「荷を降ろした時にもうそばを湯に放したんだ、花巻も卓袱も乗せるモンだけの違ぇだからな、湯も汁もいつだって沸き立ってらぁ」
「そうかい、そう来なくちゃいけねぇや、おい、この蕎麦だがよ」
「なんだ、ケチ付けようってのか?」
「違わぁ、俺ぁこんな細い蕎麦は初めて食うぜ」
「あたぼうよ! 蕎麦切包丁なんぞ使うんじゃねぇや、かんなで削るんだ」
「かんなで削る? ああ、確かにこれだけのコシがありゃかんなで削れそうだな、汁にもカツブシが奢ってありやがる、そのくせえぐみも雑味もねぇな」
「おうよ! 向うが透けて見えるくらい薄く削ったのを煮え立った湯にぱっとつけてさっと上げちまうんだ」
「豪勢な出汁の取り方だな、その代わりに竹輪は厚く切ったな」
「良く見ろってんだ、切っちゃいねぇよ」
「あ、本当だ、一本丸々だな」
「そうよ、半分だの四等分だのってなぁケチ臭くていけねぇや」
「嬉しいね……ああ、美味かったぜ、そばの代はいくらだい?」
「なんだと? 江戸っ子のくせにそばの代も知らねぇのかよ」
「ど忘れしちまったんだ」
「二八の十六だ、こうやって憶えとけ」
「なるほどそいつは憶えやすいな、代は細けぇんだがいいか?」
「十六文銭なんぞありゃしねえんだ、構わねぇよ、こっちも釣銭の細けぇのが心細くなってきたところだ、丁度いいや」
「そうかい、手ぇ出してくんな、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、はち……今なんどきだい?」
「いまさっき九つの鐘を聞いたばかりだ」
「ありがとよ、十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、これで丁度だ」
「確かに受け取ったぜ」
「じゃあな、またお前ぇを見つけたら声掛けらぁ」
「おうよ!」

 江戸っ子を自認する同士の不必要に威勢が良いやり取りを聞いておりましたのは、故郷から江戸に出て来て十年目と言うお職人でございます。

「なんだ? 今のやり取りは……神武天皇だ卑弥呼だって一体全体いつの話だってんだ、また二人とも早口だね、うかうかしてると話が見えなくなっちまう、油断も隙もありゃしねぇや、蕎麦を出すのも食うのも早かったねぇ、本当に茹ってるのかも怪しいもんだ、それにあんなに手繰り込んで良くむせねぇな……またそばをかんなで削るって言いやがる、そんなことできるのかしら?……そんなわきゃねぇよな。
 それにしても威勢が良すぎてまるで喧嘩だよあれじゃ……そのくせ蕎麦の代はいくらだなんて間抜けじゃねぇか、そんなのは俺でも知ってるよ、それに一枚一枚銭を出しやがって、気が短いなら二枚づつ数えたら良いじゃねぇか、二、四、六、八、十って具合に……ん? そういや変な間で時を聞きやがったね、あれじゃニ枚づつ数えられねぇか……待てよ? あそこんところ怪しいな、なにやら匂うね、計画的犯行の匂いがするよ…………ああっ! わかった! からくりが解けた、野郎一文ごまかしやがった、上手くやりやがったね、そば屋の方はもう荷を担ぎ始めてたからな、いちいち数え直したりするはずもねぇや、野郎、上手くやりやがったな……ふふふ、俺もやってみよう」

