弐席目 続・鰻の幇間

文字数 8,932文字



            『続・鰻の幇間』

 え~、落語にはあまり利口な奴は出てまいりませんようで。
 もっとも、利口な奴が良い目を見るなんて噺はあまりお聴きになりたくはないでしょうから当たり前っちゃぁ、当たり前ですな。
 旧家の出で一生安楽に暮せる金を持ってる、それを確かなところにちょいちょい貸し付けてて気が付いたら倍になってた、これはあぶく銭だからってんでその儲けを製薬会社の株につぎ込んだら、その会社が画期的な新薬を開発して株価が10倍になった……そんな噺は面白くもなんともありませんな、落語のネタになるにはその全財産を遊びにつぎ込んで一文無しにならないといけません……。
 とどのつまり、人の不幸ほど面白いものはない、金持ちが幸せになるなんざこの俺が許さねぇ、皆様そう言うお考えで落語を聴いてくださる、噺家は人の不幸を吹き込んでおまんまを頂戴している、とそういうわけで……。
 まあ、たまには利口な奴が出て来る噺もないわけじゃありませんが、そん時は必ず煙に巻かれる間抜けが要り用なんですな。
 この間抜けの方ですが、馬鹿の与太郎でもまあ宜しいんでしょうが、自分じゃ抜け目がないと思ってる、そう言う手合いが見事に煙に巻かれますとお笑いも多いようで……。



