(公衆電話八)夢の丘公園、七月

文字数 5,835文字

 ねえきこえてる受話器を通して、ねえこっちの音そうあなたの好きだった東京の音、今わたし夢の丘公園前の公衆電話からかけているから、ええ相変わらずよ土曜日の夜だから、もうそっちも蒸し暑いでしょだって七月、こっちは梅雨も明けて夏だもの、ネオン街は相変わらずすごい人波熱気むんむん、でもわたしは仕事だから、これからわざわざ遠回りになるけどちょっとネオン街まで出て、ネオン街の熱気、元気を分けてもらってね、じゃないと夏バテしそうで、だからいつものようにイルミネーションの海を人波をかきわけネオン街をよこぎって、オフィス、ええ元気よ。
 こっちの方は例年同様もう各地で盛んに花火大会が催されていてね、忙しくてわたしは何処もまだ見にいってないけど、そういえばいつかふたりで見に行こうって言ってなかったかしら、気のせい、とうとう一度も行けなかったけど、わたしは小さい時からずっと横浜の花火見て育ったから、あなたに一度でも本物の打ち上げ花火見せて上げたかったなあ、なんてそんなことつい思い出しちゃってね、どうそっちは、暑さで音を上げてたりしてない、そんなことが何となく気になってそれで、御免なさい暑苦しいのにね、わざわざ今夜も電話してみたの。
 汗びっしょりになりながら看板持って突っ立って、汗だくで唄ってたあなたに会いたくて、どうしてもまたネオン街という花火大会を見に、ネオンライトという名の花火へと、飛んで火にいる夏の虫よろしく、ついつい誘われ足を向けてしまう。
 五年前の夏七月の新宿、あの日も蒸し暑い土曜日の夜だったね、ネオン街に行くとアカシアの雨の看板持っていたのは健ちゃん。
「公園のおっさんの具合が悪いんだって」
 びっくりしたわたしは急いで夢の丘公園へ、最近またおっちゃん体調を崩していて、あなたも心配してたね、公園に着いておっちゃんのダンボールハウスに行くと、眠るおっちゃんの枕元にあなたがいて、
「どう?」
 って尋ねるわたしに、
「なんか悪いもん食ったみたい」
 あなたの隣りには野良猫の名無しのにゃんちゃん、やっぱり心配そうにおっちゃんの寝顔を見守っていた。
「今寝たばかりだから、あっち行こうか」
 眠るおっちゃんを置いてわたしたちはベンチに座り、いつのまにか野良猫も横にやって来てわたしに甘えてきたね。
「これ、読んでみる?」
 突然あなたが差し出したのは古びた一冊の本。受け取って表紙を眺めると作者名は青木五月。
「有名な人?」
 尋ねるわたしにあなたは笑いながら、
「おっちゃんのペンネーム」
「ええ、おっちゃんって作家だったの?」
 興味がわいてぱらぱらとページをめくると中はもうすっかりセピア色に変色していたね、あなたは首を横に振って、
「昔、自費出版したんだって」
「自費出版?へえ」
「若い頃はおっちゃんもサラリーマンやって、せっせと働いていたんだってよ」
「そうだったんだ」
「その間に詩と童話をいっぱい書いて、いろんな所に投稿したけど駄目だったってさ」
「へえ」
「おっちゃんも夢追いかけてたんだな、じゃ思い切って勝負するかって貯金はたいて」
「それで自費出版」
「何冊も出してみたけど結局どれもぱっとせず、世の中そんなに甘くなかったってわけ」
「ふーん」
 ポローンとギター爪弾き出すあなた、わたしは野良猫の頭を撫でながら手にした本のページをめくった、公園のあちこちで夜だというのにまだ蝉が鳴いていたね。
