第10話 椅子に座ったまま、今日も眠りに

文字数 893文字

 夜のそよ風は悪魔のようにほほ笑み、白いドレスの彼女を一歩分だけ僕から遠ざけた。あと半歩で、彼女は街灯がつくりだしたサークルから消えてしまうかもしれない。
「どうしたの?」僕はきいた。
 彼女はこたえない。
 彼女は体をふるわせると、僕を見たまま両腕で自分自身を抱きしめた。
「さむいの?」
 彼女のほうへ踏み出せば、なぜだか彼女がさらに退きそうな気がして、僕は動けなかった。
 彼女は僕におびえているのだろうか? なぜ?(僕と帰るのだよ。逃げるな)
「さあ帰ろう」僕は彼女にやさしく呼びかける。
 彼女はその場から動かず、釘づけにされたように僕から目をはなさない。またふるえて、口を小さくひらいた。声はださない。口のはしからなにか黒いものが出てきた。それは毛虫のようにもぞもぞと這い出てくる。
 毛虫ではなく、文字だった。彼女の口のはしから文字がぶらさがる。『こびと』という三文字。
 彼女はひどく苦労してのように右腕をあげ、僕を指さした。(神が僕を邪魔するのか)
「ああ」僕は微笑んでいった。
 そして肩から小人をおろして手にのせた。(おびえるな、獲物よ、美しき女。ついてきたのはきみじゃないか)
「きてたんだね」と、小人にあいさつして、「逃げたらだめだよ」と彼女にいった。「このサークルからはずれたら、まっさかさま。二度ともどれないよ」
 そういっている途中でもう、彼女はあとずさり(せめてキスしてくれという願いもあえなく)、闇の深淵へと落下していった。神の輝ける闇へと。
 しかたない。しかたないことだ。

 断頭台も備わる夢のような屋敷に僕ひとり。小人とわかれた僕はアデランスをはずし、コニャックを飲みながら黴(かび)臭い肘掛け椅子に座って中学の卒業アルバムをながめる。両親の首をシャンデリアがわりに、あるいはハロウィーンのかぼちゃのように、唯一の灯りとして。

 両親、僕を愛してくれた唯一の人たち。否。僕が必死に求めた、あれほど求めた愛をくれなかった人たち。彼らの首がシャンデリアとなっても投げる光は暗い。その光はやがて卒業アルバムも見えない暗さとなり、僕の首はカクンと落ちて、僕はひたすら暗い眠りを眠った。
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