「う~寒いね、どうも、どうして師走ってのはこうも寒いかね、おまけにだれもかれも忙しがっちまってて、こうやって海釣りに出たところで魚が餌に見向きもしませんよ、ンとにもう……せめてもうすこし懐があったかけりゃなぁ、銭と銭の間に隙間風が吹き抜けてますよ、これじゃ芯から冷え切っちまってもう……真冬の海に漕ぎ出す漁師の気持ちが良くわかりますよ、板子一枚下は地獄ってねぇ、明日をも知れねぇ命、風前の灯ってやつですよ、心細いったらありませんよ……。
 おや?……向こうから来る旦那、どこかで会った覚えがありますよ、どこで会ったんだっけな……思い出せないってぇと仕事がしにくくていけませんよ……え~とどこで……あっ……そうだ……あいつだ……あたしを鰻屋でえらい目に会わせやがったあいつですよ……また今日は良いなりをしてるねぇ、見違えちまいましたよ……おや、あの下駄はあたしのですよ、おろしたての糸柾、のめりの下駄てぇやつだ、あん時ゃもう、あいつが履いて帰っちまったもんだから羽織がけに汚ねぇ草履履くはめになっちまって、あんなに間抜けなことって無かったよ全く……おっと、近づいて来ましたよ、何事も最初が肝心てぇやつだ、がつんと言ってやって舐められないようにしないといけませんよ……待てよ待てよ、もっと近づいてからですよ……よぉ、大将、しばらくだったな」
「何だ?お前ぇは、見たところ野だいこみてぇだが、そんなぞんざいな口を利く幇間(たいこもち)ってのがあるけぇ」
「何を言ってやがんだか……ありゃ客と思えばこその口の利きようってもんだ、手前ぇになんざこれで充分だ」
「なにをぉ?」
「客だとは思わねぇとそう言ってんだよ、人を散々カモにしやがって」
「へっ、カモにしちゃネギをしょってねぇな、気が利かねぇカモだ」
「図々しいねぇ、どうも……ああ、確かにあん時の俺はネギをしょったカモに見えただろうけどよ」
「お前ぇと? 俺が?……どこで会った?」
「夏の時分の話だよ、鰻屋の二階で……」
「夏……鰻屋……ははぁ……思い出したよ、あの時の間抜けな野だいこだな?」
「けっ……いいよ、何とでも言いやがれ、確かに間抜けだったよ、完膚なきまでに叩きのめされたってぇやつだ、いっそ清々しいくらいだったよ」
「ははは、悪かったな、あん時は俺もちぃっとばかり懐が寂しくてよ」
「悪かったなじゃねぇや、全く……もういっぺんお前ぇさんに会いてぇと思ってたよ、会って色々と教えてもらいてぇもんだとね、でもこうしてばったり会ってみりゃ腹立たしいったらねぇや……だけどなんだな、あの時は浴衣がけだったが今日はまた随分とめかしこんでるじゃねぇか」
「別にめかしこんでるわけじゃねぇや、この寒空だよ、『体中 顔と思えば 寒くなし』なんてことを言うが、あんなのは痩せ我慢、貧乏人の見栄ってやつだ」
「だけどそのなりってのは寒いからどうこうとか言う話じゃないねどうも、結城の着物に献上の帯たぁ気が利いてらぁ、羽織の裏も洒落てるしよ……見たところ、随分と景気が良いみてぇじゃねぇか」
「ああ、品川でちょいと一仕事したばかりなんでな……おう、どうせ暇なんだろう?」
「大きなお世話だ、忙しいよ、大忙しだこっちゃぁ……なにせ朝から海に漕ぎ出したってぇのに、昼時分になっても、まだ一匹も魚がかからねぇんだからな……」
「ははは、情けねえじゃねぇか……一杯奢るよ、つきあわねぇか?」
「御免こうむりやしょう、狐と知ってて付き合うやつがあるもんけぇ、二度も化かされちゃたまらねぇや」
「さっきは俺にもう一度会いたかったと言ってたじゃねぇか」
「まあ確かにそう言ったかも知れねぇがよ……だけどそりゃ言葉のあやってぇやつだ……あんまり綺麗にやられちまったもんだからよ……」
「おう、この紙入れを見ねぇな……人に紙入れの中身を見せるなんざ法にねぇがよ……ちゃんとおあしがへぇってるだろう?」
「……また随分と懐に入れていやがんなぁ……葉っぱじゃねぇだろうな?」
「よせやい、つきあうかい? どうせ腹も減ってんだろう? 罪滅ぼしさせてくんねぇな」
「まあ……そこまで言うなら……付き合わねぇでもねぇけどよ……」
「おう、馴染みの店(うち)があるんだ、ついて来ねぇな」
「なんだか聞いたことがあるような台詞だねどうも、煮しめてある店だの首を傾げてる店なんてのは御免だよ」
「あれっ、この野郎、随分と用心深くなっちめぇやがって……でぇじょうぶだよ、来るのかい? 来ないのかい? 俺ぁ、煮え切らねぇのは嫌いだよ……来るのか来ねぇのか、おい! はっきりしてもらおうじゃねぇか」
「……行くよ……行きますよ……」

 何かこう、『あ、拙いな、これは相手のペースだな』とわかっていながらついつい乗せられちまうってことはあるもんです。
 まあそれだけこの男の腕が良いってことなんでしょうな。
 着いたのはちょいとしゃれた料理屋、煮しめてもなければ、こう……こう店が首をかしげてもいません、こざっぱりとした暖簾をくぐるなり女将から『いつもご贔屓にどうも』なんて挨拶されるところを見るとまんざら知らない店でもなさそうで……。