 本は『キリギリスとアリ』というタイトルの童話だったね。一匹のキリギリスと一匹のアリの少年のお話、イソップ寓話の『アリとキリギリス』を逆にしたもの、夢見ることも忘れただ毎日労働に追われるアリたちの中で、ただひとり夢を追い続けるキリギリス、その姿に感動しアリ仲間から馬鹿にされ仲間外れにされながらも夢に目覚めてゆくアリの少年、やがて冬が訪れ、たくわえのないキリギリスは飢えて雪の大地に倒れ死んでしまうけれど、やがて雪が融け春が訪れるとキリギリスが倒れた場所には一輪のそれは美しい名もない花が咲いていたとさ、完。
「どう?」
 読み終わったわたしに感想を求めたあなた。
「うん、わたしもこんな生き方がしてみたい」
「そうだな」
 頷いてあなたは寂しそうに笑ったね。
 野良猫が、
「にゃお」
 と鳴いて、目を覚ましたおっちゃん。
「ふう、あちいな、まったく」
 わたしに気付いて、
「お、来てたの?心配かけてすまないね」
「いいえ」
「あんたの顔見ると、元気が出るよ」
「そんな」
 お世辞だと分かっていても嬉しかった、おっちゃんはわたしたちの隣りのベンチに腰掛け、ぼんやりと公園を見回したり、空を見上げたり。
「きれいな星だなあ」
 いつのまにか野良猫はおっちゃんの膝の上に、甘えた顔して鳴いていたね。
 蝉の泣き声、木々の葉を揺らす風の音、星が瞬き月も顔を出して、あなたはさっきから黙ってギター。
「あ、そうだ」
 おっちゃんはダンボールハウスから何かを持ってきて、
「やすお、後でふたりでやんな」
 あなたはそれを受け取り、
「何?あ花火か、ほら」
 あなたはわたしにも見せて、それは玩具屋で売っているような花火のセット。
「どうしたんだよ、こんなの?」
「コスモスのママにもらったんだ、ママは常連の客からもらったらしいけど」
「三人で一緒にやりませんか?」
 わたしが丁寧に言ってもおっちゃんは、
「もうそんな年じゃねえよ」
 って照れ臭そうに笑ったね。
「有難う」
「有難うございます」
 おっちゃんはまた隣りのベンチに座り、しばらく黙って夜風に吹かれていたね、それからぽろりとひとり言みたいに思い出語りを始めたおっちゃん、膝の上にはちゃんと野良猫が座っていたね。
「東京は華やかなそれこそ花火みたいな場所でさ、俺なんかもその眩しさかっこよさに憧れて、ついのこのこと田舎から出てきた口だけど、今じゃ本当にそれで良かったかどうか分からない」
「おっちゃん」
 ギター弾く手を止めてつい呼びかけたあなた、でもおっちゃんの話はまだまだ続いたね。
「人付き合いも下手、何かと不器用だし無口でな、気付いたらこの東京でひとりぼっちだった、本当にひとりぼっちで毎日息が詰りそうだったよ、話し相手なんか誰もいない、電話はいつも居留守電にしてそれでもメッセージなんて残ってもいない、週休二日で会社が休みの土日は行く宛てもなく、周りはみんな他人ばかり、休みの日に口利いた相手といやコンビニの店員との挨拶だけ、あんまり寂しいからついふらっと夜のネオン街に飛び出して宛てもなくうろついて、知らない若い女の後付いていったり風俗に通ったり、だけど結局空しさ引きずったまま誰もいないまっ暗なアパートに帰ってくるだけ、隣りの部屋じゃカップルがいちゃついて馬鹿騒ぎ、とまあこんな風になっちまうとついついもしも田舎で暮らしていたら、もっと違う生き方していたかも知れないのになあなんて、この年になるとついなあ、そんなことも考えてしまう、サラリーマンやってた頃も結局今と大して変わりゃしない、確かに見た目はネクタイにスーツなんぞで決めてたけど、心の中はおんなじ、心はいつもひとりぼっちだった」
 聴いているとどんどん落ち込んでくるおっちゃんの話だったね、でも最後にいい話が聴けた。例の「都会は海」のおっちゃんの体験。
