第33話 シグナル

文字数 1,609文字

 親戚が養鶏場を経営していて、そこから離れた彼の実家でも10羽ほどは飼っていた。食べるためである。屠殺しては補充するかたちだったと思う。
 その家というのが僕の隣家だったので、鶏をシメル(屠殺をそう称していた)のを僕も幾度となく見たものである。
 
 養鶏場を経営する夫婦のほうは、養鶏場の敷地内に家をもって子供三人と暮らしていたので、そこから10kmほども離れたこちらには経営者の両親たる老夫婦だけが住んでいた。老婦が僕の祖母の妹だった(彼女は何十年も前の事故によって歩けない身体となり、常に奥の寝室でベッドに横になっていた。尿瓶のにおいの色濃さが、僕の記憶にまとわりついている)。
 鶏を自家で食べようと思いたったり、僕の家にくれようと思えば、親戚のおじいさんは、ガレージと物置をかねた小屋のケージから、やおら鶏を、チキン走りでコッコッと逃げ惑うそれの首のところを手づかんで連れ出し、バネのような躍動感をもって肉体を悶えさせ鳴き騒ぐのをグッと抑えつけて、片手にしたゴツイ包丁で「バンッ」と斬首するのである。
 と、首を失った鶏はパッと立ち上がり、全速力のような様相で疾走、逃げ出すのである。そして敷地がとぎれる辺り(20mほど先だったろうか)で、パタッと倒れる。
 パタッと簡潔に、きれいに横様に。きわだつ静止の印象を、静寂として辺りに刻印して。
 つい先まで、あんなに鳴き喚いていたのに。
 昼間のまばゆい光が降る日常の自然を、幻想的ともいえるも世界に変じてみせたので、僕ら子供たちは
「ほーッ」と、嘆声をあげたものだ。
 つかまえられ、抑えつけられた鶏は逃げることにおおわらわとなっていただろうし、首を切断されたとて、その頭からの信号は体の神経系に貯留し、断頭後、体を自由にされた鶏は、今や別個のものとなった頭の指令に忠実に遁走したというわけだった。
 ビュッと出した血溜りと頭部を残し、赤い航跡を引いて。

 いわゆるグロ動画サイトをビジットしたことがあって、そのとき、インド辺りの交通事故の動画をみた。
 バイクで、交通の激しい大きな交差点を曲がろうとした男性が、直進してきたダンプカーに轢かれ、巨大で重厚な車体の下へと完全に巻き込まれる。ダンプが画面から消えると、そこには下半身を失った男性が身悶えしている。腕をバタバタして絶命することなくもがいているのだ、上半身のみの体で頭をもたげ両腕をふりまわして、ひどく苦しげに。
 目撃者たる中年の女性は、はじめ両手で顔をおおって出来事の衝撃に堪えたが、一拍おいて顔から手をはなすと、路上で苦悶する男性を指差し、まるで被害者を非難するように、体を折ったり頭を抱えたり、また男性を指差し憎悪まで高まった心底からの怒りをこめて彼にむけて怒鳴り始める(その音声はないが、無音のうちにも絶叫のごとき怒声は僕に届いた。以下に記す声についても、動画上にその音があるのではない)。
 ショックが深甚であれば、この女性のように、人間は奇妙にも見えるふるまいに駆られるようだ。
 尤も、奇妙なことではない。こうした苛烈な悲惨に遭えば、怒りが先鋭化して現れるのはむしろ自然なことだと僕には思える。
 彼女という一個の人間が、なんの留保もなしに不条理(理解を超えた状況)へと引きずり込まれたことへの反応なのだ。彼女に温かい血のかよった心があるからこその。
 彼女が被害者のために哀しんでいること、画面中で誰よりも彼女が彼に心をかけていることは、その怒鳴る姿のうちにも明らかなのだ。
 女性の怒声には、被害者との意思疎通をこころみる悲痛さがあり、彼は苦悶の中にのたうちながらも可能な瞬間には彼女の顔を食い入るようにみつめる。
 痛ましい動画であり、こういうものは公開も視聴も冒涜だと実感した僕は、こうしたサイトを二度は訪うていない。

 こういったことを思い出すというのは、云うまでもなく記憶への応答なのだ。
 記憶よ、
「こんにちは」
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