第34話 アキ先生

文字数 3,021文字

◇◇ アキ先生 ◇◇


「4年生のみんな、吹奏楽クラブの見学にきてくれて、ありがとう。顧問の西山アキです。アキせんせって呼んでな。
わたしたち北小学校・吹奏楽クラブは、音楽に夢中になれる、たのしいクラブです。
みんなも、好きなことに夢中になっとるとき、時間があっちゅう間に過ぎていくやろ?
そして、ああでもあらへん、こうでもあらへんと、いろいろ工夫を加えたってるうちに、気づいてみたら、えらいうまなっとったって、あるやん。
楽器演奏も、おんなじです。
最初から、うまなろうとしてはだめ。
いろんな楽しみ方を工夫していくうち、気づいてみたら、演奏がうまなる練習になっとった、ってわけです。
先生は、その楽しみ方の'案内係'をしてます...。
…はい、前置きはこれくらいにして...では、これから5、6年生の団員の皆さんが登場します。拍手~~!」

通学グループが同じからなのか、遠慮がちに小さく手を振りあう、団員と見学の4年生もいる。

「ありがとう。ほな、まず、団員のみなさん、いつもの練習。最初にやること...知っとるな。イチ・ニ・サンでやってもらうで。」
なぜか、ニヤニヤする団員もいる。
「はい、イチ・ニ・サン!」

とたんに、団員全員が、笑い始めた。
それを見ていた4年生は、はじめのうち、あっけにとられていたが、数秒後、つられて笑いだし、教室全体が、笑いに包まれた。


「はい、ありがとう、ありがとう…。これが、笑う練習。べつに、みんなを、むりやり楽しゅうさせようってわけやあらへんで。口の周りの筋肉をほぐす、じゅんびです。...はい、少し、落ち着いたところで......今度は、楽器をふくときの口の形を安定させる準備運動を行ないます。ほな、始めよか。…せーのっ」

「あー、いー、うー、べ~~、あー、いー、うー、べ~~、あー、いー、うー、べ~~…」

とくに、全員で一斉に「べ~~」と舌を出すところが面白いらしく、またまた見学の4年生たちも笑い始める。なかにはまねして「ベー返し」をする者もいる。
一人の男子団員が、「べ~~」のところで、頭を横に傾げ、わざと寄り目をした。
教室は、またまた大爆笑に包まれる。
アキ先生は、そんな様子を見て、本当に楽しそうに、ニコニコ笑っている。



―――この指導法が、新卒2年目にして、いきなり吹奏楽の府大会での金賞か...

笑い声に引きつけられて、音楽室入口ドアの小窓から中を窺っていた校長は思った。

―――ここまで崩しておいて、ベテラン教師以上にまとめ上げられるのは、アキ先生の人柄が、まず、子ども本来の明るさと好奇心とを引き出しとるからやろな...

校長は、なにやら微笑みながら、そうっと音楽室から離れていった。


      *


アキ先生は、子供たちと楽しく音楽をしているとき、ふと、思い起こすことがある。
それは、普門館高校の吹部時代のことだ。



当時、自分は、パートリーダーとして、DMとともに指導に当たっていた。
みんなができるところで、一人、できずに、足を引っ張っている1年生の新入部員がいた。Nといった。
Nは、体が硬い、運動神経が人並み以下、のみ込みも悪い、おまけに、泣き虫ときている。

「どうして、できひん!」

「ヒー、ヒー」

「泣いとる暇あったら、1回でも多う、練習したらどうや!1ミリでも前進しようと思わへんか。もういっぺん!」

当時、吹部は、全国大会出場を目指していた。そのあせりからか、語調が、つい、きつくなってしまう。

「ヒッ、ヒッ …はい、…ヒッ…」

Nは、何度も何度も、できないところの練習を、べそをかきながら繰り返すのだ。


Nは泣き虫だが、人並みのガッツはあった。だからこそ、切り捨てがたいのだ。支え合いが普門館の伝統でもあるし...。
だが、そのいっぽう、全国行きという目標達成のための部全体の運営効率を考えると、焦りから、どうしても強い言葉が出てしまう...。


そんなNが、入部して1か月たったころ、練習中、初めて、一瞬、笑顔をのぞかせたことがあった。

「N、どないしたん?何かええこと、あったんか?」

「毎日、ラジオ体操やって、甘いもん控えとったら、体がよう動くようになってきたのに、今、気づいたんです。体重も4kg落ったんです。」

「えらい!ウチもうれしいわ。続けてえな!」

「はいっ!」

「ウチも見習おうかな...」

私の言葉に、Nは満面の笑みを浮かべた。

それからというもの、Nは、練習に夢中になり、加速度的に演奏技術が改善されていった。誉める機会も増え、他の新入部員の技量と遜色なくなった。
というより、むしろ、Nは自分が苦労しただけに、他の人の苦労もみえるようで、さかんに周りに声をかけるようになり、いつしか、周りから慕われる存在、ムードメーカーになっていた。

定期演奏会終了後、Nが1年生を代表して、3年生のDMに感謝の言葉を述べたことがあった。
内容は忘れてしまったが、最後に、Nは、こういった。

「DMの○○先輩に、お願いがあります。これは1年生の総意です。」

「なんや...?」

「元気いっぱいに、大笑いしてください!」

DMは、一瞬、絶句した様子だったが、すぐに柔和な顔に戻ると、突然、ぷっと吹き出し、笑い始めた。その笑いが、自分自身おかしかったと見え、一段と笑いのボルテージがあがった。

同級の3年生はニヤニヤ見ていたが、1年生は、鬼のDMの大笑いに、はじめ、強張った表情を見せていた。だが、心の底からの笑いとわかると、自分たちも、なにやらおかしく感じはじめたようだった。

1分後、DMと涙を流しながら抱き合うNがいた。

「ありがとう..」

DMが言った。

そのNの様子を見ていて、アキは思った。
人というのは、こんなにも変われるものなんだ..。



今、振り返ると、自分たちの指導が正しかったのかどうかは、わからない。Nを苦しめてしまったことも、多々、あったろう。
けれど、Nは、いまだにOGとして、普門館吹部の手伝いに行っているらしい。
それが、当時のうちらの指導に対する、彼女なりの評価なんやな...有難いことや...
Nには、指導のあり方を教えられた..。


*


「はい、4年生のみなさん、お待たせしました。では、5、6年生によるミニ・コンサートを始めまーす..。」


いきなり、ドカンと演奏が始まった。

先ほどまでのお笑いとは打って変わり、中学生の演奏を思わせるような、メリハリと迫力のある演奏だ。

4年生のつい、今しがたまで緩んでいた顔が、一瞬、強張る。

だが、次の瞬間、幸せそうな笑顔に変わり、やがて、ほわーっとした、憧れの色が顔に滲みだしてきた。

5、6年生の団員の、心から楽しみながら美しいハーモニーを奏でている気持ちが、その場を包み込んだのだ。

―――見学の4年生は、演奏者の心の鏡。そして、演奏者は、ウチの心の鏡や...。
全国出場を狙って鍛え上げようとは、今は思わない。
もっと効率よく時間管理し、統率を強化すれば...、という気もしないではないが、音楽を通じての人格形成のほうが、今は、はるかに大事ではないか。そのための、一緒に刻む時間のテンポもあるのではないか。
だいいち、うち自身、人間的にも技量的にも熟していない。
やけど、今の方法は、地に足の着いた確かな方法だと信じている。もっともっと子どもたちをよく見て、彼らから進むべき方向を教えてもらおう...。


そう思いながら、アキ先生は、窓を全開にした。

心地よい薫風が音楽室に吹き込んできた。


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