「そうやってずっとひとりぼっちだったから、いつも死にたい死にたいって思いながら生きてたよ、だけどある日聴こえてきたんだ、土曜日の日暮れの新宿駅の地下道を歩いている時」
「またその話か」
 ってあなた。
「いいから、確かまだあんたには話してなかったな」
「はい」
 頷いたわたし。
「じゃ話すから。俺がひとりぼっちで死にたい気分で宛てもなく新宿駅の地下道を歩いていた時、突然雑踏の中から何かが聴こえてきた、何だろうって思って立ち止まって俺は耳を澄ましてみた、すると確かに聴こえる、何の音だと思う?」
「あ、うみ、ですか」
 恐る恐るわたしが答えると、おっちゃんは頷いて少年のように、にこっと微笑んだね。
「何だ知ってたの、そう海の音だよ……。絶え間なく続く人込みの足音が、突然波の音ザヴザヴシュワーって音に変わったのさ」
「波の音に」
「あゝ、あんときゃびっくりしたよ、はじめは空耳だろうって何度も何度も疑ったけどさ、だけどやっぱり空耳なんかじゃなかった、興奮して心臓がどきどきどきどきしてきたよ、その音はいつまでもいつまでも俺の耳に響いていた、新宿駅の雑踏が続く限りね」
 おっちゃんは思い出すように目を瞑ったね。
「そん時俺ははっと気付いたんだ、みんな同じなんだなって、みんなひとりぼっちなんだよ、みんなひとりぼっちでこの大きな都会という海の中を生きている、みんな波の一欠けらなんだよ、だからこの東京はそんなひとりぼっちの波の粒が集まって出来た海なんだよやっぱり」
 おっちゃんは目を開けて、
「だったら俺も生きなきゃなあって思い直したんだ、俺もこの東京という海の中をはかない波の一欠けらとしてね、ようし生きてやるぞってさ、そしたら何だか体の底から力が湧いてきて」
 そこでポローンとあなたのギターの音。
「おっちゃん、そのくらいにしといたら?また調子崩すから」
 あなたの言葉におっちゃん、
「そうだな、ちょっとしゃべり過ぎた、よし俺は寝る、ところで」
「何、おっちゃん?」
「ふたりの仲は、上手くいってんのかい?」
「え」
 顔をまっ赤にしたあなた。
「何言ってんだよ、いきなり、あゝびっくりした、もう寝ないと」
「はいはい、それじゃ俺たちはもう寝るとするか、なあ」
 おっちゃんは野良猫を抱いて、ダンボールハウスへと帰っていったね。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 ふたりになって、わたしおっちゃんがくれた花火セットを眺めながら、
「もう花火大会の季節だね」
「花火大会か」
「どっか行かない、近いとこで」
「そうだな、花火」
「行こうよ、たまには新宿から出て」
「新宿、あゝ確かに言われてみりゃ俺ずっと新宿から出たことないや」
 ポローンポローンとギター爪弾きながら、夜空を見上げて笑ったあなた。
「でも俺、毎晩花火見てるようなもんだからな」
「毎晩?」
「ああ、ネオン花火っていう」
「あゝ、なるほど」
「ネオン街は一年中が冬だって花火大会みたいだから、だから俺はやっぱりここで充分かな」
「うんそうだね、じゃいい」
 寂しげに笑うわたしにあなた、
「今度な、いつかまた」
「うん、いつかそのうちね、おっちゃんの具合良くなったら」
 それでもまだわたしに悪いと思ったのか?あなた、
「その花火やる、今?」
 って聞いたね、おっちゃんの花火セット。
「うん、やるやる」
 子供みたいにはしゃいでわたし答えて。あなたは、
「公園の住人に迷惑だから、静かなやつな」
「うん、じゃこれ?」
 わたしが取り出したのは線香花火。
「OK」
