第5話
文字数 1,929文字
やがて電車が駅に到着すると、二人は順番に乗り込んだ。幸い車内は比較的空いていたので、並んで座る事が出来た。伊織の鞄は相沢が網棚の上に乗せた。
「本当の事って何ですか?」彼女が突然切り出してきた。
「本当の事?」
「ほら、さっき言ってたでしょ。相沢さんがどうして私の事を分かったのか、です。……撮影の時は私たちの事を完全に“その他大勢”って目で見ていたくせに」
「そこまでバレていたのか。いやまいったな」照れながら手で頭を掻くと、相沢は声を低くしながら話し出した。
「実はあの後、スタジオで撮影した写真をパソコンでチェックしていたら、ティンカーベルズ――特に君の写真が妙に気になってね。撮影の時は気づかなかったが、何ていうか、君にアイドルとしての才能を感じて、是非もう一度会いたいと思っていたんだ」
相沢は必死で取り繕う。背中の汗が止まらなかったが、ここは我慢のしどころ。こうなっては写真を撮るまで帰るわけにはいかない。
「光栄です。でもそれって、みんなにも言っているんでしょう?」片眉を吊り上げた伊織は見透かすような眼で相沢を見据える。だがすぐに、冗談ですよと言うように、柔らかな表情に変化した。「それに私の呼び方は伊織でいいですよ。そっちの方が慣れていますから。ちなみに愛称は“いーおん”ですけどね」
「いーおん? 何だかスーパーみたいだね」
「でしょ? だからあんまり気に入っていないんです。でもマネージャーが勝手に……」
相沢は公式サイトにある伊織のプロフィールを思い出した。そこには確かに『いーおんって呼んでね』とあった。てっきり自分で付けた愛称だと思っていたが、まさかマネージャーの指示だったとは。
「よくある話だよ。伊織ちゃん」実際にそうなのかはよく知らない。あくまでも安心させるための方便だったが、現実はきっとそんなものだろうと推論した。
「そういえば、相沢さんは今日どうしたんですか。やっぱりお仕事か何かで?」
「朝から仕事が入っていたんだが、急にキャンセルになってね。暇だから映画でも観ようかとブラついていたんだ」まさか伊織と会う為にわざわざ出てきたとは言えない。
「私たちは今日ワタベ電器でミニライブをやっていたんです。さっき解散して自宅に帰るところなんですよ」
当然知っていたが、そうなんだと相槌を打ち、さも、今思い付いたかのごとく、ポンと手を鳴らした。
「そうだ、このあと時間ある? 良かったらデジカメでちょっと撮らせてもらいたいんだけど」腰に巻いたウエストポーチを開けると、相沢は小型のデジカメを取り出す。今はまだアレの出番ではない。
ちょっとだけならと伊織はうなずくと、早速棚から鞄を下ろして次の駅で電車を降る。
二人は雑談を交わしながらホームの端へと向かった。
軽くポーズを決める伊織をデジカメで何枚か撮ると、いよいよ本命を取り出した。
「何か悩み事ある?」その掛け声でシャッターを切り、続けざまにもう一枚撮影した。一枚目を自分のポーチに入れ、残りを伊織に渡す。
「今の何ですか? 悩み事あるって」
「伊織ちゃん、なんだか悩んでいる様に見えたからね」
「無いですよ。悩みなんて」
それは嘘だと相沢は確信していた。黒いふきだしの件もあったが、時折見せる、くすんだ表情も見逃してはいない。競争の激しいアイドル業界で生き残るには、きっと並大抵の努力では到底立ち行かないだろう。もしかしたら相沢も想像しえない、もっと他の苦しみを背負っているのかもしれない。そう思うと急にいたたまれなくなった。
カメラをポーチに戻すついでに、さっき念スタントカメラで撮った写真をすばやく確認する。今回もふきだしは黒く染まっていた。
「今日は有難う。後で写真送るからメアドいい?」再び撮影の約束を取り付けるために、連絡先を伺う。
「こちらこそ、私の為にわざわざ時間を割いていただき、ありがとうございました」
メアドを交換した後、伊織に感じたいたたまれなさと、抑えきれない好奇心で、彼女を食事に誘った。
「伊織ちゃん、お腹空いてない? この後、食事でも……」
「駄目です!」言い終わらないうちに、伊織は強く断ってきた。
「どうしたの? 今後について軽く打ち合わせも兼ねてと……」
「だから駄目です。絶対に駄目!」
先ほどまでの穏やかな態度とは打って変わり、まるで別人のように強い口調ではっきりと拒絶してきた。それでも相沢は食い下がる。
「もし二人きりがマズいんだったら、マネージャーさんも呼んで……」
「そういう問題じゃないんです。せっかくのご厚意ですが、本当にごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げると、伊織は逃げる様にその場を去っていく。ホームには相沢と、情緒不安定な少女の重い鞄がぽつんと残された。
