(公衆電話十)ネオン街、九月

文字数 4,359文字

 ねえきこえてる受話器を通して、ねえこっちの音そうあなたの好きだった東京の音、今わたしネオン町三丁目の公衆電話からかけているから、ええ相変わらずよ土曜日の夜だからすごい人波、でもわたしは仕事だから、これからイルミネーションの海を人波をかきわけネオン街をよこぎって、オフィスのある、ええ元気よ。
 最近は風も穏やかになって少しずつだけどようやく涼しくなってきたようね、夜明け前なんて肌寒いくらいだから風邪なんか引いていやしないかと思って、それで電話してみたの、平気ならいいけど駄目よ無理しちゃ、夜明け前寒い時はちゃんと毛布に包まって、夜明け前寂しい時もまだ薄暗い港にひとりぼっちで佇んだりせずに、朝が来るまでせめて夜が明けるまでじっと眠った振りしていた方がいいんじゃない、でないと港に打ち寄せる波音につい泣きそうな顔して遠い新宿ネオン街のざわめき捜してしまうから、もう諦め忘れた筈の夢さえまた思い出してしまうから、だからいたずらに自分を傷つけたり追い詰めたりは止めてねえ、お互いにそうもうお互い楽にならない、あなた。
 五年前の秋九月の新宿、あの日も穏やかな風の吹く土曜日の夜だったじゃない。
 DSYの方は最後の一ヶ月、引継ぎ作業に追われて忙しかったし感傷的にもなってしまってね、送別会では後輩の女の子たちが泣いてくれたからついついわたしももらい泣きしたり、でも直ぐにシクラメンの仕事が待っているからそうそう感傷に浸ってばかりもいられない。
 そんな中あの夜が訪れたね、あの夜わたしはやっと完成した詞を携えどきどきしながらあなたのもとへ。
「良かったら読んでみて」
 ってまだアカシアの雨の看板持ちのバイト中のあなたにそっとメモ帳を手渡し、それからわたしはいつものようにぼんやりと通りに佇みネオン街を眺めていたね、あなたがどんな反応を示すか気にはなっていたけど出来るだけ知らない振り、無関心を装いながら。
 ネオン街の通りも夜ともなればもう随分と涼しくて、九月の風が気持ち良かったね、ちらりちらりとあなたの方を気にしていると、あなたは看板持ったまま何かぶつぶつと口遊んでいる様子、そのうち健ちゃんが交代でやってくるとあなたはいつものようにアカシアの雨のロッカーに預けたギターを抱えて戻ってきて。その時初めて、
「うん、いいんじゃない詞」
 って笑ってくれたね。
「え」
 びっくりするわたしに、
「俺直ぐにメロディ浮かんできたから」
「本当」
 わたしあなたの顔見つめながら照れ臭くて顔まっ赤だった。
 そのままいつものように時計台の広場に移動するかと思えば、予想を裏切りあなたはわたしに、
「ウミネコ行く?」
 って珍しく雨でもないのに誘ってくれたね。またわたしびっくりして、
「え?」
「詞が出来たお祝い」
 お祝い。
「今夜は俺奢るから」
「え、大丈夫?でも嬉しい、行こう行こう」
 子供みたいにわたしはしゃいでいたね。
 あなたはギター抱えたままウミネコ目指して歩き出す、わたしも無言であなたの後に付いていったね、ウミネコに着いていつもの窓側の角の席に座って、ふたりでやっぱりいつものようにエビグラタンと珈琲を頼んだね。だけど窓から見える東京の景色だけが唯一いつもと違って晴れていてそれに店内も割と込んでいたから、食事を済ませ珈琲を一杯飲んだら、
「じゃ行こうか」
 ってあなた、だからまだ時間早かったけどわたしたちウミネコを後にしたね。
 空には銀河が瞬いていたまだ土曜日の夜。ネオン街に戻って弾き語りかなと思えばあなたは、
「じゃ、あそこ行くか」
 あそこって何処だろう?でも今度もまた黙ってあなたの後に付いていったね、あなたの歩く方角はビル街、そして着いた場所は東京摩天楼ビルの前。もしかして?
 あなたはビルに入るとわたしを待たせ知り合いの警備員と話を済ませ、その後わたしたちはエレベータで最上階の三十階へ、三十階に着いたら非常階段を上って、行く先はそう五月あのわたしの誕生日の夜と同じ東京摩天楼ビルの屋上。
 九月の風は少し肌寒いくらいだったね、屋上の金網につかまりしばらくふたり黙って新宿の夜景見ていた、木馬百貨店の屋上の遊園地が丸で寝静まったおもちゃ箱のようだったね、百貨店屋上の遊園地が子供のおもちゃ箱なら、ネオン街はさながら大人のおもちゃ箱大人のための遊園地といったところかしら、それからふたり地上の瞬きを鏡に映し出したような星空、銀河をただ黙って見上げていたね。
 ところがいつのまにかわたしを置いてひとりあなたは腰を下ろし、ギター爪弾き出したね、ビルの屋上を吹いてゆく風に乗ってわたしの耳に届いたギターのメロディ、それは初めて聴いた『ネオン街をよこぎって』、わたしの詞にあなたがつけてくれたメロディだったね。
 いつかあなたは唄い出し、あなたの口から震えるように零れ落ちた言葉の数々、それは確かにわたしが作った詞の言葉、あなたのメロディは甘く切なく、つたないわたしの詞をかばうようにやさしく包み込むように東京の夜の街、新宿ネオン街の光の渦へと流れて消えていったね、丸で一瞬の風のようにそしてネオン街のまだ続く喧騒の中へと吸い込まれていってしまった、夢を追いかけたことのある者なら誰でも知っている若い日々のほろ苦いにおいのするスローバラードだったね。
