第21話 正月早々“怪物熊”が教えてくれたこと(冬)

文字数 2,326文字

 年末にドカ雪が降ったが、その後は暖かい日が続き、ここ櫛引では穏やかな正月を迎えた。
 しかし正月早々、能登半島では大地震が起こり、羽田で飛行機事故も起きた。なんという新年の始まりだろう。被災された方、事故にあわれた方に、心よりお見舞い申し上げます。
 一方で、地獄の縁をのぞきながらもパニックにならず、冷静沈着に行動して全員脱出できたJAL機の乗員・乗客の方々には心底、感嘆した。世界中からの賞賛に(あたい)する勇気ある行動だと、とても誇りに思う。

 さて、櫛引でも毎日のように流れていた熊の目撃情報がパッタリ止まり、熊たちもようやく冬眠してくれたようだ。しかし、一度里山のエサの在りかを知った熊たちが、もう冬眠は(いや)だと、いわゆるアーバンベアになる日が来るのではないか心配だ。
 そんな折り、再放送されたNHKスペシャル「OSO18“怪物ヒグマ”最期の謎」を見た。OSO18とは、乳牛を何十頭も襲ったヒグマの呼称である。目撃情報のあった標茶(しべちゃ)町オソツベツの地名と、前足の幅(長さではない)が18cmということで命名され、怪物と恐れられていた。そこから抱くイメージは、凶暴化した若い巨大な熊、あるいは何年も猟銃の弾丸(タマ)の下を(くぐ)り抜けて来た老練な熊、というところだろう。
 番組タイトルの「謎」とは、何年も追い続けて捕獲できなかったその怪物が、いともあっさり射殺され、OSO18だと知られることも無く解体業者に渡されてしまったこと、そして射殺時の写真からは、前足の幅が20㎝もあったと報道されたことを言う。  
 OSO18を追っていたベテランの猟師は、そのニュースを見て「なんぼ計っても20㎝なんてないよ」と吐き捨てた。猟師の目も(あざむ)く巨大熊だったのか?
 NHKのディレクターは、監視カメラの映像を分析して移動経路や周辺の熊たちの動勢を調べた。猟師たちと一緒に、現れた場所や射殺された現場に迫った。証拠を求めて、ダンプカー3台分の堆肥(たいひ)の中に埋もれているはずの骨を、4時間にわたってレーキ(熊手)でかき回して発見。大学の研究者がその骨をスライスして科学的に分析し、何を食べていたかを年齢別に明らかにした。その結果得られた推論は、次のようなものだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 OSO18は、乳牛を襲う前から肉食化していた。そのきっかけは、放置されたエゾシカの屍肉(しにく)を食べたことではないか。エゾシカは、保護政策により急激に数が増え、今では年間10万頭もが計画的に捕獲・射殺されている。熊はもともと果実や草だけを食べ、冬眠で冬を越せるように、長い年月をかけて進化してきた。その熊が、進化の方向とは逆に肉食化することで、病気になったのではないか。そのためか、死後の写真から幅20㎝と報道された前足は、(てのひら)も指の関節も異様に()れていた。
 OSO18は、本当なら元気盛りの9歳位なのに、ものすごく臆病で、日中は(やぶ)に身を潜めて決して姿を現さず、ベテラン猟師たちの目や猟犬の鼻から逃れて来た。繁殖シーズンには、自分より元気で大きいヒグマに追い払われ、ドングリや(ふき)も胃が受け付けなくなり、南をめざして逃げた。体重500㎏の大きな乳牛に反撃され、角で突かれて怪我をし、退散したこともあった。胃の中はからっぽで、()せ細り、ついには牧草地で倒れて動けなくなった。そこを発見され、熊を撃った経験もない役場職員に、あっけなく撃ち止められ、解体業者に渡されてしまった。OSO18が倒れた牧草地のもう少し先には、彼にとって安住の地となるはずだった野生動物の楽園、鳥獣保護区があった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 人間の営みが動物の行動を変え、野生を失わせ、自然と共生できなくしてしまった。第二、第三のOSOは必ず現れるだろう。この調査報道によって明らかとなった多くの事実と、そこから見えてきた、少し哀しみさえ覚える真実に、人間と自然とのかかわりについて深く考えさせられた。

 ニーチェは言っている。
 ―事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけである―
 SNSは何でも呑み込んで荒れ狂う。事実といわれる情報は嘘を(はら)み、解釈はいつだって(ゆが)む。「冷静な大衆」という言葉は自己矛盾であり、“怪物熊”はどこにでもいる。

 昨今、とかくNHKの報道姿勢が議論を呼ぶが、あるべきは丹念な事実調査に基づく公正な放送に尽きる。今回見たNHKスペシャルのディレクターの執念は見上げたものだが、NHKにはさらに別な“怪物熊”の実態に迫ることを期待したい。それは、活断層だらけの日本における原発なのか、襲い来るミサイルの脅威なのか、あるいは情報を隠す政府と忖度(そんたく)するマスコミなのか。言論の自由と報道の自由、そして知る権利は民主主義の核心なのだから。
 そして、日本自身が”怪物熊“にならないよう、もたらされた情報を解釈し、正しい解決策を見つける責任は私たち自身にある、そう思いを新たにした。

 今年がより良い年になりますようにと、善寳(ぜんぽう)寺に初詣に行った。
 五重塔の四面に彫られた十二支の中から、今年の干支である辰を拝もうとして、「あれっ?」となった。
(五重塔の干支については、第7話「帰り来る人、迎える人」参照)
 ()()の間にあるのが辰に違いないが、彫られていたのは辰ではなく大きな魚のようなもの(顔は龍?)に乗っかっている人の姿だった。

 ホームページには「辰年だけは龍の姿で彫られてはおりません」と思わせぶりな書きぶり。思えば、善寳寺は龍神様を(まつ)るお寺である。五重塔は海の生き物の供養塔として漁師さんたちの祈りと共にある。きっとこれは龍神様なのではないだろうか。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 (2024年1月)

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