「まあ、ひとつ行こうじゃねぇか、ちょいと飲ませる酒だよ」
「狐の小便じゃなえだろうな……」
「大丈夫だよ」
「じゃ、狸」
「狸の小便でもねぇから!」
「徳利を見せろい、狐と狸がじゃんけんなんぞしてねぇだろうな」
「よせやい、見ねぇ、信楽だ、猪口もそろいだよ」
「信楽?……まんざら狸と縁がねぇわけでもねぇな」
「疑り深ぇね、どうも、じゃ、ほら俺から飲むよ……ふぅ、五臓六腑に染み渡るね」
「……そうかい?(猪口を見つめる)……見た目は確かに酒だな……」
「だから酒だって言ってるじゃねぇか」
「(一口つけて)……なるほど……こいつは安くねぇ酒だね……」
「こうこもやってみねぇ」
「ああ、頂きますよ……べったらだな? べったらはこう厚く切らなくちゃ……(噛む)……いけねぇや……うん、こいつを食うと年の瀬も近ぇって気になるね」
「やっこもあるぜ」
「……まさか酢豆腐ってこたぁねぇだろうな」
「よせやい、匂いでわかるだろうよ」
「……ああ……確かに……うん、大豆を奢りやがったな、良い豆腐だよ、こりゃ……」
「今日は冷えるからな、ふぐ鍋ってのはどうでぇ?」
「………………(激しく首を振る)………………」
「ははは、じゃ、天麩羅はよ?」
「……やっぱり油ものが……」
「おいおい、たいがいにしろよ、何も頼めやしねぇじゃねぇかよ」
「まあ、今のはこっちも冗談だがよ」
「まあ、じゃ、天麩羅ってことにしようじゃねぇか……お、姉さん、天麩羅を二人前頼まぁ」
「このうちに13年いる姉さんじゃねぇだろうな……」
「なんのこった?」
「いや、こっちの話だ、お前ぇは知らねぇよな……何しろ俺の下駄履いて帰っちまったんだから……」
「執念深ぇね、どうも」
「まあ、今日はここでゴチになろうってんだからもう何にも言わねぇよ」
「ところでお前ぇ、名前は何て言ったっけな、すまねぇ、すっかり忘れちまってよ」
「人に名前を聞くときは自分から名乗るもんじゃねぇのかい?」
「ああ、そうだな、悪かったよ、一八」
「おっ?……どうしてその名前を?……」
「落語で幇間って言やぁ一八と相場が決まってらぁ」
「まあ、与太郎って言われなかっただけマシだと思うことにしとくよ、お前ぇはよ?」
「俺か? 俺は左平次ってんだ」
「さっき一仕事したばかりだと言ってたが、仕事は何でぇ?」
「居残りよ」
「居残りぃ?」
「お前ぇ、幇間の癖に居残りを知らねぇか?」
「馬鹿にするねぇ、俺だって廓に出入りすることくらい……ん? 待てよ、左平次で居残り……居残りで左平次……お前ぇ……まさか」
「そうよ、世間様にゃ『居残り左平次』って呼ばれてるみてえだな」
「……道理で……相手がいけねぇよ、こりゃぁ……」
「知ってくれてるようだな」
「知ってるも知らないも……あんときゃあれで済んで良かったよ、下手すりゃ尻の毛まで抜かれちまうところだった」
「下駄を忘れてるぜ、糸柾の下駄、ありゃぁなかなか良いもんだよ、今日も履いてらぁ、お前ぇ、間は抜けてるけど目は確かだな」
「お褒めに預かって光栄だよ、全く……はいはい、下駄は差し上げやしょう、名高い左平次様の手口をご伝授いただいた謝礼だと思えば安いもんだ」
「ははは、だから悪かったよ、あん時ゃ」
