西会津の渓間にて

文字数 1,664文字

  西会津の渓間にて (仮題)

 磐越西線の駅を降り、無理やり近代化されたような街並みを抜け、鳥追い観音の岡へ向かう。高速道路のガード下から坂道になって来るが、今日は一日だけの里歩き、振り返れば、高速の向こうに広がる西会津の町並みの奥に、残雪を抱いた飯豊の山々が望める。
 坂を上りきるとすぐに鳥追い観音の社が見える。
 まぁ大して信心心も無いのではあるが、一応境内に歩を進め、今日の無事をお願いする。
 道路を挟んで不動茶屋という蕎麦屋さんが、昔の大衆食堂の面影を残し、その暖簾がそよ風に揺れれている。
 ここの御蕎麦は旨い。
 いや、私好みと言った方が正確であろうか……。
 私の母の実家の大衆食堂は、九州の山の中の町に在ったが、饂飩と蕎麦がメインで、もう一つ、関西地方独特の具入りの酢飯三角稲荷を出していたように記憶している。
 その祖父の打った蕎麦の味、そして祖母の作った炒り子出汁が、私の「御蕎麦」なのであるのだが、ここ「仁王茶屋」の御蕎麦を戴くと、記憶の底から祖父の面影などが蘇ってくるのである。それがここの蕎麦を旨いと思わせる一つの所以になっていることは違いない。
 山菜や柿の葉など、季節を感じさせてくれる天婦羅が添えられてくるのも嬉しい。
 
 要りもしない杖を片手に再び街道を歩いてゆく。
 橋の向こうの小さな集落の庭先に咲く花を楽しみながら最奥の集落を目指す。
 大山祇神社の在る集落に辿り着くころには、もういい加減草臥れてしまい、ここから先の山道に足を踏み入れることを逡巡するのであった。
 老い耄れるということは、哀しいことである。
 いや、それを疎むというのではない、遠い昔、この道をさらに奥まで歩き、小さな社に行き当たった記憶がある。人っ子一人行き会わぬその社迄の道に、異様な寂しさを覚えたのは、その頃の挫折の所為か。

 それは、自分の方便というものに行き詰り、迷っていたからであったが、未熟ではあろうがまだ若いということが、己を捨て鉢にすることなく、何処かに余裕のようなものを隠し持たせてはいた。
 身体を追い込むように歩き続け、心の奥までが疲れ果てる。それがその頃の僕の山歩き、疲れ果て、小さな橋に座り込んで清らかな流れや四囲の山々を見ながら、気を取り直して再び歩き始めたとき、橋を渡ってくる老人が「帰るかね」と微笑みを浮かべながら会釈をくれた。
「もうバスは無いよ」
「はい、野沢まで歩きます」
「ははは、好いねぇ、若いということは」と、老人は嬉しそうに言う。
「お茶でも飲んでゆくかね」
「いえ」
「遠慮は要らないよ、もうばぁさんがお茶の用意をしているだろうし……」
 どうやら川の傍の高い所に建つ家から、僕のことを見ていたらしい。
 お茶を戴きながら、
「ははは、川に飛び込むんじゃないかとね、ばぁさんと心配してね、お茶でも飲んで思い直してもらおうかと、降りて行ったのさ」と、おばぁちゃんと目を見合わせて笑っている。
 僕は照れ笑いを返したが、心の中で「ありがとうございます」と、頭を下げるのであった。
 死ぬ気などは毛頭なかったが、他人の眼にはそんな翳を感じさせていたのかも知れなかった。
「何も無いけど、晩飯食って、明日の一番バスで野沢まで出ればいい」と勧められ、色んなことを話しながらその夜を過ごしたことを覚えている。
 それから毎年年賀状を戴いていたが、今は、お二人とも亡くなり、あの家も大雪に潰れてしまい、土台だけが寂しく残っていた。

 消えてしまった老人の家を見に来たわけでもないが、一度、そう、死ぬ前に一度、この風景を目に焼き付けておきたかった。
 あの小さな出遭いが、僕を救ってくれた……。
 死のうなんて考え思いたった旅ではなかったが、語り合うほどに伝わってくる老夫婦の温かさが、少し沈んでいたであろう僕の心を揺り動かしてくれ、翌朝見送られバスに乗り、優しいお二人に手を振り続けたあの心の爽快さは、それからの僕を作り上げてくれた大事なもののひとつであったに違いないのである。
「ありがとう……」

     西会津の渓間にて   おわり

 
 
 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み