第16話 八天錬道・第六 消えない絆

文字数 5,342文字

西暦2022年6月
京都府南部大枝山

それは京都市西京区と亀岡市の境に位置する標高は480mの山である。
かつては、大江山、大井山とも呼ばれ、この山の北側山腹には標高230mの老ノ坂峠(おいのさかとおげ)がある。
この地は、平安京の内外からの穢れを排除する地とされ、このため鬼が住まう地として信じられてきた。

そして、それはある意味事実であった。
この地には、京都の陰陽師勢力を警戒する、蘆屋一族の鬼神族による一大拠点が存在し、それは遥か昔から人類と妖怪の争いの最前線として機能していた。
このため、この地に住んでいたとされるかの酒呑童子もまた道摩府へと帰順した鬼神族の長であり、その娘・百鬼丸が現在は蘆屋八大天魔王の一人に数えられている。

現在、矢凪潤一行はこの地の鬼神族の隠れ里にその身を落ち着けていた。
それは当然、第六の八天錬道のためである。

【さて…潤様…。もうそろそろ心身を清め終わったようですゎね?】

百鬼丸がそう言って、正面に正座する潤に語り掛けてくる。
矢凪潤はここ数日間、隠れ里の修業食を食べ、清水に浸かったり滝に当たったりしていた。
これは、世間の穢れの中にあって、身にこびりついてしまっている小さな穢れをとるための儀式であった。
ほぼ三日間この儀式に費やした矢凪潤は、今回の八天錬道を行うにふさわしい心身になっていた。

【ここからが本格的な修行となりますゎ、潤様。準備はよろしいですか?】

「…それは。今回も試練っていう感じじゃないのでしょうか?」

【その通りですゎ。八天錬道は今回を含めてあと三回、此処までこなしてきた者に試練をする必要は『ほぼ』ございません。後は、蘆屋の陰陽法師としての最後の仕上げということになりますぅ】

「最後の仕上げ…」

百鬼丸は微笑んで言う。

【その通りですぅ。今回鍛えるのは、あなたが最も得意とする『鬼神使役法』です。
蘆屋一族系の陰陽法師が扱う使い魔のことを一般に『鬼神』と呼ぶように。本来、鬼神使役法は我らの魂と力を、契約によって自らのものにすることを基盤としているのですゎ】

そこまで言った百鬼丸は『さて…』と前置きして…

【では、潤様ぁ。貴方は鬼神使役法についてどれだけのことを理解していますか?】

「はい…」

潤は話し始める。

『鬼神使役法』
それは超常的存在(妖怪や幽霊)を使い魔として使い操る技術である。
そうして契約を行った鬼神は、術者と魂レベルで結合し、精神感応はおろか、五感の同調、習得技術の貸し借りなど自在に行えるようになる。
そして、何より強力なのが、自身の術を離れた地点にいる鬼神から発動したり。同時に呪を行使して、より強大な大呪法を発動できることである。

その答えを聞いて、百鬼丸は満足そうに頷く。

【そうですゎ。鬼神使役法の基本はそのとおりですゎ。
では…、鬼神使役法の本来の扱い方を説明いたしますゎ】

「本来の使い方?」

潤は百鬼丸の言葉に疑問符を飛ばす。百鬼丸は笑顔で答える。

【そう本来の使い方ですぅ。鬼神使役法がなぜ式神使役法と区別されるかご存知ですか?】

「え? それは流派が違うから…」

【無論それもありますがそれだけではありませんゎ。なぜなら、潤様もご存じのとおり、鬼神使役法には式神使役法にない特性がありますから】

「それって…」

百鬼丸はにこりと笑って続ける。

【そう…式神使役法は、あくまで式神を配下とするための術であり、命令の強制力が存在します。
しかし、鬼神使役法には、術者が特別な術式を加えない限り、強制力はございません。
これは、式神使役法というものが、妖怪への備えとして同じ妖怪をぶつけて戦う『武器』として発展してきたということと。
その逆に、鬼神使役法というものが、妖怪を自身の支援者として力を借りる『仲間』として扱い、その繋がりの強化を重視しているという違いがあるためですぅ】

「そういえば…かの十二天将も…」

その潤の言葉に百鬼丸は頷く。

【はい…式神には標準的な強制力とともに、精神に強烈なすりこみが行われています。
十二天将の多くが乱道の言葉にあっさり従ったのはそのためですぅ。
でも、そもそも鬼神使役法には強制力がないので…、従うかどうかは鬼神本人の意思一つになりますゎ。
無論、それはとても危険なことでもありますぅ。従わせる鬼神がいつでも反逆可能だからですぅ。
このため鬼神使役法には一つのリミッターがかけられていますぅ。
一定以上の信頼関係がないと、繋がりが無効になるということです】

