(公衆電話三)百貨店屋上、二月

文字数 4,902文字

 ねえきこえてる受話器を通して、ねえこっちの音そうあなたの好きだった東京の音、今わたし木馬百貨店屋上の公衆電話からかけているから、ええ相変わらずよ土曜日の夜だから見下ろせばネオンの眩しい瞬きと祭囃子のような人波、でもわたしは仕事だから、これから百貨店をエレベータで下りて、それからいつものようにイルミネーションの海を人波をかきわけネオン街をよこぎって、オフィスのある、ええ元気よ、寒い日が続いているから風邪なんか引いていやしないかと思って、それで電話してみたの。
 こっちも何度か雪が降ってねもう二月だから、そっちに比べたら全然大したことないけど今夜あたりまた雪かも知れないなんて天気予報言ってたから、雪を見るとつい思い浮かべてしまう北の国、雪の白さ見ると訪ねてみたくなる北の寂れた港町、あなたの生まれ育った町だから。
 五年前の冬二月の新宿、あの日も雪が降る寒い寒い土曜日の夜、あなたと出会って初めての雪の夜だったね。
 いつのまにかわたし、毎週土曜日必ず新宿に出るようになっていたね、シクラメンに顔を出しそれからあなたのいるネオン街へ、あなたと出会って二ヶ月、少しずつあなたのいろんなことが気になり始めていたわたし、どんな生活してるんだろう、何処に住んでいるんだろう、家族はいるのか、そんなことがつい気になって思い切って聞いたことあったね。
「ねえ、アカシアの雨のバイトだけで生活できるの」
 そしたら笑いながら、
「やってけるわけねえだろ」
 つられて笑うわたしに、
「でも、もひとつバイトやってっから」
「へえ、どんな」
 でもやっぱり風俗なのかしら。すると、
「駅前に百貨店あんだろ」
 百貨店、ということは風俗じゃない良かった。嬉しくて、
「木馬百貨店でしょ」
 って確かめると、頷きながらあなた。
「ああ、あそこの屋上」
「へえ、じゃ今度見にいっていい?」
 どんなバイトなんだろう、でも兎に角風俗じゃない。
 早速次の週、シクラメンには寄らず駅からまっ直ぐ木馬百貨店の屋上へと向かったわたし。
 そこには、遊園地『ドリームランド』
 なるほど遊園地のバイトかあ、見回すと屋上を一周する機関車、珈琲カップ、ゴーカート、お化け屋敷、深海魚や小鳥のいるペットショップ、ソフトクリームとラーメンのフードショップ、小さなステージに観客席、そして中央にドリームランドのシンボル的存在であるカルーセルがあったね。
 懐かしいにおい、そういえば昔小さい頃横浜のデパートの屋上にも遊園地があってね、良くそこに連れていってもらってた、だから懐かしいのかな、そんな思い出に浸りつつあなたは何処だろうって捜して歩いて見つけた、そこはカルーセルのチケット売り場の小屋の中、わたししばらく黙ってあなたの働きぶり見ていた御免ね、子供たちから見たら愛想の良いカルーセル係のおにいさんあるいはもうおじさんかな、そんな感じだった。
 でも冬のせいかそれとも元々流行ってないのか、週末の午後だというのに人影はさっぱり、折角のカルーセルも開店休業、たまに運転しても乗客の数はひとりかふたり、貸切状態の木馬に得意げに乗る子供に親が手を振る寂しげな光景が見られるばかり、なのにあなたは嬉しそうにそんな家族や子供たちの姿を見ていたね、へえ案外子供好きなのかもなんてぼけっとしていたら、あなたに見つかりあなたは元気に手を振ってくれたね。
「来てたの?」
「うん」
 あなたは小屋から出てきてわたしの隣に立って。わたしはカルーセルを眺めながら、
「びっくりした、デパートの屋上にこんな乗り物あるんだね」
「ああ、俺これが一番好きなんだ」
「わたしも」
「おふくろのこと、思い出すから」
 おふくろ。止まったカルーセルを見つめるあなたの目が寂しげで、わたしまだ何も知らなかったね、あなたのこと、北の方の生まれだということ以外。
「一回だけ連れてってもらったんだ」
「遊園地?」
「田舎の、小さい時だからもう覚えてない、何処か丘の上だったかな、そこから確か港が見えたんだ」
「港の見える遊園地、おしゃれ」
「そんなんじゃないさちっとも。しけた漁港でね、北の寂れた港町ってやつ」
「うん」
「その遊園地がもう閉園するからって。潰れる前に行こうって、最後の日の最後の客だった」
「へえ」
「どれでもいいから、好きなの乗りなって」
「それでカルーセル?」
 頷きながらあなた。
「俺しか乗ってなくてさ、もう空は夕焼けなんだ、きれいだったなあの夕焼け」
 お客の子供が来て小屋に戻るあなた、カルーセルが回り出す、その時錆び付いたような古びたモーターの音がしたのは珍しく感傷的なあなたの思い出話のせいかしら。
「回転木馬が動き出して一周、二周して、ところが突然おふくろがいなくなってね」
「え」
「咄嗟に、あああ俺、捨てられたかなって思った」
 捨てられた?
