迷い込んだ闇の静寂で…。

文字数 1,891文字

 
  深夜、下野の国、馬頭町を行きすぎようとして、前を走る車が、少しおかしな動きをしていることに気づいた。
 真夜中のこの時間だ、おそらく「酒気帯び運転」だろう、時折左に寄っていく車に追いつき、追い越し禁止ではあるが、このまま後ろに着いて走るのも嫌だし、抜こうかなぁと迷っていると、いきなり赤いブレーキランプが灯り、ハザードランプが点滅し、道を譲ろうとしているらしきスピードに……。
 追い越し、前に出て「あっ」と気づく。
 通い慣れていない道の上、酒気帯び運転らしい車に気を取られ過ぎていたためか、追い越した直後に、その車のすぐ先が、自分の左折しようとした交差点であることに気づいたが、下手に急ブレーキを踏めば、相手は酒気帯び運転、ひょっとしたら予想できない行動を起こしかねず、事故を招くかもしれない。
 このまま走り、どこかこの先でターンかなぁ。
 が、左折するタイミングを失い、真夜中のため道も定かではなく、そのまましばらく走り続け、時折ナビに目をやる。気分屋の私、まぁいいか、そのうち、ナビを頼りに左手の山中に迷い込めば「大子街道」に出れるだろうさと……。
 が、思惑は少し外れてしまったようだ、まぁ急ぐ旅でもないしと、のんびりを決め込み、左折道に行きあたったのは、またしばらく走ったころ……。
 
 うん、まぁまぁの広さはある、この道なら低い山塊を越えて大子街道に出れるなと高をくくったのが間違いのもと?
 ヘッドライトに照らし出される道は次第に細く狭くなり、やがて民家も途切れてくると、心中に不安の芽が広がり始める……。
 舗装はなされてはいるが、車一台がやっとというような細道の先の闇に、小さな集落が時折浮かび出てくる。その幻想的な真夜中のドライブは、思わぬミステリーの世界へ私を誘う……。

 小さな峠らしい高みを超えた辺りで、ヘッドライトの明かりに、「首無し地蔵尊」なんぞという案内板が……。
 ふと、「水戸天狗党」の悲劇が脳裏を過るが……。
 石の角柱が二本、ヘッドライトの明かりに浮かびあがり、それらしき雰囲気が……。
 嫌な気分ではない、が、なんだか異形の世界に誘い込まれてゆくような……。
 これが明るい光の時間帯であれば、好奇心旺盛な性分、当然寄り道となるのではあろうが、この真夜中、それもまだ目的地までは遠い……。
 まずは大子街道に出なければと、焦る訳ではないが、「首無し地蔵尊」なんて、ここしばらくは行き当たることのなかった「畏怖感」を招く言葉に、私の心の片隅に、おどろおどろしいものが生まれてくるような……。

 そして「女体山霊水」と、またまたそれらしき拙き文字の白い案内板がヘッドライトの明かりに浮かぶ……。
 湧き水であろうか、径三尺ほどのコンクリートの土管に、きれいな水があふれ落ち、数件の家々が闇にぼんやりと……。
 人の住む光景に出逢うと、また少し心が落ち着くが、道はすぐにまた真っ暗な山中に……。
 やがて行く先の闇に、またまた「不動明王雨降観音」という手書きの案内板が……。
「ふーん」と、心のどこかで納得のいく展開になってきた。
 車を停めると、窓を開け放ち、その霊気を嗅ぐ……。
 懐かしい香りであるような……。
 どうやら、信仰の山の中に迷い込んでしまったらしい……。
 こういう時、自分が不信心であることを後悔するのは、まぁ、心の何処かで「少しは神を畏れ敬ってている」証でもあるのであろうか……。

 やがて二車線の広い道路に合流し、ホッと胸を撫でおろす。それを左手に進むと、すぐに見覚えのある大子街道の景色が……。
 夢見心地の自分を現実に引き戻そうとするかのように首を小さく振りながら、ハンドルを握る手に籠った力を、意識しながら呪縛を解くかのように抜き放ってゆく。
 四半時あまりの短い彷徨い旅、大子街道に戻ってみれば、ははは、いつもの道であれば、ここまで五分余りとかからない迷い道ではなかったのか……。
 その四半時の闇の中の風景が、それからしばらくの間、私の心から消えてはゆかない。
 ふと、幼き頃の、あの懐かしい故郷の風景が心の中で重なりゆく……。
 昼なお暗い山中のお稲荷様、通学路の古びた祠のお地蔵様、仰ぎ見る神の嶺に重なりゆくあの山河……。
 その懐に抱かれて育ったあの頃……。
 そして、恐らくは、その失われた「故郷の山河」を探し求めて「闇」の中を彷徨い歩いてきたたのであろう自分の人生……。
 命あらば、叶うなれば、春、芽吹きの季節にこの山中を彷徨ってみたいと……。

      「とある風景の中で」第九話、「迷い込んだ闇の静寂で…」
              終わり
 
 
 
 
 
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