(公衆電話一)新宿駅地下道、十二月

文字数 5,173文字

 この唄はまだ公衆電話が死語になる前の昭和から平成にかけて、例えば場末の盛り場辺りで流れていたような、そんな安っぽい哀唄(エレジー)に過ぎません。

(公衆電話一)新宿駅地下道、十二月
 ねえきこえてる受話器を通して、ねえこっちの音そうあなたの好きだった東京の音、今わたし新宿駅の公衆電話からかけているから、ええ相変わらずよ土曜日の夜だからすごい人波、でもわたしは仕事だから、これから駅の地下道を抜け表に出てイルミネーションの海を人波をかきわけネオン街をよこぎって、オフィスのあるビルにいくの。
 ええ元気よビルのエレベータをまっすぐに上がりオフィスに辿りつくと、そこは人影もなくしずかで暗闇の中にてさぐりで照明のスイッチをさがす、パソコンの電源を入れコーヒーを沸かしそうして窓から見おろす新宿の街を眺めながら、春が過ぎ夏が訪れ秋が去り冬がやって来るそのしずかなくりかえしの中で、きのうきゅうにあなたの唄を忘れてしまっていることに気付いてね、なんだかおかしくてわたしの詞にあなたがつけてくれたメロディだったのに、どうしても思い出せなくてそれで電話してみたの。
 あれからもう五年あれからもう五回も寒い寒い冬が終わったんだね、冬生まれのあなたいなくなってから、五年前の冬十二月の新宿クリスマス近い土曜日の午後だった、あの日わたしは滅多に行かない新宿の街へのこのことやって来て、行き先は結婚相談所。
 まだ横浜の実家に居候で、兄もいたけどひとり娘だったから、小さい頃から大事に育てられいつまでたっても親の言いなりのいい子ちゃんだった、そんなわたしも気付いたらもう二十九、大学を出て地元横浜の大手ソフトハウスドリームソフトウェア横浜(DSY)に入社、男性ばかりの職場で数少ない女性技術者として開発に携わり、深夜残業も休日出勤もせっせとこなし女のせいか客先の評判も良く、こつこつとスキルを身に付け順調にキャリアを重ね、いつしか後輩の教育係や小規模プロジェクトのリーダーまで任されるようになって名刺にはついに主任の肩書き、男勝り、きれる女なんてね、バリバリで仕事をこなすキャリアウーマンそんな印象のせいか若い男の子は勿論同世代の男性からもすっかり敬遠されて、結婚どころか浮いた話のひとつもなし。
 家に帰れば帰ったで父も母も人の顔見るなりいい人いないのか、いい人いないのかって心配ばかりするし加えて兄も結婚することが決まってね、後は愛ちゃんだけよ早くわたしたち安心させて頂戴ね、なんて懇願されるものだからつい何とかしなきゃと焦りまくって、だけどこればっかりはひとりじゃどうしようもないでしょ。
 うーん困ったなって、ぱらぱら雑誌めくったら偶然『結婚相談所シクラメン』の広告、シクラメン、あなんかいい感じなんて運命めいたものを感じてね早速電話してみたの、そしたら是非とも一度新宿の本店にご来店下さいませ、年配の女の人のやさしそうな声にますます感じいいなあってとうとうその気になってね。
 JR新宿駅の混んだホームに降りて人波を掻き分け掻き分け何とか西口まで出て、雑誌から切り抜いた地図を頼りに東京都新宿区摩天楼町三丁目のビル街に、ビルの谷間を迷子になって泣きべそかいてようやく見つけた東京摩天楼ビル、目指すは最上階の三十階、エレベータの前にはぽつんと先客がひとり、それがあなた、その時があなたと初めて会った、わたしたちの記念すべき瞬間だったね。
 あなたは寒くないのか薄手の紺のジャンパーだったね、それも薄汚れてて何だか貧乏臭い人だなあって御免なさい、同い年くらいなのかなってじっとわたしあなたの背中見つめてエレベータの前にも行かず、視線に気付いたあなたははっと振り向いてふたりの目と目が合って、どきっとしたね覚えてるねえあの時のこと、それとももうそんなこと忘れてしまったかしら。
「はやく」
 あなたは叫んだね、でもわたし自分じゃないって思ったからじっとしていたら、あなたわたしを見つめながら、
「乗らないの?もう来るよ、エレベータ」
 だからわたし慌てて答えたね。
「乗ります、乗ります」
 どうしてだろう急いでいるわけでもないのにエレベータ次だって全然構わなかったのに、あなたの親切が嬉しかったからかしらね。