「本当の事って何ですか?」彼女が突然切り出してきた。
「本当の事?」
「ほら、さっき言ってたでしょ。相沢さんがどうして私の事を分かったのか、です。……撮影の時は私たちの事を完全に“その他大勢”って目で見ていたくせに」
「そこまでバレていたのか。いやまいったな」照れながら手で頭を掻くと、相沢は声を低くしながら話し出した。
「実はあの後、スタジオで撮影した写真をパソコンでチェックしていたら、ティンカーベルズ――特に君の写真が妙に気になってね。撮影の時は気づかなかったが、何ていうか、君にアイドルとしての才能を感じて、是非もう一度会いたいと思っていたんだ」
相沢は必死で取り繕う。背中の汗が止まらなかったが、ここは我慢のしどころ。こうなっては写真を撮るまで帰るわけにはいかない。
「光栄です。でもそれって、みんなにも言っているんでしょう?」片眉を吊り上げた伊織は見透かすような眼で相沢を見据える。だがすぐに、冗談ですよと言うように、柔らかな表情に変化した。「それに私の呼び方は伊織でいいですよ。そっちの方が慣れていますから。ちなみに愛称は“いーおん”ですけどね」
「いーおん? 何だかスーパーみたいだね」
「でしょ? だからあんまり気に入っていないんです。でもマネージャーが勝手に……」
相沢は公式サイトにある伊織のプロフィールを思い出した。そこには確かに『いーおんって呼んでね』とあった。てっきり自分で付けた愛称だと思っていたが、まさかマネージャーの指示だったとは。
「よくある話だよ。伊織ちゃん」実際にそうなのかはよく知らない。あくまでも安心させるための方便だったが、現実はきっとそんなものだろうと推論した。
「そういえば、相沢さんは今日どうしたんですか。やっぱりお仕事か何かで?」
「朝から仕事が入っていたんだが、急にキャンセルになってね。暇だから映画でも観ようかとブラついていたんだ」まさか伊織と会う為にわざわざ出てきたとは言えない。
「私たちは今日ワタベ電器でミニライブをやっていたんです。さっき解散して自宅に帰るところなんですよ」
当然知っていたが、そうなんだと相槌を打ち、さも、今思い付いたかのごとく、ポンと手を鳴らした。
「そうだ、このあと時間ある? 良かったらデジカメでちょっと撮らせてもらいたいんだけど」腰に巻いたウエストポーチを開けると、相沢は小型のデジカメを取り出す。今はまだアレの出番ではない。
ちょっとだけならと伊織はうなずくと、早速棚から鞄を下ろして次の駅で電車を降る。
二人は雑談を交わしながらホームの端へと向かった。
軽くポーズを決める伊織をデジカメで何枚か撮ると、いよいよ本命を取り出した。
「何か悩み事ある?」その掛け声でシャッターを切り、続けざまにもう一枚撮影した。一枚目を自分のポーチに入れ、残りを伊織に渡す。
「今の何ですか? 悩み事あるって」
「伊織ちゃん、なんだか悩んでいる様に見えたからね」
「無いですよ。悩みなんて」
それは嘘だと相沢は確信していた。黒いふきだしの件もあったが、時折見せる、くすんだ表情も見逃してはいない。競争の激しいアイドル業界で生き残るには、きっと並大抵の努力では到底立ち行かないだろう。もしかしたら相沢も想像しえない、もっと他の苦しみを背負っているのかもしれない。そう思うと急にいたたまれなくなった。
カメラをポーチに戻すついでに、さっき念スタントカメラで撮った写真をすばやく確認する。今回もふきだしは黒く染まっていた。
「今日は有難う。後で写真送るからメアドいい?」再び撮影の約束を取り付けるために、連絡先を伺う。
「こちらこそ、私の為にわざわざ時間を割いていただき、ありがとうございました」
メアドを交換した後、伊織に感じたいたたまれなさと、抑えきれない好奇心で、彼女を食事に誘った。
「伊織ちゃん、お腹空いてない? この後、食事でも……」
「駄目です!」言い終わらないうちに、伊織は強く断ってきた。
「どうしたの? 今後について軽く打ち合わせも兼ねてと……」
「だから駄目です。絶対に駄目!」
先ほどまでの穏やかな態度とは打って変わり、まるで別人のように強い口調ではっきりと拒絶してきた。それでも相沢は食い下がる。
「もし二人きりがマズいんだったら、マネージャーさんも呼んで……」
「そういう問題じゃないんです。せっかくのご厚意ですが、本当にごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げると、伊織は逃げる様にその場を去っていく。ホームには相沢と、情緒不安定な少女の重い鞄がぽつんと残された。