第17話 The Pillow Book(伝奇集)
文字数 2,207文字
Aの奇譚
洗っていない足のことで叱呵されたお化けが、口を動かして反論を試みるが、声が潮騒にかき消されるというよりも、彼に口も声帯もないことが原因で、どうにももどかしい思いを極限までさせられた。その憤懣を、せめて我が身をよじることで物理的に熱放射して散じようとするのだが、彼には体もないのだ。そこで我慢も限界だから逃げ去ろうとするのだが、彼には足がないのだ。
Bの奇譚
広くひらかれた投稿サイトというものも、初期のころと違って、二次創作というものを厳に禁じる流れだ。
そもそも私は記憶力が乏しいという自分の性質から、二次創作というものに手を出したことがない。
「そうなの?」女の声が云った。
私はPCに向かってこれを書き出したところである。
ラムネ臭い、女の髪の艶かしい匂いが鼻腔を刺激した。
「こんな話、興味ないだろうに」わたしは珍しく酒の入っていない口で応じた。
「でも読んでみたいなあ、あなたの書く『プリキュア』」
私は笑った。
「それよりも、きみはどこにいるの?」
「あなたに殺されてから? ずっとそばにいるよ」
思い出の、彼女との軽装での登山が記憶にクリアに、緑が薫る山路とともに再現された。出掛けみても、まだ逡巡していた私の気持ちも定まり、私の横を楽しげに歩く彼女の手を、私は心底からのやさしい思い遣りをもって、私の掌中につつみこんだ……
窓外に初夏の雑木林が風にゆれるのにも、縁ある霊を感じられ、光の散乱に、あれから十年以上も経つのかと目も眩む思いである。
Cの奇譚
指が一本ニョッキリと、女の額の生え際から現れた。不健康な者の、青みがかった人差し指だ。
僕と女は一緒にシャワーを浴び、ベッドにならんで寄り添うと、窓外の樹木を梅雨が濡らしつづけるのを眺めながら煙草を吸っていた。
セックスの後に一本の煙草を分け合って吸うのが美味い、的な、ジム・ジャームッシュ的シャレっ気を出しているわけではなく、たんに二人ともニコチン中毒なので、僕たちはセックス前に、あらかじめ十分な補給がないとセックスを完遂できないのだ。それぞれに自分の煙草を吸う。
飽きもせずに降り続ける雨に、僕はちょっと賛嘆の辞をおくりたくなって、賛美の気分を彼女とシェアする欲望の発生に身をまかせて彼女を振り向くと、彼女の髪の生え際から指が出ていた。
僕が見ていると、やがて、その指はシャクトリ虫のような運動をはじめた。一種の屈伸運動と云えるかもしれない。
彼女の視界には入らないのか、女は、いつもとちがった風情をみせない。
あるいは、そういう女だったのだろうか? と僕は考えた。
つきあって一年くらいになるが、彼女のことを僕はまだ理解できていない。
「きみは何事にも動じないタイプ?」
女は雨に遊ばせていた目を天井にむけて、ちょっと考えこむ風だった。
「そんなことないと思う」やがて彼女はそう云った。
僕たちはいつもどおりの、しんねりしたセックスを楽しんだ。
彼女の額の指は、キスのときや、彼女がしてくれる口淫のときに、僕の顔や体に触れ、僕に違和感をもたらした。そのせいで、数秒の誤差で、僕の射精が早まってしまった。
「だいじょうぶよ。妊娠しにくい期間だから」彼女はそう云ってくれたが、むしろ子供ができたほうが、結婚へのふんぎりがつくから、そのほうがいいと、僕は思った。
Dの奇譚
精肉店を経営するオヤジが、連続殺人鬼として逮捕された。
報道に接した者のなかには、肉屋のオヤジが店先で販売していた肉について、アレコレと邪推しておもしろがる連中がいた。遺体、とは名ばかりの、きれいな骨しか発見されなかったからだ。
が、僕はそう思わない。彼は仮にも僕の父親なのだ。そして僕たち家族はとうぜん、肉といえば、うちの店で扱っている肉だけを食べてきたのだから。
父親が塀のむこうに消えたあと、僕たち家族(母、僕、妹弟)は、怪奇な現象に悩まされた。
肉と骨との間を、なにかが冷たく通過するのを感じた。一瞬、水風船のように僕たちはふくらんだ。
そして僕たちは積み重なった肉塊であり、まるで潜水服のように、自らを運動させる力を持たなかった。動きたくても動けず、自らの重みを感じるだけだった。
僕たちの骨は、内臓を含んだ肉袋となった僕たちをふりかえることなく、不安に暗い僕たちを残して、歩き去っていった……
Eの奇譚
ドアの外からトントントン
女「だあれ?」
男「絨毯です」
女「ああ絨毯さん。はやかったですのね」
女、ドアを開ける。
女「(もういちど)早かったですのね」
男「いいえ、ほんとは一時間前主義なのに三十分前になってしまって」
そう云いながら入ってきたのは、丸まった青い絨毯。
女「(女、口に手をあてて云いづらそうに、しかしズバリと)あれえー。パープルの絨毯たのんだのに」
絨毯「だいじょうぶです。お風呂に入れてください、そしたらパープルですよ」
女「見知らぬ方を、はじめてお迎えしたお家で、お風呂に入っていただくなんて。はしたないですわ」
絨毯「知らない仲でもないでしょう。たしかにお会いするのは初めてですが、ぼく、お風呂に入りさえすればパープルの絨毯なんですから。ご注文の品なんですから」
女「(また口に手をあてて)まあ、強引ですこと。こんなに強引だってわかっていたら、頼みませんでしたわ」
絨毯「もう、それ以上はおっしゃらないで。でないと」
丸まっていた絨毯が拡がり、女におおいかぶさる。