 エレベータの前にふたり並んでチーン、エレベータの扉が開いてふたり乗り込むと他には誰もいなくて扉が閉まって、わたし三十階の釦を押そうとしたら、なぜかふたりの指が触れ合って互いにさっと引っ込めたね子供みたいに驚いて、上昇するエレベータの中でこの人も三十階なのかしら、三十階ってシクラメン以外に別の店でもあるのかななんて思っていると、いきなりまたあなた。
「あんたもあそこの会員さん?」
 なれなれしく聞いてくるからびっくり、ええこんな人が会員なの?って少しがっかりして、
「いいえ、違います」
 きっぱり答えると、何だか気まずい雰囲気に落ちて。後は下向いて黙ってたねふたり。
 三十階までの時間は長く感じるし高層だとその分空気が薄れるのか息も詰まって、苦しいような切ないようなだけどそんなものとは違う何かをその時わたし感じていたの何だと思う、それは上手く言えないけど例えば懐かしさ、懐かしい、でも変よね初めて会ったばかりなのに、だから戸惑うしかなくて。
 チーン、エレベータが三十階に着いて扉が開いて。
「どうぞ」
 やっぱりあなたは親切で、
「あ、すいません」
 恐縮しながら頭を下げて先に降りたら直ぐ目の前に窓、そこから外の景色が見えた、地上三十階の窓から見渡す新宿というか東京の街が目の前に広がっていたねまだ日が暮れる前の、だからわたし思わず立ち止まってうわあ凄いってただぼけっと突っ立っていたね、建物、ビル、家々の屋根の連なりが何処までも果てしなく続いていて、わたしシクラメンに行くこともすっかり忘れて窓辺に立って視線を落とすと、今度はさっきまで歩いていた新宿駅周辺の街並と道と人の波、人や車が点のように見えてわあ凄いって夢中で見てたら、突然、
「凄いだろ」
 え、振り返るとあなた、どきっまだそこにいたんだ、もしかしてずっとわたしのこと見てたの、やっぱりなんか変な人。
「凄いだろ、夜がまたいいんだ」
 え夜が?夜景ってことね新宿の夜景、嬉しそうに話すあなたのこと子供みたいな気がした、わたし問い返したね。
「そんなに凄いんですか」
「ああ、丸で永遠(とわ)に続く夜空の星のようさ」
 夜空の星、ちょっときざじゃないなんて思ったけど、わたしも見たい新宿の夜景見てみたいって気持ちの方が強かったから、何か言わなきゃって思ったけど。
「じゃね」
 あなたは歩き出し、シクラメンの中に消えていったね。
 あ、わたしも行かなきゃって思い出し少し間を置いてシクラメンの看板の前まで行くとそこは無人の受付で、チャイムと白いシクラメンの鉢植えがあったね、花びらの白さが可憐に思えてチャイムを押すのも忘れじっと見つめていると、
「いらっしゃいませ」
 目の前にこれまた色鮮やかな白いスーツ姿の年配女性がひとり、ぽっちゃり型でいかにも世話好きといった感じの人、その人の印象でわたしもう入会決めてた気がする。
 わたしが挨拶を返そうとすると横から、
「じゃおばちゃん、もらってくよ」
 再びあなたが現れ小脇にチラシの束を抱えていたね、おばちゃんって呼ばれた白いスーツの女性が答えて、
「うん、いつも有難うね、やっちゃん」
 やっちゃん、どきっ、この人やっちゃんていうんだ、その時心臓の鼓動が止まった気がした。
「どうか、なさいましたか?」
 女性の声ではっとすると、あなたの姿はもうなくてやっと挨拶。
「わたし杉村と申します」
「杉村、愛さんね、お待ちしておりました」
 個室に通され、そこの窓からも外が見えて。
「少々お待ちを、資料を持って参ります」
 ぽつんとひとり取り残されそれでもラッキーって思いながらまた窓から新宿の景色を見ていたね、もう日が傾きかけていて、もしかしたらこのまま夜景が見れるかも知れない、そう思ったらわくわくしてきて。
 珈琲と共に白いスーツの女性が戻ってきて、
「それでは改めましてわたし、福森と申します」
 福森節子さん、だから福森のおばちゃんね、名刺とパンフレットを渡され、そういえばさっきあなたが抱えていたチラシの束って何だろう、もしかしてここの会員じゃないのかなあなた、なんてそんなことが浮かんでねエレベータでのこと後悔した。
