(公衆電話十一)百貨店屋上、十月

文字数 4,993文字

 ねえきこえてる受話器を通して、ねえこっちの音そうあなたの好きだった東京の音、今わたし木馬百貨店屋上の公衆電話からかけているから、ええ相変わらずよ土曜日の夜だから、地上は新宿駅前もネオン街もまばゆいイルミネーションにたくさんの人波、でも今この木馬百貨店の屋上はしーんとしていて静か、丸で別世界みたいよ、カルーセルも止まっているし、木馬たちは幼子のようにすやすやと寝息を立てて眠っている、ほら受話器から風の音やカルーセルの寝息さえ聴こえるほどでしょ、風も少しずつひんやりしてきたしね。
 うんでもそう、やっぱりわたしは仕事だから、これから百貨店をエレベータで下りて、それからいつものようにイルミネーションの海を人波をかきわけネオン街をよこぎって、オフィスのある、ええ元気よ、秋もすっかり深まってきて何となく感傷的にもなってね、ほらあなたもわたしも本当は人一倍寂しがりやじゃない、だから寂しい思いしていやしないかななんてつい思ってね、それで電話してみたの。
 夜の中にひっそりと佇むカルーセルの木馬たちがさっきからこっちを見ていてね、やさしい穏やかな目をして何だか心配そうにこっちを見ていてくれるからつい思い出してしまうあの夜のこと、わたしをのせたカルーセルをあなたが動かしてくれたあの夜。
 五年前の秋十月の新宿、あの日もカルーセルの木馬たちがやさしい土曜日の夜だったね。
 無事DSYを退社し息つく暇もなくシクラメンに入社したわたし、福森のおばちゃんに付いて仕事を一から覚えながら、同僚というか年下だけど先輩の早川美樹ちゃんと一緒におばちゃんの担当する会員さんの引き継ぎ、シクラメンの仕事はDSYに比べれば作業的には楽だったけど、何しろ相手がコンピュータじゃなくて会員さんという生身の人間だから大変かなって思ってたの、ところが案外わたしの性格に合っていたみたいでね、割と苦もなく会員さんとのやりとりもこなせそうだし、美樹ちゃんとも直ぐに仲良くなれたし、日一日と職場にも業務にも慣れてね、少しずつ緊張と不安も薄れていって、毎日が忙しくてだけど何もかもが新鮮であっという間に過ぎていった一ヶ月だった。
 それに大変なことばかりじゃなくて、通勤なんて横浜まで通っていたことを思えば楽になったし、歩いても通える距離だから早起きしてね、落葉舞う青梅街道沿いをのんびりと歩きながら通ったり、それにやっぱり夜景、シクラメンのオフィスの窓から見える新宿の夜景がきれいだから、目にした瞬間ほっとしてね仕事の疲れも直ぐに忘れさせてくれて、これがシクラメンに来て良かったって心から思える瞬間だった。
 引き継ぎも一段落して福森のおばちゃんの送別会がネオン街の一角にある居酒屋で開かれ、わたしも参加させてもらって、シクラメン設立当初からもう二十年働いてきたおばちゃんだから感極まって涙が止まらなくてね、わたしも自分の送別会に引き続いてまたもらい泣き、常に会員さんの立場になって親身に世話するおばちゃんのやさしくて熱い心を受け継いでがんばらなきゃって改めて誓うわたしだった。
 おばちゃんはあなたのこともちゃんと心配してくれていてね。わたしに、
「やっちゃんのこと、宜しくね」
 って。でもわたし、
「あの人風来坊のような人ですから、風みたいな、だから何とかひとりでもやってゆけると思いますよ」
 って澄ました顔で答えたの。そしたら、
「風来坊、でもああ見えて実は繊細なのよあの子、案外寂しがりやさんなんだから」
 っておばちゃん、おばちゃんから見たらあなたもわたしもまだまだ子供なのね、でも繊細で寂しがりやって言葉、あゝそうかもなあってわたし心の中で納得してた。
 こうして何とかシクラメンでの新たな人生を歩き出して変わったことのひとつが休日、土日祝日はお盆と年末年始を除いて基本出勤で平日が休みになったから、土曜日の夜は仕事を終えてそのままあなたのいるネオン街へと足を運ぶことになったね、あなたは相変わらず何も変わることなくアカシアの雨の看板持って通りのまん中に突っ立っていたけど。シクラメンから持参したチラシの束を、
