第10話

文字数 1,666文字

 伊織と再び会うことができたのは、それから二週間後だった。
 立て続けに入った仕事を片づけるために、連日深夜までスタジオに缶詰め状態となり、ようやく時間を見つけて、彼女との再会にこぎつけた。
 待ち合わせ場所は彼女の所属する片桐芸能プロダクションの入った、あの雑居ビルの屋上だった。
 仕事が押し、約束の時刻を三十分も遅れて屋上のドアを開けると、伊織は鉄柵に両肘を掛けて、暮れ行く街並みをぼんやりと眺めながら佇んでいた。
「伊織ちゃん、遅れてごめん」肩で息をしながら頭を下げると、彼女は振り向きもせず、どこか遠くを見つめたまま、右足を反対側のそれの後ろに重ねた。
「ねえ、どうして向日葵(ひまわり)って、いつも太陽のほうを向いているか、知ってる?」
 突然の質問に、相沢は戸惑いを隠せない。伊織は何故、そんな事を訊くのだろうか?
「……それは光合成を受けるために、出来るだけ花の正面で太陽光を取り入れようとしているんじゃないかな」
 そう答えながら伊織の隣に立ち、同じように肘をかける。相沢は夕日に赤く染まった少女の横顔を見つめた。
「はずれよ。……多くの人はそう勘違いしているけど、本当は全然動いていないの。実際に動くのは開花する前のつぼみの段階まで。太陽光の当たらない茎の部分が成長し、全体を動かして葉を太陽に向けているけれど、開花する頃には茎の成長も止まってしまって、そのまま固定されるの。……よく観察すればわかるけど、実際の向日葵の花はあちこちバラバラの方向を向いているのよ」
「そうなんだ、詳しいんだね」
 だが、伊織は自らの答えを否定した。
「でも私は違うと思うの。向日葵たちは芽生えた時から太陽に憧れ、一心にそれを目指して成長していく。……だけど、やがて開花して大人になる頃には、かつての志を忘れて、ただ枯れゆくために自らの意思で太陽に向かう事を止めるのよ」
 相沢は言葉が出なかった。どうしてそんな話をするのだろう。それが死を意識するほどの悩みと関係があるのだろうか。
「良かったら俺に君の悩みを聞かせてくれないだろうか。力になりたいんだ」相沢は君を死なせたくないという言葉を呑み込む。
「相沢さん、あなたの気持ちは嬉しいわ。でも私の悩みはきっと誰にも理解されないの。話してどうこうなる問題じゃない。本当に私の事を心配してくれるのなら答えは簡単よ……何も聞かず、今すぐ帰って!」顔を伏せると、伊織は肩を激しく震わせた。
 相沢は両肩を掴むと体を正面に向い合せ、昏い海の底に沈む孤独な少女を抱きしめずにはいられなかった。
「やめてください! 大声を出しますよ!!」振りほどこうと必死にもがく。だが、抱きしめるその両腕はさらに力を強めていく。
「君は向日葵なんかじゃない! 過去に何があったとしても、俺が必ず守ってみせる。だから一緒に太陽を向こう!!」
 抵抗するのをやめ、伊織はただ身体を預ける様に顔を肩に埋める。相沢は己の肩が僅かに濡れるのを感じた。
 そのまま数分が経ち、ゆっくりと腕を伸ばして彼女のうるんだ瞳をじっと見つめると、曇りのない天使のまなざしが、孤軍奮闘するカメラマンを照らしていた。
「相沢さん。……私、じつは……」震える唇が紅色に染まっていく。
「ちょっと待って!」人差し指を立てて伊織の唇に軽く当てると、相沢は首を横に振った。「何も言わなくてもいい。俺が当ててみせるから」
 ウエストポーチから念スタントカメラを取り出すと、レンズを彼女に向ける。
「君の悩みは、な~んだい?」わざとおどけてシャッターを切ると、出てきた写真を彼女に渡す。
「なに? これがどうしたの」首を傾げる彼女に、相沢は念スタントカメラの正体を明かした。
「嘘でしょ? とても信じられないわ」丸くなった口を手の先で押さえて、訝しげな眼を相沢に向けた。
 では証明してみましょうと写真を受取り、画像を確認する。――今度はふきだしにはっきりと文字が浮かんでいた。
 だが――。
「まさか、そんな事って……」思わず声が詰まる。
 佐倉伊織の秘密とは、相沢の想像をはるかに越えたものだった……。
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