第1話 ゆったりと野の草花を見る(夏の終わり)

文字数 1,684文字

 今年の夏も、もうすぐ終わり。気温が高くて雨模様の日が多く、やたら蒸し暑いだけで、海水浴にも行けない……、そんなすっきりしない日々が続いた後に、突然、嘘のように爽やかに晴れ上がった八月下旬の二日間は、ちょうど遠方から遊びに来ていた来訪者たちには特別のご褒美だったろう。

 彼らをどこに連れて行こうかと、さんざん思案していたが、天気さえ良ければ、何も悩むことはない。ここ櫛引(くしびき)からは、羽黒山の五重塔も、月山の弥陀ヶ原も、どうということの無い距離である。
 くねくねとした道を車で上ること約1時間、月山八合目に降り立つと、眼下には庄内平野が広がり、南には朝日連峰、そして北には鳥海山が雲から頭を出している。その絶景に声を上げ、山歩きが好きな来訪者たちは、嬉々(きき)として弥陀ヶ原湿原の散策路に向かって行く。

 木道を一緒に進むうちに、その歩くリズムの違いに気が付いた。草花に詳しい彼らは、湿原のガイドのようにそこここで立ち止まり、野の草や花を指差しては、その名を呼びあっていて、一向に前に進まないのである。
 驚くほどゆったりと木道を進む彼らが見つけた草花は、キンコウカ、タテヤマリンドウ、シロバナトウチソウ、ミズバショウ、オゼコウホネ、ハクサンフウロ、イワイチョウ、ウメバチソウ、ミヤマリンドウ、ナナカマド、ニッコウキスゲ、ツルアリドウシ……。この湿原には百数十種の高山植物があるというので、これでもまだほんの一部なのだろう。高山に()むという“ヒメオオクワガタ”も木道の上に発見し、後から来た人に踏み(つぶ)されないようにそっと逃がしてやった。
 こうしてゆったり回ること、約2時間、まだまだ居足りないような顔の来訪者たちを、次の目的地である下池やクラゲの水族館に急がせるのも、私の役割だ。それにしても、このゆったりさは何なのだろう。

 実は、私がこの弥陀ヶ原に来るのは三回目だった。
 弥陀ヶ原には、池塘(ちとう)と呼ばれる小さな沼が点在している。高原に散らばるこの小さな沼の向こうに鳥海山が浮かぶ姿や、月山の頂上に向かって緑の稜線が伸びる景色は素晴らしいものである。
 しかし、花の名前などトンと(うと)い私は、山歩きというのは、その景色を見ながら、可能な限りせっせと歩くものだと思い込んでいたので、前の二回は、同じ距離を半分の1時間で回っていた。しかし、それは山歩きの素人である私の大いなる誤解だったようだ。

 そこでふと思い当たった私は、思わず叫び、そして笑ってしまった。
「これって、自分の人生の()(かた)、そのままじゃないか!」

 何をするにも、急がなくてはならない、一生懸命やらなければならない……、誰に言われたというのでもなく、(なら)(せい)となり、自分を追い込んでいたのではないか、もう少し、人生の途中で立ち止まりながら、ゆったりと生きるということもできたのではないか。

 彼らの帰った翌朝、日常が戻ってきて、私はいつものように早朝のサイクリングに出かけた。走りながら、それまでとは景色が少し違って見えることに気が付いた。金峯山(きんぼうざん)や周りの田んぼ、遠くに見える月山は、何も変わらず、いつもどおりに綺麗で気持ちの良い朝なのだが、それに加えて、畦道(あぜみち)に生える草花、収穫が進む枝豆や葡萄に目がいく。小さな実が付いた洋梨はラフランスだろうか、色づき始めた林檎も気になる。物音に驚いて目の前を大きな翼を広げて飛び去るアオサギと、それを追うように飛び立った(つがい)白鷺(しらさぎ)にもしばらく見とれていた。来訪者たちのおかげで、私も少しは変われたのかな、と思った。



 やがて家に戻るため、両側を田んぼに挟まれた長い直線の農道に出ると、無意識に脚がペダルを力強く押し下げた。どんどんスピードが増していく。太腿の筋肉に負荷を感じながら一生懸命、()ぎ続ける。コロナで(なま)った脚力を取り戻さなくては、少しでも速く、少しでも前に……。
「あっ、しまった。あっという間に、いつもの自分に戻ってしまった!」
 
 人はそう簡単には変われないけれど、変わっても良いかな、と思えることが大事なんじゃないだろうか、そんな言い訳をして、額の汗を(ぬぐ)った。
 (写真は2022.8筆者撮影)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み