「はいこれ、お願いします」
 ってあなたに手渡して、後はわたし今まで通りぼんやりとあなたの姿やネオン街の様子見ていたね。
 行き交う人波の中を秋風が吹き過ぎ落葉も舞い落ちて、あなたは気持ち良さそうに風に吹かれていたね、だけど仕事に疲れたわたしの方は丸でおばあさんみたいに通りの端にしゃがみ込んで、ふう唄う元気もないなあなんてため息吐いて。そんなわたしのことをあなたは心配して、
「もう帰ったら?シクラメンの仕事大変だろ」
 それから、
「今度から土曜日じゃなくて休みの日に来れば?俺なら毎晩ここにいるから」
 って言ってくれたね。
 わたしも土曜日じゃなくてもいいかなあなんて一瞬考えたけど、やっぱりここは、この新宿のネオン街は土曜日の夜が一番じゃない?一番たくさん人が集まってきて一番派手で雑然として賑やかで一番活気にあふれているから。わたしそんなネオン街が見たいから、そんな土曜の夜のネオン街が大好きだから。だから直ぐにやっぱり土曜日がいいって思い直して、
「大丈夫、また来週土曜日の夜ちゃんと来るから、今はまだ慣れないから余裕ないけど、そのうちきっと慣れて平気になるから、ね」
 って懇願するみたいに答えた。そしたらあなた、
「うんじゃ分かった、だったらそうしなよ」
 って笑い返してくれたね。
 そんな落葉舞い散る慌しい日々の中で、月末の土曜日の夜が訪れたね。福森のおばちゃんは、
「何かあったら、遠慮しないで電話頂戴ね」
 って言い残し月末を待たずに既にシクラメンを退職、その夜もわたし美樹ちゃんと共に遅くまで会員さんのデータ作成に追われ、仕事を終えて急いでネオン街に行った時にはあなたはもう時計台の広場で弾き語りしていたね。
「御免、遅くなっちゃった」
「お疲れさん、今夜はもう来ないかと思ったよ」
 ギター爪弾きながらあなた、しばらくはあなたひとりで唄って。それから、
「唄える?」
 ってわたしに聞いたね。
「うん」
 わたし頷くと、ギターは『ネオン街をよこぎって』のイントロに変わって、久し振りにデュエットしたね。でもやっぱりわたし疲れてて、その様子にあなた、
「じゃ今夜は俺も帰る」
 って言い出し、
「だから、ちょっと付き合って」
 って突然言ったね。びっくりしたけど、
「うん、いいよ、ちょっとだけなら」
 ってわたし答えて、ふたりはネオン街を後にしたね。
 あなたの背中に付いてゆくとそこは木馬百貨店の前、百貨店はもう終わっていたけど最上階のレストラン街はまだやっていたからエレベータは動いていて、それに夜景を見る人のために屋上も開放されていたから、わたしたちはエレベータでレストラン街を通過してそのまま屋上へと向かったね。
 屋上に着くと、営業の終わったドリームランドは照明も消えまっ暗で人影もなくしーんと静まり返っていたね、あなたとわたしの足音だけを辺りに響かせながらわたしたちはカルーセルの前に辿り着いて、するとあなたはポケットからひとつのキーを取り出しカルーセルのチケット売り場の小屋の中に消えたね、ひとり屋上に取り残されたわたしは夜風に吹かれながらぼんやりとカルーセルの前に突っ立って、もう寝静まった木馬たちを眺めていたら、突然目の前がぱっと明るく輝いて。
 それはカルーセルの照明だったね、あなたがスイッチを入れ、電気のスイッチが入るとカルーセルは命を吹き込まれた生きもののように回り出し、眠っていた筈の木馬たちも突然起こされたような眠そうな顔をしながら走り出し、わたしはただびっくりして回転するカルーセルを眺めていたね、見渡せば周囲を新宿の夜景が包んでいた。
 再びカルーセルは止まり、いつのまにかわたしの隣りにはあなた。
「大丈夫なの?」
 心配するわたしに、
「平気平気、今夜は特別だから」
「特別って?」
 尋ねるわたしに、あなたは子供みたいに笑ったね。
「シクラメンの就職祝い」
「え?」
 じっとあなたの顔を見つめるわたしに、
「乗れば」
「いいの?」
 あなたは頷き、
「さあお嬢さん、一番お気に入りの木馬へどうぞ」
「じゃあ」