洗っていない足のことで叱呵されたお化けが、口を動かして反論を試みるが、声が潮騒にかき消されるというよりも、彼に口も声帯もないことが原因で、どうにももどかしい思いを極限までさせられた。その憤懣を、せめて我が身をよじることで物理的に熱放射して散じようとするのだが、彼には体もないのだ。そこで我慢も限界だから逃げ去ろうとするのだが、彼には足がないのだ。
Bの奇譚
広くひらかれた投稿サイトというものも、初期のころと違って、二次創作というものを厳に禁じる流れだ。
そもそも私は記憶力が乏しいという自分の性質から、二次創作というものに手を出したことがない。
「そうなの?」女の声が云った。
私はPCに向かってこれを書き出したところである。
ラムネ臭い、女の髪の艶かしい匂いが鼻腔を刺激した。
「こんな話、興味ないだろうに」わたしは珍しく酒の入っていない口で応じた。
「でも読んでみたいなあ、あなたの書く『プリキュア』」
私は笑った。
「それよりも、きみはどこにいるの?」
「あなたに殺されてから? ずっとそばにいるよ」
思い出の、彼女との軽装での登山が記憶にクリアに、緑が薫る山路とともに再現された。出掛けみても、まだ逡巡していた私の気持ちも定まり、私の横を楽しげに歩く彼女の手を、私は心底からのやさしい思い遣りをもって、私の掌中につつみこんだ……
窓外に初夏の雑木林が風にゆれるのにも、縁ある霊を感じられ、光の散乱に、あれから十年以上も経つのかと目も眩む思いである。
Cの奇譚
指が一本ニョッキリと、女の額の生え際から現れた。不健康な者の、青みがかった人差し指だ。
僕と女は一緒にシャワーを浴び、ベッドにならんで寄り添うと、窓外の樹木を梅雨が濡らしつづけるのを眺めながら煙草を吸っていた。
セックスの後に一本の煙草を分け合って吸うのが美味い、的な、ジム・ジャームッシュ的シャレっ気を出しているわけではなく、たんに二人ともニコチン中毒なので、僕たちはセックス前に、あらかじめ十分な補給がないとセックスを完遂できないのだ。それぞれに自分の煙草を吸う。
飽きもせずに降り続ける雨に、僕はちょっと賛嘆の辞をおくりたくなって、賛美の気分を彼女とシェアする欲望の発生に身をまかせて彼女を振り向くと、彼女の髪の生え際から指が出ていた。
僕が見ていると、やがて、その指はシャクトリ虫のような運動をはじめた。一種の屈伸運動と云えるかもしれない。
彼女の視界には入らないのか、女は、いつもとちがった風情をみせない。
あるいは、そういう女だったのだろうか? と僕は考えた。
つきあって一年くらいになるが、彼女のことを僕はまだ理解できていない。
「きみは何事にも動じないタイプ?」
女は雨に遊ばせていた目を天井にむけて、ちょっと考えこむ風だった。
「そんなことないと思う」やがて彼女はそう云った。
僕たちはいつもどおりの、しんねりしたセックスを楽しんだ。
彼女の額の指は、キスのときや、彼女がしてくれる口淫のときに、僕の顔や体に触れ、僕に違和感をもたらした。そのせいで、数秒の誤差で、僕の射精が早まってしまった。
「だいじょうぶよ。妊娠しにくい期間だから」彼女はそう云ってくれたが、むしろ子供ができたほうが、結婚へのふんぎりがつくから、そのほうがいいと、僕は思った。
Dの奇譚
精肉店を経営するオヤジが、連続殺人鬼として逮捕された。
報道に接した者のなかには、肉屋のオヤジが店先で販売していた肉について、アレコレと邪推しておもしろがる連中がいた。遺体、とは名ばかりの、きれいな骨しか発見されなかったからだ。
が、僕はそう思わない。彼は仮にも僕の父親なのだ。そして僕たち家族はとうぜん、肉といえば、うちの店で扱っている肉だけを食べてきたのだから。
父親が塀のむこうに消えたあと、僕たち家族(母、僕、妹弟)は、怪奇な現象に悩まされた。
肉と骨との間を、なにかが冷たく通過するのを感じた。一瞬、水風船のように僕たちはふくらんだ。
そして僕たちは積み重なった肉塊であり、まるで潜水服のように、自らを運動させる力を持たなかった。動きたくても動けず、自らの重みを感じるだけだった。
僕たちの骨は、内臓を含んだ肉袋となった僕たちをふりかえることなく、不安に暗い僕たちを残して、歩き去っていった……
Eの奇譚
ドアの外からトントントン
女「だあれ?」
男「絨毯です」
女「ああ絨毯さん。はやかったですのね」
女、ドアを開ける。
女「(もういちど)早かったですのね」
男「いいえ、ほんとは一時間前主義なのに三十分前になってしまって」
そう云いながら入ってきたのは、丸まった青い絨毯。
女「(女、口に手をあてて云いづらそうに、しかしズバリと)あれえー。パープルの絨毯たのんだのに」
絨毯「だいじょうぶです。お風呂に入れてください、そしたらパープルですよ」
女「見知らぬ方を、はじめてお迎えしたお家で、お風呂に入っていただくなんて。はしたないですわ」
絨毯「知らない仲でもないでしょう。たしかにお会いするのは初めてですが、ぼく、お風呂に入りさえすればパープルの絨毯なんですから。ご注文の品なんですから」
女「(また口に手をあてて)まあ、強引ですこと。こんなに強引だってわかっていたら、頼みませんでしたわ」
絨毯「もう、それ以上はおっしゃらないで。でないと」
丸まっていた絨毯が拡がり、女におおいかぶさる。
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