 わたしが握ってあなたがマッチの火を点けて、線香花火は小さな火花を散らしながらゆっくりとゆっくりと燃えて終点へ、それからしゅっと消えたね。後には燃えかすだけが残された、後には夜の暗さだけが。
「花火っていいよな」
「うん、きれいだね」
 だけどあなたが言ったのは、別の意味だったね。
「俺も花火みたいにぱっと燃えて、ぱっと散ってゆきたいよ」
「え?」
 わたしどきっとして、さっき読んだキリギリスとアリの話、思い出してた。
「キリギリスみたいに?」
 って尋ねるとあなた、
「うん、そう。キリギリスみたいに」
 って答えながら悲しげに笑ったね。
「やがて雪が融け春が訪れるとキリギリスが倒れた新宿ネオン街の路上には一輪のそれは美しい名もない花が咲いていたとさ、完、なんてね」
 ギター爪弾きながらひとり言みたいに呟くあなたにわたし、でもまだ駄目よって言いたかった、だって夢、まだわたしたちの夢が残っているでしょって、だけど言えなかった、言えずにただじっとあなたの横顔見つめていた。
 ねえきこえてる、ねえこっちの音受話器を通して、あなたの好きだった夢の丘公園の夜風と木の葉の音それから蝉時雨、公園のあちらこちらから漏れ聴こえてくる住人たちと野良猫の寝息、いびき、悲しげな寝言、一日のたたかいに疲れた人たちが今ぐっすりと眠っている、だからこんなに静か、東京新宿なんてとても思えない静けさよ。
 だからこんな夜はつい、あなたの子守唄口遊んでしまう……。
「おやすみ、今この街は無数の夢が眠っている、傷つき疲れ壊れかけたきみの夢も今は深い眠りむさぼっているから、今はただおやすみ、また明日夜が明けたらたたかいがはじまる、また明日たたかうために明日またきみの夢守るため、だから今はおやすみ、ここはこの街は、東京はいつもせんじょうなのだから」
 せんじょう、確かにそうね、ここは戦場、みんな生きることのたたかいに疲れ果て何とかひと時の眠りにでも辿り着ければ良いけれど、中には暑さに眠れずぼんやりと星を見たり風に吹かれている人もいるかしら、そんな人たちの吐息を包むように蝉たちが鳴いている。
 公衆電話の中もさすがに暑くてね、今汗拭い拭いこうして電話しているの、可笑しいでしょ、でも星がきれいよ、天の川がまっ直ぐに夜空を流れているから、そっちの空にも見えるでしょ天の川、そっちはもっときれいよねこっちより空気が澄んでいるから、暗い夜の港の海にも天の川が映っているかしら、ねえ北の寂れた港町にも天の川が。
 こんなに蒸し暑い夜でもネオン街では眩しく灯るネオンの下を今もたくさんの人が行き来しているわ、丸でそう銀河の流れのように、空に瞬く無数の星のひとつひとつがやっぱりひとつの命であるように、ネオン街の人込みの中を背中丸め歩くひとりひとりもそれぞれ違う寂しさ抱え悲しみ背負って生きるひとつの命なのよね、それでもわずかな夢と可能性を信じて。
 だからそんな夢と寂しさ包み込むようにネオン街の片隅で唄っていたあなたの唄が聴きたくてギターの音が聴きたくなってね、ついつい今夜もわたしこうしてあなたに電話してしまいました。
 ねえきこえるでしょ、東京の空を流れる天の川の星たちの音が、星たちの唄う唄が。

 きこえたかしら、聴こえたなら無言電話にならずに済むんだけれど、わたしにも聴かせてよそっちの寂れた港町の海の音、波に揺れる天の川の音色、それが無理ならせめてあなたの唄かギターでも、あ御免なさい、また愚痴になっちゃったね、まだまだ暑い日が続くけど、もう少しがんばってみるから、もしもし、じゃおやすみなさい、やっちゃん。
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