 早速パンフレットに沿って説明を始める福森さんの話に耳を傾けながら、わたしの視線は窓から見える景色へ、辺りは少しずつ暗くなって街や家の灯りが点り出す、丸でクリスマスツリーの豆電球みたいに止まりかけたオルゴールの音色の速度で、ひとつまたひとつと瞬き出している、今新宿の街に夜が訪れようとしているんだね、遠くにきらびやかなネオンライトの連なりも見える、あれが新宿の歓楽街かしら。
 ねえいつも不思議に思っていたことがあるの、夜ってねえどうしていつもあんなに知らないうちにやって来るのかな、さっきまで夕方だったのに気付いたらいつも夜、シクラメンの窓から見える景色も気付いたらいつのまにか夜の新宿になっていて、すっかり夜景に魅せられて福森さんの説明もうわの空、凄いやっぱり凄ーいと感嘆してたわたし。
「どうかしました?」
 ぼんやりしているわたしに福森さん、これでもう二度目の注意、まずい変な人間だと思われるかも。
「あ、大丈夫です」
 顔まっ赤にして答えるわたしに、にっこり微笑みながら、
「それではこれで説明は一通り終わりです、何かご質問等ございますか?」
 福森さんの笑顔には幾つもの深いしわが刻まれていて、苦労している人なのかな、なんて思いながら、
「今の所は特にありません」
「それは良かった。では杉村様、どうなさいます、家に帰られて検討されても構いませんよ」
 欲のない福森さんの顔と、窓の夜景とをちらりちらりと交互に見ながら、わたし即決。
「じゃ申し込みます」
 こうして無事結婚相談所シクラメンの女性会員になったわたし、手続きを終え顔を上げるとそこには新宿の夜景。
「ああ、丸で永遠に続く夜空の星のようさ」
 あなたの言葉を思い出してね、どきどきどきどき、街のイルミネーションが丸で命の鼓動のように明滅して新宿の街があたかもひとつの生命として瞬いているみたいで、本当にあなたの言った通りだったね、わたしこの景色好き、この景色が見えるこの場所も大好き、シクラメンも大好き、心の中でそう呟いていたの。
 時計を見るともう二十時近く、横浜ならとも角ここは新宿、ずっと夜景を眺めていたかったけれど諦めてさっさと帰宅することに、福森さんに一階まで見送られビルを出るとそこはもう真冬の世界、振り返り見上げるとシクラメンの窓の灯りが見える、地上から見上げるとそこは遥か頭上の雲の上のような場所、あんなところにいたのかと白いため息を吐いて、後はひたすら新宿駅までの道を急いだわたし。
 ねえきこえてる、ねえこっちの音受話器を通して、あなたの好きだった東京の音、今夜も新宿の街は相変わらずの賑わいで、今はクリスマスのイルミネーションがあちらこちらに瞬いているわ、街全体が巨大なひとつのオルゴールみたいにそれは直ぐに壊れそうでいてけれど止まれずに、そうよあれからだってもう五年、今も哀しいメロディを奏で続けている、夜だというのに眠らない眠れない無邪気な子供のおもちゃ細工のように、たくさんの人が丸で大きな河の流れのように、忙しなく忙しなく歩いているわ、何処へゆくのかそんなに何処へ慌ててゆくような用事があるのか、どの人もどの人も早足に何かに急き立てられるように、この新宿の夜の河の流れにもまれながら、みんな何処かへ辿り着けるのだろうか、辿り着く当てがあるのならいいけれど、ねえあなた、たまにはこっちに出ておいでよ、そんな静かな場所に引っ込んでいないで、そんな生まれ故郷で埋もれてないで、そんな北の寂れた港町の雪に覆われた埠頭でそんな寂しげな海鳴りばかりひとりぼっちで聴いていないで、この絶え間なく続く丸で海鳴りのような新宿の人の足音聴こえるでしょ、ねえまた一緒に夢追いかけようよなんて問いかければ、ないものねだりの我がままかしら、ねえ。

 いじわる、丸で無言電話みたいじゃない、ねえきこえるでしょほら受話器を通して、こんな時間になってもこの街はこっちはまだ息をして呼吸して鼓動を鳴らして生きているのよ、ねえ目を覚ませってあなたに向かって呼びかけているみたいじゃない、こらいつまで寝てんださっさと起きろ、夢が待ってお前を待ちくたびれているぞって、御免なさい、今夜は愚痴になっちゃったね、じゃもうこれくらいで切るから、もしもし、おやすみ、やっちゃん。
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