第17話 由良の夕陽を見て愛を語れ(夏から秋に変わる日)

文字数 1,487文字

「暑さ寒さも彼岸(ひがん)まで」とは、よく言ったものだ。
「今年はもう秋が来ないのでは」と思わせるほどの猛暑が続いていたのに、お彼岸になって一気に気温が下がった。慌てて長袖を羽織り、少し厚手の掛布団を引っ張り出した。
 それはデータでも明らかだ。秋分の日の9月23日、鶴岡市の一日の平均気温は初めて20度を下回り、最低気温も13.6度になった。お彼岸前の19日の最低気温が23度だから、一気に10度も下がった。うっかりすると体調を壊してしまう。

 仕事を辞めて晴耕雨読の日々になると、曜日の感覚がなくなる。天気予報だけは毎日こまめに見て、明日は何をしようかと考える。そういう生活なので、お彼岸が休日であることさえ忘れていた。いや、正確に言うと秋分の日が休日なのだが。
 秋分の日は、春分の日と同様、一日の昼と夜が概ね同じ長さになる日であり、極めて天文学的な話である。
 一方、彼岸は、文字通り「河の向こう岸」であり、「仏教で、迷いから脱して煩悩(ぼんのう)を超越した(さと)りの境地」のことだ。お彼岸(ひがん)は、秋分(春分)の日を中日とした前後三日間、つまり七日間あり、この間にしっかり修行(波羅蜜(はらみつ))して悟りの境地を目指すことが求められている。こちらは極めて宗教的な話である。

 ではその二つがなぜ結びつくのか。秋分(春分)の日は、此岸(しがん)(岸のこちら側)と彼岸(ひがん)がもっとも近くなるからとか、太陽が真西に沈むので西方極楽浄土への信仰だとか、(いわ)れはいくつかあるようだが、確かなのは、それが平安時代の初めから千年以上も日本人の生活に根付いているということだろう。しかも、お彼岸に墓参りをし、先祖を供養するのは、日本固有の行事だという。
 だとすれば、そこには農耕民族である日本人の土着信仰が関係するのだろう。春には豊穣(ほうじょう)を祈り、秋には収穫に感謝して、太陽と先祖を(まつ)る「日願(ひがん)」という行事があったそうだ。それが仏教の教えに吸収されたという説に、説得力があるような気がする。同じ祈りと感謝をもって神輿(みこし)(かつ)げば、それは神に(ささ)げる秋祭りになるのだろう。
 仏教徒ではない私も、お彼岸には墓参りをする。今は、両親の墓が東京にあるので行けないが、「たまの参拝より毎日の拝顔」と割り切って、毎朝、両親の写真にお茶をあげ「おはよう」と声を掛けている。その根っこにはやはり、仏様でも八百万(やおよろず)の神様でもない、先祖への思いがあるのだろう。


(2023.10.2撮影 例年より少し遅い彼岸花とトンボ)
 さて、太陽が真西に沈むというお彼岸の日、由良海岸の夕陽を見に行った。晴れていても雲に(さえぎ)られて夕陽を見られないことが多いのに、この日は真っ赤な夕陽が、水平線に溶け込むように落ちてきて、そのまま沈んでいった。


 (2023年9月22日撮影)
 なぜ、人は沈む夕陽に心を奪われるのだろうか。朝焼けの空もきれいだが、上る朝日よりも、沈む夕陽に心が(いや)される。一日の終わりに安らぎを感じるからか、それとも人生の悲哀をその暖かな光のうちに包んでくれるからか。そう言えば、夕陽の記憶はいつまでも心に残るようだ。知床の夕陽台、沖縄の慶良間諸島……みんな忘れられない。

 地元の人から、由良海岸は若者がプロポーズに来る場所だと聞いた。自分がプロポーズしたのは、こんなにロマンチックな場所ではなかったな。
 何もしなければ何も起こらない。今、迷っているあなた、由良の海に沈む夕陽を見ながら、思いを打ち明けてみませんか、きっと何かが起こりますよ。

 (2023年9月22日17:32撮影)

 (2019年7月7日19:05撮影)
 (季節によって沈む時間も位置も大きく変わる)
(2023年9月)
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