「そうか…お互い信じあっていないと、契約そのものが出来ないということですね?」

【その通りです。そして、鬼神使役法にある特別な特性こそが…『鬼装転輪(きそうてんりん)』ですぅ】

「きそうてんりん?」

【お互いへの信頼関係が一定以上高まったときにのみ可能となる特別な鬼神昇華法ですゎ】

「まさか…それが?」

【そうです。今回の八天錬道ではこれを習得してもらいますぅ】

百鬼丸のその言葉に、潤は真面目な顔をして頷く。

【私が見るに。潤様とその鬼神のあいだの信頼関係は『鬼装転輪』が可能なレベルにはいっておりますゎ。
ならばあとは潤様がその呪を習得して使いこなすだけです】

百鬼丸は緊張した様子で見つめる潤に言う。

【緊張しなくても大丈夫ですゎ…。潤様には『使鬼の目』がございますから、それを基盤に術式を組めば、あと5日ほどで完璧なものに仕上がるはずです。
…でも、その前に…】

「そのまえに?」

不意に百鬼丸が難しい顔になる。それを見て心配そうな顔をする潤。

【一旦、御三方との契約を解除していただかなくてはいけません】

「え?」

百鬼丸のその言葉に、潤はびっくりした表情をする。

【特殊な術式で眠っていただくだけですので、鬼神の方には何も影響はありませんが…。術者の方は…】

「それって何か悪いことがあるのですか?」

潤の、その質問に百鬼丸は心配そうな表情で答える。

【はい…術者にとっては、それまで魂を共有してきた、魂の一部との一時的な別離ですので、その分精神的な喪失感が大きく、場合によってはそのまま精神病に至ることもあります】

「む…」

潤は少し心配になってきた。それでなくとも潤は何かと気にするたちだからだ。

【過去にも、それで修行を離脱する者がいて…。ある意味その別離こそが試練だと言えるものですぅ】

「僕は…」

潤は渋い顔で、自身の使鬼達を思い出す。
幼いころから常に傍にいた、ある意味半身ともいえる『しろう』。
潤の最強の剣として、その困難を突破する力になってくれた『かりん』。
そして、潤の元妹弟子であり、種族を越えて想ってくれている『美奈津』。
彼らとの魂のつながりが、一時的にとはいえ消えるとなると…。

(でも、ここから先に進まないと僕は…)

潤は、しばらく考えた後決意の表情で百鬼丸を見て言った。

「やります! 修行をさせてください!」

その表情を見て、深く頷く百鬼丸。

【わかりました…では、早速ですが。鬼神封印の儀式を始めますゎ】

こうして、潤にとって大きな試練となる修行が始まった。


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その日の夜、

師匠である蘆屋真名は、百鬼丸と二人で潤について語り合っていた。

「潤はまだ、あの状態なのか?」

【はい…まだ部屋から出ることが出来ないようですゎ】

「そうか…、かなりの重傷だな。特に感受性が強いものがこうなりやすいが…」

【そうですね。潤様は特に『使鬼の目』によって、鬼神との間の繋がりが強いですから、その喪失感は手足をもがれたときとほぼ同じぐらいでしょうか】

「今回の鬼神封印は、今までの敵の攻撃による一時的な喪失とは違う…、明確な魂の分離喪失だから。そのことが精神に与える影響は計り知れん。
さて…潤はどれぐらいで克服できるか…」

