第11話 久しぶりに水泳大会に行って来た(春)

文字数 1,777文字

 春、真っ盛り。北国で春と言えば、梅も桜もリンゴも桃も、さらに木蓮も水仙もサツキもと、花という花が一斉に咲き誇る、最高に美しい季節である。
 花ばかりではない。学校も始まれば、会社は新入社員を迎える。「球春」という言葉があるように、プロ野球も、他のさまざまスポーツでも、新しいシーズンが始まる。水泳もその一つだ。
 日本マスターズ水泳協会の主催する短水路大会が4月から6月にかけて、全国26会場で開催されている。短水路というのは25mプールのことだ。残念ながら山形県で開催される大会は無いので、東京のチーム仲間と一緒に他県に遠征してきた。
 大会に参加すると言っても、私は五十の手習いで水泳を初めた素人スイマーだ。泳ぎ始めの頃、フィットネスクラブのプールで、「邪魔だな、この人」と、同じレーンで泳ぐおばちゃんスイマーから冷たい目で見られていた。それにコロナの3年間、大会参加を見合わせていたので、久しぶりになる。
 退職して最初に衰えたのは脚力だった。それを補おうと毎朝、近所を自転車で走ることにしたが、冬場は走れない。そこで大会に備えて、室内用のサイクリング・マシンで鍛えていたが、その効果は心もとない。日常生活では泳ぎも続けていたが、やはり大会がないとモチベーションが下がる。大会前にギアを上げようと思っても、タイムがなかなか縮まらない。そんな不安の中でのエントリーだった。

 競技が始まった。最初の25m自由形、久しぶりで、力ばかり入って全く進まない。これがブランクによる”試合勘”のなさということだろう。「70歳~74歳区分」とはいえ、こんな爺さんたちに負けるのか、と嘆く私自身が爺さんであることを改めて実感した。
 次の50m自由形。同年代が泳ぐ組でエントリータイム(自己申告の予定タイム)が一番遅い。情けないことにコロナ前のタイムより4秒も遅いが、最近の練習タイムを反映して正直に書いたらそうなった。
 25mでの反省を活かして、今度は力を抜いて大きくゆったり泳ぐことを心掛けて、水に飛び込んだ。それでも水に入ってしまうと、冷静な考えは吹っ飛んで無我夢中だ。レーンはエントリータイム順になっているので、私は一番右端を泳いでいたのだが、25mでターンをしてふと横を見ると、もう誰も見えない。
「え?誰もいない?」
 斜め前方に水しぶきが見える。これは、全員に置いて行かれて、最後方を一人で泳いでいるのだなと思いながら、それでも最後の力を振り絞ってゴールした。電光掲示板を見て、びっくり。39秒もかかったのに、二着でゴールしていた。さっき、ターン後に横の選手が見えなかったのは、他の選手たちが自分より遅れていたのだった。

 ハアハア言いながら上がってきた更衣室で、同レーンで泳いだ人たちの会話が聞こえて来た。
「遅くても38秒位で泳げると思ったのにな」
「俺もだ、まんず遅くて、びっくりしたな」
 毎年少しずつ遅くなるなら「まあ、そんなものか」で済ませられただろうが、ここまでの落ち込みは自覚していなかったのだろう。彼らのエントリータイムは、幻だった。
 水泳のタイムは老化の現実を、客観的に、かつ冷徹に、100分の1秒単位で示してくれる。そこが野球やゴルフのような団体競技や球技とは違うところだ。私の経験では、100m自由形で1年に約1秒、ベストタイムが落ちてきていた。歳を重ねると、その落ちるペースは、加速度的に早くなるのだろう。想定以上に遅いタイムも、どこまでが老化で、どこまでがブランクのせいかは分からない。ただ、人は自分が思っている以上に、確実に、毎年、老化が進む。そんな現実を、今回ばかりは痛切に思い知らされたということのようだった。

 春が来るということは、また一つ歳を重ねたということだ。櫛引から見える山々は、雪化粧と桜が良く似合う。老化を嘆くよりも、またこの景色を見られたことに感謝しよう。
 酒量や食べる量が減ったのは残念だが、身体の衰えよりも気持ちの衰えの方が恐ろしい。退職して「何もやらなくて良い」状態になったのはいいとして、「何もやることがない」のでは困る。「私は自分の人生を創造したの」と言ったココ・シャネルに(なら)って、来年の春に向かって、何かを楽しんで創造してみるとするか。
(2023年4月)

   (母狩山2023年4月) 

  (月山2023年4月)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み