「その通り名を聞いちゃ酒を飲んでもちっとも酔えねぇや……はばかりに行く時は言っとくれ、お供しますよ、ちゃんと見張ってなきゃ危なくてしょうがねぇからな」
「でぇじょうぶだよ、今はおあしがあるんだ、ある時ゃあんなせこい真似はしねぇよ」
「お前さんに取っちゃせこい真似でもね、こっちにはおおごとだったんだ」
「ははは、じゃぁ、こうしようじゃねぇか……ほら、こいつをお前に預けとくからよ」
「ほらって、お前ぇ……小判じゃねぇか……」
「そいつでここの払いをしてもらおうじゃねぇか、足りるだろう?」
「足りるも何も、料理屋に居続けしようってんじゃねえんだからよ……」
「釣りは取ってもらってかまわねぇからよ」
「釣りって……これじゃ釣りの方がまるで多い……」
「いいってことよ、あん時ゃお前ぇに迷惑かけたからな、今度は俺が身を切る番よ、お互い様ってことがあるだろ?」
「……お前ぇ……案外良い奴なのかもな……」
「居残りを商売にしてる男なんざ堅気とは言えねぇよ、良い奴だなんてわけがあるけぇ」
「だけどよ……まあ、義理堅いところはあるよな」
「義理じゃねぇよ、友達じゃねぇか」
「友達ぃ?」
「鰻屋で一度、今日二度目、二度酒を酌み交わしたんだ、友達と言っても良いんじゃねぇかい? 嫌かい?」
「……友達って……まあ、あの居残り左平次と友達だって言やぁ、ちったぁ自慢できるけどよ……」
「廓でそんな話するんじゃねぇぜ」
「ああ、わかってるよ……うん……あたしがねぇ……あの居残り左平次とね……」
「どうでぇ、友達になった証に吉原(なか)にでも繰り出すってのは」
「おっと、来なすった……危ねぇ危ねぇ……居残りの片棒でも担がそうってんじゃ……」
「居残りの片棒ってのがあるかよ」
「いや、まぁ、わかんねぇけどよ……」
「考えてもみねぇ、こんだけ入ぇった紙入れ持ってるんだぜ、居残りなんてできるはずもねぇやな、そこんとこは良く知ってんだろう?」
「まあな……どこに隠したっておばさんが見つけちまわぁ……あ、俺に紙入れを預けてドロンするつもりじゃ……」
「そしたらお前ぇが紙入れ持ってんだ、何か問題があるかい?」
「それも……そうだな……」
「第一このなりだぜ、自慢じゃねぇが安かねぇよ、身包みはがされらぁ」
「確かにその通りだな……」
「お前ぇは商売柄吉原にゃちょくちょく行ってるんだろうけどよ」
「そこまでの幇間ってわけでも……」
「たまにゃ客で行ったらどうだい?」
「まあ、客で行くのは随分と久しぶりで……」
「俺ぁよ、あそこじゃちぃっとばっかり面体が割れてんだ、俺一人で行ってみねぇ、こいつは人相書きに似てやがる、怪しい、ちょっと待て、なんてことになるのが関の山よ」
「それは……そうかも知れねぇな……」
「だからよ、二人連れで行きてぇんだよ、二人連れならいちいち人相書きなんざ見やしねぇだろ?」
「それも……そうかもしれませんねぇ……」
「おあしがあるってぇのに遊べねぇなんて面白くねぇじゃねぇか」
「たしかに、そうかもしれませんねぇ~~」
「心配ぇねぇって、これも人助けだと思ってよ、行ってくれねぇか?」
「あぁまあ~そいじゃ~行くとしましょうかぁ~~~~」
 すっかり声が裏返っちまいまして……。