【心配ですか? 姫様…】

「うん? まあな」

【フフフ…。私、こういうときによく効くお薬を知っておりますゎ】

「なんだ? それは」

【…女を抱くことです】

そう言っていたずらっぽく笑う百鬼丸。それを見て真名はジト目で睨んで。

「お前な…馬鹿なことを」

【お気持ちには素直になった方がよいかと】

「…」

真名は黙って空の月を見る。その頬は赤く染まっている。

「ふう…」

真名は一息ため息を付いて立ち上がる。

【姫様…。潤様のところへ?】

「そうだ…。だがお前が期待しているようなことはないぞ」

【フフフ…】

百鬼丸は嬉しそうに一人で笑う。それをしり目に真名は潤のこもっている部屋へと歩いていくのだった。


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その時、潤は部屋の隅で脚を抱えて震えていた。

「…」

潤はその心の中に空いた喪失感と戦っていた。
それは、思っていたものよりも大きく、潤の心を抉っていた。

…と、その時、潤の部屋の戸を誰かが叩いた。

「潤…大丈夫か?」

「…」

潤は答えることが出来ない。

「入るぞ…」

そう言って入ってきたのは真名であった。

「潤…」

真名は部屋の隅で縮こまる潤を見てため息を付く。
そして、黙ってその隣に腰を下ろす。

「…真名さん」

潤はその言葉だけを絞りだすことが出来た。

「そうだ…私だ」

潤の言葉に笑顔を向ける真名。

「なあ潤つらいか?」

「…」

潤は黙ってただ虚空を見つめる。

「つらいよな…私にはお前の気持ちがだれよりもよくわかる。
なぜなら…私も、お前と同じだからだ…」

「…」

真名は黙って話を続ける。

「私は生まれつき『欠落症』で、他の自然などから霊力を借りないと生きていけぬ体だ…。
だから、それを奪われると…、他の霊力を借りられなくなると同様の喪失感が襲った。
魂の一部を奪われるのはそれこそ、身を削られるに等しい痛みと孤独が襲う。
お前は今それに耐えているんだな?」

「…」

真名は潤の方を見て、その頭をなでる。

「なあ潤…。
それでも忘れるなよ? たとえ魔法の絆はなくとも、絆は消えぬということを。
私が…お前を想うのと同じように。皆もお前を想い、そして絆でつながっているのだということを」

「真名さん」

不意に潤がう言って真名の方を見る。真名は微笑んで答える。

「大丈夫…つらいならいつまでも私がここにいる。
私では…あの操のようにはなれぬが…」

そして真名は、潤の頭を自分の胸に抱きしめる。

「さあ、もう一度思い出せ。シロウたちとの出会いを…繋がりを…」

「…」

潤はまるで母親の胸に抱かれる子供のように目を瞑る。そこにもはや怯えはなかった。


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シロウは夢を見ていた。
小さな子犬だったころの夢。

他の四匹の兄弟とともに、段ボールに入れられて捨てられた時の事。

ただつらかった。
ただ寒かった。
ただおなかがすいた。
…そして、ただ死が怖かった。

しかし、それを救う一筋の光があった。

「大丈夫?」

それは一人の子供。

「お母さんをよんでくる!!」

そうしてシロウは救われた。
それからのことは、まるで夢の中の出来事のように輝いていて。

…そして、再びシロウを呼ぶ声が聞こえた。


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かりんは夢を見ていた。
孤独だった少女時代の事。

村の子供たちにいじめられ、親には見捨てられていた孤独な時代。

ただつらかった。
友達がほしかった。
自分を見る奇異と恐怖の視線が怖かった。

でもその孤独を吹き飛ばす者が現れた。

「さあ一緒に遊ぼう」

それは一人の少年。
かりんが最も大好きなひと。

…そして、再びかりんを呼ぶ声が聞こえた。


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美奈津は夢を見ていた。
憎悪がすべてだったあのころ。

ただ乱月を殺すことが生きる意味だった時のこと。

孤独を憎しみで塗りつぶし。
絆を嘆きで押しつぶし。
ただ、闇をさまよっていた。

しかし、それは打ち消された。師匠とそして一人の人間によって。

「美奈津…」

美奈津にとって最も大好きな人間の声が響く。
それはかけがえのないものであり…。

…そして、再び美奈津を呼ぶ声が聞こえた。


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「来い!! シロウ! かりん! 美奈津!」

潤がそう叫ぶと、地面にまばゆく輝く五芒星(ペンタグラム)が現れる、そして…、

【【【ただいま参上】】】

三体の鬼神は声をそろえて答えた。

「遅くなってごめん…」

潤はそう言って三人に謝る。
今日は、修行を始めてから7日目の夜であった。

【それで? 八天錬道の方は?】

美奈津が潤にそう聞いてくる。潤は笑って言う。

「大丈夫…すべて終わったよ」

【…ふ~ん? でもあたしらそんなに変わったようには見えないが?】

その美奈津の言葉に潤は苦笑いして言う。

「今は戦闘中じゃないからね。力は封印してある」

【そうか…? なら、今度なんかあった時に、あたしらの力のお披露目ってことだな!】

「まあ…そんなことはない方がいいけど」

そう言って潤は笑う。それに対して真名が言う。

「そうだな…しかし、おそらくは、近いうちにお前の力が必要になるときが来るだろう」

その真名の真名の言葉に、潤は真面目な顔をして答える。

「死怨院乱道と十二月将ですね?」

「ああ…。奴らがそうそう、隠れていられるほど我らは甘くない。もうすぐ居場所を見つけることが出来るだろう。そうなったら…」

「僕も奴らと戦います!」

「そうだ! 期待しているぞ!!」

潤の決意の言葉に、真名は嬉しそうに答えた。

残り八天錬道…二回
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