「まさか」
 どうしてそう思うの、わたし笑おうとしたけれどあなたの顔笑ってなかったね。
「回転木馬が止まった時、だけどちゃんとおふくろはいた」
「良かった」
「両手にふたり分のソフトクリーム持ってね、半分融けてた、だから夏だったんだと思う、おふくろ泣きべそかいて、御免ねって」
「うん」
「そんなふうに、あの人いつもタイミングが悪いんだ、いい人なのに」
 あの人、いい人ってなんか他人みたいだね、お母さんなのに。
 交代の人が来てカルーセルのバイトが終わりまだ十五時、あなたはシクラメンでチラシを受け取るとネオン街へ。
「ねえ、どうしてシクラメンのチラシ配るの、お金貰えるわけじゃないんでしょ」
「シクラメンて世の中の役に立つことしてるだろ、だから俺も協力しなきゃって思って」
「そうかな」
「そうだよ、ひとりぼっちの誰かと誰かをつなぐんだから、立派な仕事さ」
「立派かな」
「ひとりぼっちじゃ、人間生きてゆけないから」
 ひとりぼっちじゃ、わたしやっぱりまだあなたのこと何も知らない。
 ネオン街の通りの片隅でアカシアの雨の看板持ったあなたを見ていた、寒そうに凍えた手のひらに息を吹きかけ温める、そんなあなたの仕草が好きだった、相変わらずわたしは通りすがりの男にナンパされてたけど、時々様子見にきてくれたね。
「シクラメンの方、まだいい出会いないの?」
「うん、なかなか」
 シクラメンの紹介してくれる男性会員は結局いつも断っていたから、写真見た段階で違うかなって気がして、といってもみんな真面目そうな人ばかりなんだけど、だから少しも進展なくて。福森のおばちゃんからは、
「写真と実際は違うこともあるしね、また次がんばりましょう」
 っていつも励まされてばかり。
「理想、高過ぎんじゃない?」
「こんなブスのババアじゃ、誰も相手にしてくれないよ」
「そんなことないだろ」
「そうかな」
「どんなやつがいいの?」
「どんなって」
 答えに困ってじっとあなたを見つめ返すわたし。
「ま焦ってもしょうがない、さ仕事仕事」
 アカシアの雨のバイトが終わると時計台の広場へ、隣りに座ってあなたの弾き語り聴いていた、ポロローンとギターの音色と白い息となってネオンの夜に消えてゆくあなたの唄声ただ黙って聴いているだけなのに、いつも気付いたら横浜まで帰る終電ぎりぎりの時間になっていて、丸で魔法にでもかかったみたいにマッチ売りの少女のマッチの夢でも見ていたように、時間だけが駆け足で過ぎていったね。
「もう帰らなきゃ」
「ああ」
 別れを告げて新宿駅までひとりで帰ったりあなたが送ってくれたり、帰りの電車の中ではいつもぼんやりと窓に映る東京の夜景眺めながらため息吐いて耳にはあなたの唄がこびり付いていて、仕事中気付いたら鼻唄唄ってるなんてこともあってね。
「主任、最近楽しそうですね」
 プロジェクトのメンバーに言われたり、
「なんかいいことでも、あったんだろ」
 なんて、重役クラスのおっさん連中にまで冷やかされる始末。
 あの夜は特に寒かったね。
「雪降り出すかもなあ」
 あなたの言葉に空を見上げたけれど、ネオンライトが眩し過ぎて。あなたに目を戻すと、さすがのあなたも、
「ふう、まじ冷えんな今夜」
 わたしなんか、がたがた震えてて。
「今日は無理じゃない、ね止めたら?風邪引くよ」
 って弾き語りの中止を勧めたのに、あなたは無愛想に首を横に振るだけ。
「寒いなら帰れば」
 何よその言い方、人が折角心配して言ってんのに。
「凍え死んじゃうから」
 そしたら、あなた。
「いいんだよ、死んだって」
「え」
 黙って見つめるわたしに言い過ぎたと思ったのか、あなた。
「唄っていたいんだ、俺、ここで唄っていたいだけ」
 そんなに唄が好きなんだ、命と唄とあなただったら唄を選ぶのねって皮肉のひとつも言いたかったけれど、言えなかった。
「こんな俺の唄でも、楽しみに聴きにきてくれる人もいるから」
 良く言うよ酔っ払いばっかりじゃない。膨れっ面のわたしに、
「御免言い過ぎた、心配してくれて有難う」
 有難うってそんなに簡単に謝らないでよ、拍子抜けしちゃうじゃない。唄い出したあなたの唄を、横でぶるぶると震えながら結局聴いていたわたし、唄が終わってあなた。
「店にギターの上手い人いてさ」
「店」
「ああ、田舎の風俗街の外れにあった店、おふくろそこで働いてたんだ」
 お母さん、風俗店で働いてた?
