第15話 赤川花火は回想と鎮魂の夕べだった (夏)

文字数 2,221文字

 赤川の河川敷に花火を見に行った。1991年から始まった花火大会の第30回記念大会だという。年数が合わないのは、コロナ禍の3年間、本格的な花火大会が開けなかったからだ。
 この「赤川花火大会」は、全国から()りすぐりの花火師が参集することと、一万二千発もの花火が打ち上げられることで、今や全国でも有数の花火大会として人気がある。観客席5万席に加え、周辺の土手や道路で見物する人も入れれば、優に10万人を超える老若男女が、この夜の花火を楽しんだことだろう。


(河川敷の観客席 2023年8月19日撮影 以下同様)
 私の家内はこの花火大会の30年前を知っている。まだ小さかった子供たちを連れて帰省した折り、近くの実家から歩いて見に行ったのだ。当時は無料で、会場規制もなく、「きっと前の方がきれいだよね」と言って最前方で見ていたら、割れた花火の半球の(から)(玉皮)がドンと数メートル先に落ちて来たという。慌てて後ろに下がったのだが、子供たちはちゃっかりその殻を拾って持ち帰り、翌日「これ、(かぶ)れるぞ」と言ってヘルメット代わりにし、仮面ライダーに変身して喜んでいたそうだ。なんとものんびりした時代だったものだ。
 しかし、私はそこに居なかった。働き盛りの、そしてバブルが弾けたばかりのあの当時、田舎から身一つで上京して住宅ローンを抱えて働いていた自分に、いや自分だけでなく東京で働いていた周りの皆にも、そういう田舎の空気を楽しむ余裕はなかった、そういう時代だった。

 現在の赤川花火大会の見どころは、ミュージック・スターマイン、つまり音楽にシンクロさせてコンピュータ制御した花火を「速射連発」するという、ド派手な打ち上げ方だ。30周年ということもあり、年代別の代表的な曲の大音声に合わせて、次々と、それこそ息つく暇もないほどに打ち上げられる花火に、会場は大いに盛り上がった。私には1990年代の米米CLUB「浪漫飛行」から後は知らない楽曲ばかりだったが、それでも気分は良好、花火を見ながら唐揚げと枝豆で飲むビールは最高だ。

 ミュージック・スターマインのように、音楽に合わせて大いに騒ぎ楽しむ風習は、外国から来たものらしい。「花火というのは、生命のはかなさを大空に打ち上げているのです。静かに祈るものです」という永六輔の言葉があるように、日本で花火は鎮魂の行事だった。赤川花火大会でも、2011年から3年間は「希望の光」というテーマで、東日本大震災で被災した子供たちの、心の支援を目的に花火大会を開いている。お盆が過ぎたこの時期、鎮魂も騒擾(そうじょう)も、再会も新しい出会いも、それぞれの人の思いを乗せて花火は打ちあがる。

 さて、今年はコロナ禍明けということで、屋台も復活した。祭りの屋台や出店(でみせ)を見ると、必ず思い出すことがある。今度は60年前の回想だ。子供心に、自分の家が貧乏だと分かっていたのだろう、屋台の「お面」が欲しいと思っても、それを親に言えなかった。あれは「赤胴鈴之助」だったのか、「鉄人28号」だったのか、はたまた「エイトマン」だったのか、今となっては思い出せないが、そのときの気持ちだけは、祭りのたびに思い起こされる。貧乏なのは自分だけでなく、これもまたそういう時代だったのだろう。

  (復活した屋台)

  (いまどきのお面)
 花火を見て、ビールを飲んで、時代を30年遡ったり、60年前をさ迷ったりしているうちに、大量の花火による煙幕で空が曇り、打ち上げられた花火さえ、だんだん見えなくなった来た。赤川花火では、女性司会者の「パタ、パタ、パタ」というアナウンスに合わせて、みんなで団扇(うちわ)を空に向かってあおぐのが恒例となっている。5万人もの人が一斉に団扇をあおげば、少しは効果があるのかしら、などと思ってみたが、やはり煙幕は晴れない。
 そこに、またミュージック・スターマイン。速射連発の嵐で、赤い火、青い火が炸裂(さくれつ)し、一面の煙幕を染める。ドーン、ドーンと腹に響く轟音(ごうおん)が鳴り続ける。私には、突然、ウクライナの戦場が見えた気がした。ヒュル、ヒュル、ヒュルと長い尾を引いて上がる白い玉は、さながら砲弾のようだ。
 その時は、こんな連想をする自分は考えすぎなのかと思った。しかし、「スターマイン」の意味は何だろうと英和辞典を引いて分かった。”starmine”は辞書に載っていない和製英語だった。starは星だが、mineには ”I, my, me, mine” の mine の他に「地雷(で爆破する)」という意味があったのだ。

  (戦場を思わせるような煙幕)
 そう言えば、ウクライナ戦争で火薬が不足し、弾薬も花火も値段が高騰しているというニュースがあった。

 放浪の天才画家として広く知られる山下清(裸の大将のモデル)は、花火が大好きだったという。全国の花火大会を訪ね歩き、その情景を描いた。「長岡の花火」は彼の代表作と言われる。しかしそれ以上に良いと思うのは、彼の言葉だ。

「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」

 その山下清は、線香花火を見て「綺麗だな、これは魂だな」と言った。まさに鎮魂の花火である。平和な日本で花火を見られることに感謝し、戦争で傷つき死んでいったウクライナやロシアの若者に思いを馳せ、一日も早い戦争の終結を願うばかりである。

 玉落ちて 線香花火 闇を呼び (痩竹)

(2023年8月20日)

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