 ってなわけで、また何かやられるんじゃないか?なにか企んでるんじゃないか? なんて心配しぃしぃ……そんなんで吉原行っても面白くないでしょうにね、でもすっかり左平次のペースに乗せられて繰り込みます。

「おうっ、若ぇ衆、二人だよ、登楼(あが)らしてもらうぜ」
「へぇ、いらっしゃいまし、お早いご決断で……え? あ、ちょっと、お客様……」
「なんだい?」
「ちょっとお待ちを……」
「……またこれだよ、迷惑してるんだよいつも……左平次に似てるって言いてぇんだろう?」
「いえ……決してそのような……」
「いいんだよ、良く言われるんだ、どうもよっぽど似てるらしいな、なあ、相棒」
「え? あ……ああ……そうなんだ、よく間違われてねぇ~~~~」
「ほら、相棒もこう言ってるだろ?」
「これはとんだご無礼を、どうぞお登楼りに……お登楼りになるよぉ~~」

 なんて具合に、まんまと登楼り込んでしまいます。
 その頃はって言いますと写真なぞまだございませんで、もっぱら人相書きですから、ちょくちょく似てるって言われるんだ、と言われればそんなものかな? と思いますし、友達に口裏を合わせられれば、お上と違って客商売ですから疑ってかかるわけにも参りません、ましてなりは良いし、相棒もきっちり羽織ですからおあしも持っていそうに見える。
 左平次もその辺は心得たもので、考える間を与えません。
 「おう、これはお前さんにだよ」
 「へぇ、どうも……え? いいんですかい?こんなに」
 「いいってことよ、その代わり愉快させてくれなくちゃ困るよ」
 「へぇ! 万事お任せを」
 なんてやられりゃ、もう最初の疑いなんぞ月の裏側まで吹っ飛んでしまいます。
 
 一八のほうはって言いますと、最初のうちこそ『何かあるんじゃないか、急にドロンと消えちまうんじゃないか』とびくびくしておりましたが、元より酒好き、酒が元のしくじりを重ねて落ちぶれた位なものですから、二、三合も入って心持が良くなってくるってえと。
「芸者上げろぃ! 幇間呼べぃ!」
なんてね、いつもなら自分が言われているようなことを言ってみると、気持ち良ぉ~~くなっちゃいまして、左平次のほうにも怪しいそぶりはひとつも無いもんですから、ついつい何もかも忘れて。
「ぅわぁ~~~~~い!」
 ってな具合に盛り上がっちまいます。


「えぇ、お早うございます、お早うございます」 
「ん?……う~ん……あれ? ここは?……そうか、夕んべこのうちでどんちゃん騒ぎを……そう言ゃ、夕んべの相方、いい女だったねぇ、水がぽたぽたと滴ったね、階下に漏れやしねぇかと心配になりましたよ……あたしの働きじゃおいそれとあんな良い目は見られませんよ……そうだよ、あんないい女が来ると知ってりゃあんなに飲むんじゃなかったね……」
「えぇ、お早うございます、お早うございます」
「はいはい、起きてますよ、どうぞ」
「ええ、どうも、お早うございます」
「ああ、お早う」
「夕べはどうもありがとうございました」
「こっちこそ愉快させてもらいましたよ、ねぇ……酒がいい、肴がいい、芸者は腕っこき、幇間は……それは置いといて、女がまた良かったねぇ、あんないい女、見るのも久しぶりでしたよ、ヨイショじゃありませんよ、心からそう思うんだ、愉快させてもらいました……ところで相棒はどうしてます?」
「今朝早くにお発ちになりまして」
「帰ったぁ!?…………うわぁ大変だこりゃ……またやられちゃったじゃねぇか……今度こそただじゃ済みませんよ、鰻どころの騒ぎじゃない、夕んべの騒ぎなんかどれだけかかったか知れませんよ、下手したらあたしは生涯このうちでただ働きだ……」
「何か?」
「いや、なんでもない……ゆ、夕べのお勘定ですけどね、い、い、いくらになってます?」
「へぇ、〆て五両と一分で」
「五両一分ぅ~~~~?」
「へぇ、左様で」
「や……安いね、あれだけのお、大騒ぎをしたにしちゃ、や、や、安いですよ」
「そう仰って頂けると、あたくしどもも嬉しゅうございますな」
「そりゃ嬉しいでしょうよ……いや、こっちの話、気にしちゃいけませんよ、あれだけ愉快させてもらってそれだけってのはご内証の働きってやつですよ、偉いねどうも、一期一会で終わらせない、裏を返して馴染みになってもらおうと言う了見ですね? おみそれしやした」
「へぇ、今後ともご贔屓に……」
「で、か、勘定書きだけどね……」
「お勘定のほうはもう頂いておりますので」
「え? 済んでるの?…………はぁ…………なんだ……驚かしちゃ嫌ですよ…………左平次さんすまねぇ、一瞬でもお前さんを疑った一八を許しておくんなさいよ……あれ? あたしの着物がありませんよ」
「へぇ、お連れさんがお召しになりまして……なんでもこれから仕事に行くのにあのなりでは目だって具合が悪いからとかおっしゃいまして……代わりにお連れ様のお召し物がそこに畳んであるのでございますが……よろしゅうございましたでしょうか?」
「これ?……あ……ああ……構いませんよ、構いませんとも…………そうか、また偉ぇや、律儀な人だねぇ……下駄と草履をとっかえたお返しってやつですよこりゃ……恐れ入りやした、生涯付き合いたいね、ああ言う人とは……」
「まだお帰りには?」
「まだならない、もう少しゆっくりとね……(小声で)なんとなれば昨日の釣り銭があるからでぇじょうぶだ……」
「は?」
「いや、こっちの話、気にしなくてようござんすよ」
「では、ごゆるりと」
「はいご苦労さん……」