「そう」
 気にしない振りしていたけど、わたし動揺してた。
「その人からギター教わったんだ、東京から来たって人でさ」
「うん」
「お前には素質がある、本気で唄いたいなら東京行けって、東京のことばっか自慢げに話す人だったなあ、俺その人のことは信じてたんだけど」
「なんかあったの?」
「裏切られちゃった」
「裏切られた」
「そいつがおふくろに手を出した夜、吹雪だったなあ、俺、なんか悲しくてランドセルしょって家出した」
 おふくろに手を出した夜、家出……。
「家出して、そのまま東京行きって書いてある夜行列車に飛び乗ったんだ」
 あなたの思い出話を聴きながらわたしが動揺しているうちに、とうとう雪が降り出したね、新宿ネオン街に雪が降り出して。だからあなたは話すのを止めて。
「いけね、もう帰んないと、まじで電車止まるかもよ」
 そうか電車が止まることまで考えてなかったわたし、そう言われたらもう帰るしかないね、本当はネオン街に降る雪をもっと見ていたかった、あなたと見ていたかったけれど、諦めて駅へと急いだわたし。
 ねえきこえてる、ねえこっちの音受話器を通して、あなたの好きだった木馬百貨店の屋上の音、木馬たちを揺らし屋上を駆け抜ける木枯らしの音、まだ寒い季節だからカルーセルの木馬たちも震えている、もう夜だから木馬たちも無理に眠った振りして、本当はネオン街の夜景が見たいけど本当は雪が見たいけれど、ずっと眠った振りしたまんま、そうよあなたがいなくなってから。
 ねえ木馬たちも会いたがってるみたいあなたに、聴こえない、木馬たちの寝息があなたの夢を見ている、この遠い新宿木馬百貨店の屋上からあなたを呼ぶ声が、もうすぐ春だぞ春が来たらまたぼくたちのこと動かしてくれよ、お願いまたあなたの手で、あなたの唄と夢と一緒に回転しようよねえ、そんな木馬たちにせかされて、今夜もわたしこうしてあなたに電話してみました。
 あれ、ほら雪、今夜こっちも雪になったよ、今この木馬百貨店の屋上に新宿のネオン街にあなたが愛した東京の雪が降っています、今しっとりと木馬たちの背中を濡らして、木馬たちの瞳も濡らして丸で涙のように雪が融けて落ちてゆきます、ねえきこえない今降り頻るこっちの雪の音が、ネオンライトにしゅっと融けて消えてゆくひとひらの雪の音が、あなたに唄って欲しくてネオンライトのまばゆさに消された曇った灰色の東京の空から遥々やって来た純白の雪の子供たちの囁きが、もう一度あなたの唄が聴きたいって、ねえ。

 いやだ、また無言電話になったね、そんなことないちゃんと雪の音が聴こえてるって、そう、なら良かった有難う、それなら今夜は何とか愚痴にならずに済んだみたいね、じゃ今夜はカードが切れるまでこのままにしておくから、ずっとこっち新宿の雪の音聴いていて、もしもし、じゃおやすみ、やっちゃん。
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