 わたしずっと黙って聴いていた、いつのまにかあなたの隣りに座って膝抱え風に吹かれながら、どきどきどきどきしながら聴いていたね、いつか唄は終わり、気付いたらわたし夢中で拍手してた。
「お嬢さん、こんなもんでどうでしょうか」
「うん、最高」
 頷くわたしに、
「なら良かった」
 あなたも頷く、そんなふたりを新宿摩天楼の灯りがそして手に届くような夜空の星たちが見守っていてくれたね。
「さ練習しないと、デュエットなんだから」
「え、うん」
 ギター爪弾き出すあなた、あなたの声に合わせてわたしも唄う、こうしてわたしたちの唄は形になり、そのままわたしたちの夢になったね。
「この唄でいつか、世界中をふるわせてみせる」
「世界中?」
 ため息吐くわたしに、あなたは笑いながら、
「いいんだよ、夢なんだから大きくても」
 それからあなたは、
「そのうち、レコード会社の知ってる人に聴いてもらおうぜ」
「ええっ、じゃがんばらなきゃ」
 夜が明けるまでわたしたちは唄い語り続けたね、眠気も忘れ丸で十代の少年少女のように、少年と少女に返ったように、そしてわたしたちは東京摩天楼ビルの屋上で朝を迎えたね、日曜日の東京の朝新宿の朝を、澄んだ清らかな朝だった、まだ誰にも汚されていない、誰の足音にもため息や愚痴、煙草、排気ガスにも汚染されていない、生まれたての東京の朝がそこにあった、丸で東京中の空気がまだ夢だけでいっぱいにあふれているような。
 次の土曜日の夜からしばらく、ネオン街の時計台の広場でわたしたちは唄の練習に励んだね、通りがかりの幾人もの人たちにわたしたちの唄を聴いてもらいながら、初めて拍手してもらった時はわたし感激で胸が震えてた。
 それからあなたは早速以前接触したことのあるプロダクションやレコード会社の関係者に連絡を取って売り込みに奔走したね、勿論ほとんど門前払いだったけどあなたは諦めずに続けた、中には話を聞いてくれるところも出てきて、仕事で自由に時間の作れないわたしの分もあなたはひとりで活動してくれたね。
 だけどみんな唄を聴いてもらう前の段階で駄目になっちゃって、わたしが原因で断られたこともあったしね、あるレコード会社は今時三十歳のデュエットなんて流行らない地味だからって、あなたと自分とこの新人の若い女の子とで組ませたい、そう要求してきたけどあなたは断った。
「ねえどうして、ひとりだけでもデビューしてよ、わたしのことなんて気にしなくていいから」
 説得するわたしにけれどあなたは、
「この唄にはあんたの思いがつまってんだから、だからあんたとでなきゃ駄目なんだ」
 って、その言葉聴いた時わたし嬉しくて胸が震えて泣きそうになったね。
「ま世の中そんなに甘くないってことさ」
「うん、でも唄ぐらい聴いてくれてもいいのに、何処もけちなんだから」
 悔しがるわたしをあなたはいつもやさしく慰めてくれたね。
「ま焦らない焦らない、チャンスが来るまで俺たちはネオン街で唄ってればいいのさ、俺たちにはネオン街があるんだから」
「うーん、でも」
「たとえ全部駄目だったとしても、その時は誰かひとりでもふたりでも聴いてくれるここネオン街で唄い続ければいいだけのこと、俺たちのネオン街で」
 わたしたちのネオン街で。そうだ、そうだったね、いつもわたしたちにはこの場所があったものね、わたしたちはいつもここで唄い、ここを通り過ぎる人たちに唄いかけ、そしてひとりでもわたしたちの唄を聴いてくれる人がいればそれで良かった、ひとりでも多くの人に聴いてもらえればそれで、それだけで充分だった、わたしたちの唄をわたしたちのネオン街で。
「うん、そうだね、わたしたちにはこの場所があるから」
「そうさ」
 ねえきこえてる、ねえこっちの音受話器を通して、あなたの好きだった東京、新宿ネオン街のセピア色の風に舞う落葉の音、風が木々の葉を揺らし木の枝から葉っぱたちがさようならをする時の音、ネオン街の通りも今はすっかり蝉の声も途絶え銀杏の葉の黄色い絨毯になっているから、けれどその上を相変わらず人の波が押し寄せいつ絶えることなく、いつ訪れてもやっぱり変わることなく、この街はいつでも賑やか、人、人、人でいっぱい、なのに吹き過ぎる風がいつも寂しげなのはなぜだろう。
 ねえみんな何処からやってきて何処へゆくのかしら、この街を通過点にして、あなたみたいにふらっと北の寂れた港町からやってきてまたふらっと帰ってしまう人もいれば、わたしみたいに近くの横浜から引っ越してきてそのまま何となく住み続けている人間もいるけど、わたしもいつかこの街から離れるそんな日も来るのかしら。
 ねえ、叶わなかった夢引きずったままどうやって人は生きてゆけばいいの、どうしたら生きてゆけるというの、ひとりこんな大都会に取り残されたまま、毎日毎日人、人、人の人波の中にもまれながら、ねえやっ、あ御免なさい、ええちょっと聞いてみたかっただけ、詰まんない質問、ううんだから気にしないで、今夜もわたしこうしてちょっと電話してみたかっただけだから、ほんとにほんとうに、だからちょっとだけ。

 そう何も答えてくれなくていいから、無言電話で構わないから、ねえもう少しだけこうしていさせて、も少しだけあなたの鼓動あなたの、感じさせていて、御免、今夜は本当に愚痴になっちゃったみたい、もうそろそろ切らなきゃね、もしもし、じゃおやすみなさい、やっちゃん。
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