 わたしカルーセルを一回りして一番古びてペンキの剥げかけた木馬を選んだね。
 再びチケット売り場の小屋の中にあなたが姿を消すと、カルーセルは直ぐに動き出した、わたしをのせてカルーセルは回り出し、丸で東京の夜をひとり占めしているみたいだったね、わたし仕事の疲れも忘れていつまでも乗っていたい夢のように夢見るように、ただいつまでも一晩中この夜の中にいたかった。
「有難う、やっちゃん」
 心の中で何度も呟いていたら、わたしの目から涙が零れ落ちていたね。
 カルーセルが回ってた、東京の夜の中、新宿のネオン街、日本でいや世界中で一番騒々しい夜の街の直ぐそばで静かに静かに人知れず、そしていつまでも回っていてほしいと祈った、回転するカルーセル眺めながらあなたが口遊む『ネオン街をよこぎって』が聴こえてきたからわたしも木馬の上で一緒に口遊み、だから今わたしたちの夢をのせ、夢見るように眠るように世界をふるわせるように回っていた木馬百貨店屋上のドリームランドのカルーセル、いつまでもやさしく回っていてほしかった、この星の自転公転に合わせ、わたしたちふたりの夢をのせたままで、そういつまでもいつまでも。
 ねえきこえてる、ねえこっちの音受話器を通して、あなたの好きだった誰もいない夜の木馬百貨店屋上の静けさ、カルーセルの木馬たちの間をひゅるひゅると駆け抜ける風の音、今は今も本当に静かでね、寂しさを覚えるくらい、木馬たちの寝息さえ聴こえるほどでしょ、夜空には丸で木馬たちの果てしない夢を映し出すようにきらきらと星が瞬いているわ、夜空の星座は丸で大きなひとつのカルーセルみたいね、少しずつ少しずつわたしたちが気付かないうちにそっと回転していて気付いたらもう夜明け前。
 新宿駅前木馬百貨店屋上の遊園地ドリームランド、ねえ東京新宿の土曜日の夜にもこんなに穏やかでやさしくなれる場所があったなんてね、え、あった、そう、そうなの、実は御免なさいずっと黙っていたけど、だってあなた寂しがるといけないなんてついつい思っちゃって何だか言い出せなくてね、でももう正直に言わなきゃ、うんドリームランド、ここね閉園したの、驚いた、え、それともやっぱり仕方ないかなあって、あんまり流行ってなかったしね、レストラン街を拡張するんだって。
 それで今まではずっとそのまんま手付かずで残していたけど、来週の月曜日からいよいよ解体作業が始まるから、しばらくは屋上も立ち入り禁止だって、え、うん、そう、だからカルーセルも木馬たちもね、みんなこれっきりでおしまい、ううんわたしなら平気、だからもう一度最後にあなたに会いたかったって、木馬たちがみんなそんな顔しているからカルーセルがね、だからわたし今夜こうして電話してみたの。

 無言電話なのに無言電話じゃないみたい、風に混じって木馬たちの鼓動が今にも聴こえてきそうで、何だかねもう動かない筈のカルーセルが今にも動き出しそうなそんな気がしてしまって、もう一度わたしたちの夢をのせカルーセル回っていてほしかった、回り続けてほし、あゝ御免なさい、また愚痴になっちゃったね。
 会うは別れの始まりなんて今更愚痴ったところで仕方ないから、おっちゃんが言ったように、そうよおっちゃんが教えてくれた、生者必滅、会者定離の言葉の代わりに教えてくれたじゃないあの言葉大事に胸に言い聞かせて、だから大丈夫、たとえわたしたちのカルーセルは壊されてこの地上から永遠に姿を消しても、わたしたちの夢をのせたカルーセルはそのまま風になって、この星の上をいつまでも回り続けるから、そしていつかまたわたしたちみたいな若かったわたしたちのような若者の胸に新しい夢となって宿るから、だからきっとわたしたちの夢は終わらない、絶えることなくこの星の上でこの星と共に生き続けるのよ、ねえ、そう思わない。
 それじゃ今夜はもうこれくらいにしないと、そうそう最後の晩だからしばらくカードが切れるまでこっちの音、木馬百貨店屋上の最後の遊園地の音聴いていてね、もしもし、じゃおやすみ、やっちゃん。
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