第9話 日の光に誘われて走ったらまだ冬だった(春の少し前)

文字数 1,466文字

 二月二十八日は金峯山(きんぼうざん)の山開きで、前夜には(ゆき)燈篭(どうろう)祭が行われるという。早速、出かけてみた。
 (ふもと)からのシャトルバスを途中で降りて、中の宮までゆっくりと参道を上る。道沿いに置かれた竹筒の灯が風に揺れて心もとない。雪が残る坂道は滑りやすく、家内と手をつないでヨタヨタ歩いていると、子連れの家族に追い越された。
 深雪の坂道を助け合いながら上ることから、この祭りは別名「縁結び祭り」と言うのだそうだ。なるほど、みんな手をつないでいるわけだ。いっそのこと凍ってツルツルの方が良いのではと思うが、今年は暖かくて雪も少なめだ。それでも、頂いたチラシには「縁結びの神、効果ばつぐん!」と書かれている。

 雪灯篭の数も今年は雪不足で少ないそうだが、暗闇をほのかに照らす光は幻想的だ。にごり酒を頂き、獅子舞を見ていると、このお祭りは当地のお正月みたいなものなのだろうなと感じた。普段はあまり見ない若い男女が大勢いるのを見ると、ほっとする気分だ。



  (2023年2月27日撮影)
 三月の初めだというのに、田んぼの雪はすっかり溶けてしまった。大雪の日はあったが、雪の後に雨が降るので、道路も庭もあっという間に雪が消えてしまう。
 見上げると青空が広がっていて、心が軽くなる。春が来たぞとウキウキする気分は、北国の人間には特に強く感じられるものだろう。その気分のまま、小屋にしまっていた自転車を引っ張り出した。今年はもう外で自転車が()げるんだ、と叫びたい気分だった。

 (2023年3月6日撮影 吹きさらしの道)
 空気入れでタイヤをパンパンにすると、早速いつものサイクリングコースへ。久しぶりの自転車はなんて気持ちがいいんだろう……と思ったのも束の間、広い田んぼの中の、吹きさらしの道で、向かい風をまともに受けてしまった。ギアを落として前進しようとしても、まったくスピードが上がらない。
 毛糸の帽子を被っているのに、耳がジンジンする。(あえ)ぐ口には、氷のような風が入り込んで来る。田んぼに雪は無いが、山々はまだ雪を(かぶ)ったままだから、寒いのは当たり前だろう。私は泣きたいような気持で、必死に自転車を漕ぎ続けた。明るい太陽の光にすっかり(だま)されてしまったようだ。


(サイクリングコースから月山と鳥海山)
 雪の消えた庭にはフキノトウが顔を出していた。私が育った秋田では「ばっけ」と呼び、そのまま刻んで味噌汁に入れても、また「ばっけ味噌」にしてもいいが、何と言っても一番は、採りたての天ぷらだろう。
 やはり季節には順番がある。まずは、このフキノトウで春の(きざ)しを美味(おい)しく頂き、もうしばらく、春が来るのを待つことにしよう。                         

  (2023年3月6日撮影フキノトウ)
 さて三月八日は、ハチの命日である。あの渋谷の駅前に銅像が建っている忠犬ハチ公だ。
 折りしも今年は生誕100年に当たるが、その忠犬ハチ公の像が鶴岡駅にもあることを知った。
 鶴岡出身の動物愛護家、斎藤弘吉氏がハチ公と上野英三郎先生とのエピソードを全国に知らせ、銅像の発起人にもなったのだという。その後、銅像は戦争への資材供出のため溶解されたが、再建のために初代の制作者である安藤照氏のご子息、彫刻家の安藤(たけし)氏が制作したのが、この鶴岡駅の石膏像なのだという。(鶴岡駅内の説明文より)
 東京で、若い頃から通勤途中に見ていた忠犬ハチ公と、鶴岡で再会できるとは思ってもいなかったので、少し驚き、そして何か嬉しい気がした。

  (2023年1月22日 鶴岡駅にて撮影)
(2023年3月)

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