 どうせ仕事と申しましてもとりつく島を探してぶらぶらするだけですから、一八は朝っぱらからちょいとこんなこと(酒を引っ掛ける仕草)をしながら、昼近くまでごろごろしてから店を出ます。

「ああ、お天道様もだいぶ高くなっちまった……でもいいや、どうせ堅気の仕事じゃねぇんだからなこっちは……ああ、いい心持だ、気持ちが軽くなるとなんだか体まで軽くなるね、たまにゃこんな良い目もみねぇとな……思えば辛い日々でしたからねぇ……一八は心を入れ替えて働きますよ、良い旦那をめっけて、しっかりヨイショしてがっちりと懐に呼び込んで……いいね、心置きなく遊ぶと勤労意欲がふつふつと湧き出してくるってやつですよ、どうも……おや? なんだろう?……」

 見れば大門の脇にたむろしていた屈強そうな男たちが四、五人、薪ざっぽうを手にこっちを目指して走って参ります。

「おう! 見つけたぜ、左平次、よくもいけしゃあしゃあと大門をくぐれたもんだ」
「え? 左平次? あたしが?」
「その着物だよ、上から下までウチの旦那からせしめたそのまんまじゃねぇか」
「え? この着物が?」
「夕べな、二浦屋さんに登楼って行くところを見たんでぇ、まさか踏み込むわけにも行かねぇからここで待ち伏せしてたってわけだ」
「(膝を打つ)道理でろくすっぽ女も見ずに……」
「こいつ、覚悟しやがれ」
「あ、待って、違……痛い痛い、違うんですよ」
「何が違うだ! 往生際の悪い」
「確かに夕んべは左平次さんと一緒にいましたけど、痛い痛い、あたしは……あたしは違う、あたしは幇間の一八と言う者で……あ、やめて、痛い痛い」
「何ぃ? 一八だぁ?おい、ちょっと待て……あ、本当だよ、座敷で何度か見かけたことがあるよ、確かにこいつは幇間の一八だ……やい、一八、お前ぇ、なんだってウチの旦那の着物なんぞ着てうろついてやがんでぇ」
「あたしの着物は左平次さんが着て行っちまいやして……」
「え? 左平次が?……しまった! さっきの奴だ、手ぬぐいで鼻から下を隠してやがって怪しい奴だとは思ったんだが……」
「あっ、あのくしゃみばかりしてた野郎のことですかい?……」
「そうに違ぇねぇや、まさか着物を替えてるとはな、してやられたぜ、悔しいったらないねどうも……おう、一八、お前ぇもどじだぜ、左平次に一杯食わされたんだ、まぁ、働かないで良い思いをしようとした罰だと諦めてくんねぇ……でもまあ、間違えた方も悪りぃや……棒で叩いたりして済まなかったな、でもお前ぇも幇間(たいこ)だ、棒で打たれるのには慣れてるだろう?」
「いえ、もう罰(ばち)はこりごりで……一八だけにキュウ」
 


参考:古今亭志ん朝・鰻の幇間 https://www.youtube.com/watch?v=uNIre7msnbg
   古今亭志ん朝・居残り佐平次 https://www.youtube.com/watch?v=adZG2r1ZaKg
   ウィキペディアでもそれぞれあらすじは読めます。
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