 この男、翌日細かい銭をたくさん用意して夜の町へと繰り出します。

「ちょっと早すぎたかな、中々蕎麦屋が見つからないよ……お、いたいた、一文ごまかされるとも知らねぇで暢気に歩いてやがら……可哀想だが犠牲になってもらうぜ……お~い、そば屋さん」
「へい、お呼びで」
「蕎麦を一杯貰おうか」
「ありがとうございます」
「今夜は寒いな」
「昨夜は大層寒うございましたが、今夜は幾分温かで」
「そう……そうだったな、寒かったのは昨夜だよ」
「こう暖かですとそばが売れなくて往生いたします」
「それ、先に言っちゃうんじゃないよ」
「何のことで?」
「いや、こっちの話だ、気にしねぇでくれ、おう、蕎麦屋さん、この行燈はなんだい? 丸に『つ』って書いてあるけどよ」
「へい、『つ屋』と申します」
「つ屋たぁまた縁起が……良くねぇな、もうちょっとこう、何とかならなかったのかよ」
「相済みません、あたしは伊勢の国は津から出て参りましたもので……」
「まあ、いいけどよ、何ができるんだい?」
「花巻に卓袱でございます」
「じゃ、卓袱熱くしてくんな」
「承知いたしました、ただいま」
「おう、ぱっぱと作ってくんねぇ」
「江戸のお方は気が短こうございますな」
「まあ、そういう俺も江戸の生まれじゃねぇんだ、常陸の国から出て来たのよ」
「もう江戸は長いんでございますか?」
「かれこれ十年になるかな、江戸っ子を気取ろうってんじゃねぇけどよ、こっちに長くなるとだんだん気が短くなってくるな……まだかい?」
「へい……もうすぐで」
「なんだか盛んにぱたぱたやってるけどよ、火は付いてるのかい?」
「前のお客様にお出ししてからちょっと間が空いてたもんでございますから……相済みませんことで、もう少しだけお待ちを……お待ちどう様でございます」
「おお、出来たかい、お? お前ぇんとこ鰹節奢ってるな、出汁の香りがプンプンすらぁ、こりゃさぞかし……ずずっ……なんだこりゃ? 甘いねぇ」
「まだ甘ぅございますか?」
「いや、いいんだ、蕎麦と一緒に甘味も楽しめると思ゃ良いんだ、な? 肝心なのは蕎麦、蕎麦だよ、俺ぁ細い蕎麦に目がなくて……太いねぇ、これが蕎麦かい?」
「まだ太ぅございますか?」
「いや、いいんだ、これだけ太けりゃさぞ腰が……ふにゃふにゃだぁ」
「まだ柔らこうございますか……」
「蕎麦ってなぁつるつるっとしたのど越しを楽しむもんだ、こう太くて柔らかくちゃ口の中でもたもたすらぁ」
「申し訳ございません! 実は津では伊勢うどんを商っておりました、自分で言うのもなんでございますが、まずまず繁盛いたしておりましたもので、花のお江戸で一旗揚げようなぞと要らぬ欲を出したんでございます、こちらでも伊勢うどんの店を出したんでございますが、これがとんと売れませんで、店は人手に渡り、あたしは蕎麦の屋台を担ぐようになったんでございます、伊勢うどんでしくじっておりますので江戸の方のお好み合わせようと一生懸命やってるんでございますが、なにぶん江戸の方が好まれる蕎麦は伊勢うどんとはまるで正反対でございまして」
「そうかい、そうだったのかい……伊勢うどんね、食ったことあるよ、確かに甘くて太くてやわらけぇや……でもよ、この蕎麦は挽き立て、打ち立てだな?」
「おわかりになりますか?」
「ああ、蕎麦の香りがプンプンしてるからな……ちくわも厚く切ってあるね、噛み応えがあるってやつだ、出汁も丁寧に取ってあるしな……これはこれで……ずずっ……面白ぇ食いもんだな……ずずっ……これはこれで悪かねぇぜ……ずずずずずず……ほら、その証拠に汁まで飲みほしたぜ」
「あ、ありがとうございます」
「まあ、確かに江戸の蕎麦とはだいぶ違ってるけどよ、客に美味いものを食わそうとしてるのはわかるぜ、真面目にこつこつやってりゃ商売なんて何とかなるもんだ、見てる人は見てるもんだよ、今は江戸っ子の好みにゃ合わねぇかも知れねぇけどよ、いい加減なものを食わそうってんじゃねぇんだ、もしかしたら、お前さんが作る蕎麦がいつか江戸の当たり前ぇになるかも知れねぇよ、まあ、あきねぇって言うくらいだ、くさらないで真面目に地道にやるこった……おう、今度またお前さんを見かけたら必ず一杯食うことにするぜ……代はいくらだ?」
「いえ、もう商売もやめてしまおうかと思い始めていたところでございます、とは言え伊勢に帰ろうにも路銀もままならず……あなた様にそう言っていただいたおかげで何とかやっていけそうな気がしてまいりました……お題の方は結構でございます、せめてものお礼と言うことで」
「そうは行かねぇよ、ちゃんとしたものを食わせたんだ、ちゃんと代は取ってくんな、銭は細けぇんだ、手ぇだしてくんな……ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、はち……今なんどきだい?」
「はい、よっつで」
「いつ、むう、なな、はち、ここのつ、とお、十一、十二、十三、十四、十五、十六、これで丁度だ、あばよっ」
「あっ、お客さん、お客さん、これでは頂き過ぎで」
「良いってことよ、銭は今度喰う時まで預けとかぁ、必ずまた呼び止めるぜ」
「ありがとうございます」
「大体今頃この辺りを流してるのかい?」
「はい、左様で」
「次からはもう半時ほど遅く来てもらえねぇかな?」
「はぁ、それはどういうことでございますかな?」
「こん次は間違いなくここのつに呼び止めるからよ」

 この蕎麦屋、この後一層商いに精を出しまして、以前の店を買い戻して江戸前の蕎麦と伊勢うどんの両方を商うようにしたところ、男衆には蕎麦、おかみさんや子供には伊勢うどんが受けまして、連れ立って行ってもどっちも食える店と言うことで大層繁盛したと申します……時そば・人情編の一席でございました、お後がよろしいようで。
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