第2話

文字数 1,732文字

 このカメラを手に入れたのは、ちょうど三か月前の大雨の日だった。
 その日の撮影を終え、傘を差しながら街中をブラブラ歩いていると、商店街を抜けた先で、見覚えのない奇妙な雰囲気の店が目に止まった。
「こんな店あったかな」そう呟くと、体が自然と動き出し、吸い込まれる様に店の中へ足を踏み入れた。
 店内は古い家具や骨董品らしき物が雑多に並び、ひと目でここが古物商だと分かる。狭い店内を見廻してみるが、相沢の他に客の姿は無い。どうやら相沢独りだけの様だった。
 ふと棚にある埃の被ったブリキの飛行機に目が止まる。幼い頃通った近所の駄菓子屋を思い出し、ノスタルジックな気分に浸っていていった。
「何かお探しですかな」
 不意に店の奥から低い声が聞こえた。体がビクっと震えて振り返ると、店の奥から背の低い口ひげを生やした白髪の老人が歩いてきた。
 思わずたじろぐ相沢を尻目に、老人は深いシワの刻まれた顔を向けると、相沢の全身を怪しい視線でゆっくりとなめまわしていく。
 やがて視線を横へとずらし、古道具の山を掻きわけて奥へ進むと、棚の中から一台の古めかしいカメラを手に取り、埃を払いながら戻ってきた。相沢の目には、ただのインスタントカメラの様に映った。
「お主にはこれがええじゃろう」
 老人はそう言うと、手にしたカメラを構える。
「あんた、名前は? 歳はいくつじゃ?」ぶしつけな質問に呆然とする相沢。
「そんなの関係無いだろ。一体どういうつもりだ」
 すると突然フラッシュが光り、カメラからフィルムがスライドしてきた。老人はそのフィルムをパタパタ仰ぎ、浮き出た写真に目を落としてすこし経つと、相沢に渡した。
 手にした写真を覗き込むと、そこには鳩が豆鉄砲を食ったような間抜け面の相沢が写っている。
「相沢純也、三十三歳じゃな」
「えっ……?」
 老人の言葉に動揺し、もう一度写真を確認する。相沢とその後ろに古びた洋箪笥があるだけで、当然だが、名前や年齢に関する情報は何も写っていない。
「これは被写体の心を念写する、その名も『念(ねん)スタントカメラ』じゃ。これを構えてシャッターを切ると、相手の考えておる内容が写真に写し出されるという寸法じゃ。お前さんもひとつ試してみるかい?」
 老人がカメラを渡すと、相沢は二本指を立てた年老いた被写体に向けてシャッターを切った。出てきた写真にはピースサインの老人が写っており、その横にはマンガであるようなふきだしがあった。そこには『どうじゃ、凄いじゃろう』と書いてある。
「どうじゃ、凄いじゃろう。ふぉっふぉっふぉっ」ふきだしと同じ言葉を吐き、老人が笑い出した。
「でもさっきの写真にはこんなふきだしなんか無かった。どういう事なんだ?」
「それがこのカメラのもう一つ凄いところじゃ。ふきだしは撮った本人にしか見えん。したがって他人に写真を見られても決してバレることは無いのじゃ。おまけにフィルムは補充しなくても無限に撮れる。原理はよう分からんが、それもこのカメラの売りじゃな」
 老人はうなずきながらも満足そうに口髭を撫でまわしている。
「これ、いくらですか」相沢はいきり立って老人に凄む。
「十五万……と言いたいところじゃが、これも何かの縁じゃ。今日は特別に十万円にまけておいてやる。あんた、運がええのう」
「十万ですか……」財布には今日のギャラを含めて、ちょうど十万円入っている。もしかしてさっき撮られた写真には、相沢の所持金も写っていたのかもしれない。
「分かりました」
 相沢は渋々十万円を差し出して、『念スタントカメラ』を手に取った。
「毎度あり!」
 にやけながらお札を数える老人に、相沢は素早くカメラを向けてシャッターを切る。
「なんだ、本当は六万円じゃないか、このボッタクリめ」老人の手から四万円を抜き取ると、写真を投げ捨て店を後にする。
 去り際に老人の声が届いた。
「わしを出し抜くとは、早速使い方を覚えた様じゃのお。さすがはプロカメラマンじゃ」
 何も言っていないのに、相沢がプロのカメラマンであることを、老人は知っているようだった。やはりこのカメラは侮れない。
 外に出ると雨がまだ降り続いている。傘を差しながら何気なく振り返ると、薄汚れたガラス戸には『松極堂』の文字が見えた。
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