第8話 新たなる弟子

文字数 12,025文字

岡山県某所、土蜘蛛一族の隠れ里。

「バカが…」

その光景を持て、その男は一人悪態をついていた。
今、その男の周囲はいくつもの炎に包まれていた。多くの家が破壊され、火をつけられ、そこかしこにヒトらしき死体が転がっていた。
その光景は、まさに地獄絵図であり、現代日本にはあるまじき光景であった。
しかし、その男が悪態をついたのは、その無残な光景を見てのことではなかった。

「呪い師の女は犯さず殺せと言っておいただろうに…」

男は絶対零度の眼差しで、目の前に倒れている男性らしき死体を見下ろしている。
その死体は下半身に何も身に着けていなかった。男には、その死体の主が、行為中に呪い殺されたことを容易に想像できていた。

土蜘蛛の隠れ里襲撃。
その実行部隊の兵隊どもには、全員に<術無効><術消去>の術具を貸与していた。普通の呪術に対するなら何の問題もないはずである。しかし、目の前の死体の主はその術具を持っているのも関わらず呪い殺されていた。これは、いわゆる『女の呪い師特有の秘術』によるものである。言ってしまえば、『性交渉は呪術的な大きな意味』を持つのである。
呪い師の世界においては、女の呪い師を凌辱するのは、自分で自分の心臓にナイフを突き立てるのと同義である。だからこそ「犯すな殺せ」の命令だったのだが。
どうやら目の前の男は、それを理解していなかったか、虐殺の嵐に中てられたか…。
だが、男は、すぐに「まあいいか」と、その愚か者のことを思考から消した。もうすでに、虐殺はほぼすんでいる。生きているものは、自分達襲撃実行部隊以外にはほとんどいない。
今立っている屋敷の目前の一室にいる者を除いて。
愚か者の死体のそばに、女の死体がないことから考えるに。こいつを呪い殺した女は、この部屋に隠れていると考えていいだろう。そして、目的の者も…
男は、周囲の炎に気を止めることもなく、部屋の扉の前に進んでいって、その扉に手をかけた。
…と、その瞬間、扉が爆音を上げて吹き飛んだ。

「!!」

男は一瞬にして、巨大な爆風につつまれていた。その光景を見て、部屋の主は誰に言うともなくつぶやいた。

「やったか…?」

それは、着物をはだけさせた20代前半と思わしき女性だった。その髪を日本髪に結っており、まるで時代劇から抜け出てきたように見える、古風な女性である。

蔵木(くらき)…、大丈夫?」

その女性の背後の物陰から、幼い少女と思わしき声が発せられる。

美奈津(みなつ)さま…。ここも、連中にかぎつけられてしまったようです。一旦、屋敷を離れましょう」

「うん…」

美奈津と呼ばれた少女は物陰から出ると、蔵木と呼ばれた女性の手におずおずと触れた。

「行きましょう…」

蔵木は美奈津の手を引くと、吹き飛んだ扉に向かって歩いていく。しかし、その時。

「見つけた…」

不意に部屋の隅から男の声が発せられた。蔵木はビクリとして声の方にふりかえる。そこに、爆風で吹き飛んだはずの男が立っていた。

「く…!」

蔵木は、すぐさま懐から符を数枚取り出した。そして、それを男に向かって投擲しようとする。
しかし…

「ふん…悪いが、遅いよ…」

男はいつの間にか、蔵木の真横に立っていた。そして、剣印を結んでいるその手が、蔵木に向かって一閃される。

「蔵木!!!」

それは、一瞬の出来事であった。蔵木の首が胴体から離れて転がったのである。蔵木の傍らの美奈津は、驚いて叫んでいる。

「…ふん。まあ、こんなもんだろうな」

男は冷たい目で、床に突っ伏した蔵木の死体を見下ろした。その死体に美奈津が縋り付く。

「蔵木!!! 蔵木!!!」

美奈津は必死に、蔵木の死体を揺り動かした。しかし、その身体はピクリとも動かない、動くわけがない。

「おい…」

不意に男が美奈津に向かって声をかけた。ビクリとして男を見上げる美奈津。

「…お前が、此処の当主の娘だな」

「…あ、う…」

美奈津は恐怖で声も出ない。
男はそんな美奈津を見下ろしながら、こう告げた。

「…俺の、名前は我乱(がらん)。お前の、親と兄弟…。そして、仲間のことごとくを殺した者だ…」

「う…え…」

男は恐怖と絶望に塗りつぶされた美奈津に向かってにやりと笑う。

「安心するがいい…、今俺はお前を殺す気はない」

「あ…う…」

恐怖で心を支配された美奈津にはその言葉は届かなかった。

「これから、お前は、生き恥を晒せ。家族を仲間を殺されて一人生き延びるのだ」

「ああ…」

我乱は、恐怖で後ずさる美奈津の頭をつかむと、その耳もとでささやいた。

「もう一度言うぞ…。俺の名は我乱だ…。この名前決して忘れるなよ?」

「が…ら、ん」

その時、美奈津の心に、その名前が強く刻まれた。

「ククク…はははは…! ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ!!」

こうして、その日、妖魔族の隠れ里が、一つ消滅した。


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かの世界魔法結社(アカデミー)による蘆屋本部襲撃から1月あまり過ぎていた。
鎮守の森で修行中だった真名と潤は、急に蘆屋道禅に呼ばれて、蘆屋本部の八天の間に来ていた。
八天の間には、道禅ともう一人、蘆屋八大魔王の『播磨土蜘蛛王代理・雪華』が待っていた。

「父上。蘆屋真名・矢凪潤両名、召還に応じまかりこしました」

「おう、修行中に急に呼び出して悪かったな」

真名はそう言った道禅に対して恭しく頭を下げる。

「いえ、構いません。それで、我々にどのような要件なのでしょうか?」

「ああ、それなら、そこにいる雪華が話してくれる。なあ、雪華…」

道禅はいつもの軽い笑顔で雪華を示した。真名たちは雪華の方に向き直る。

「およびだてして申し訳ありません。真名姫様」

雪華はそう言って頭を下げた。そして、話を続ける。

「実は、真名姫様に折り入ってお願いがあるのです」

「お願い…ですか?」

「はい…」

雪華はそういうとふといま気づいたかのような表情をした。

「そういえば、真名姫様、今から五年前、岡山県の土蜘蛛・桃花(とうか)一族の隠れ里が何者かに襲撃され、壊滅した事件をご存知ですか?」

「…はい。それなら、当時の大事件の一つですから。私の耳にも入っておりましたが…」

真名のその返答を聞くと、雪華は目をそっとつぶって話を続ける。

「その桃花一族は我が播磨土蜘蛛一族の近縁にあたり。我が道摩府の傘下の集落でした」

妖魔族の集落を退魔師が襲撃する行為は、今でもたまに起きることである。ただし、現在、日本の呪術師の統括者である土御門が、蘆屋一族と同盟関係になっているため、無差別な妖魔族集落襲撃は違法行為とされ、それを行った退魔師は犯罪者ということになる。今回話に上った、岡山の土蜘蛛一族襲撃犯は、現在に至っても実行犯のリーダーが捕まっておらず、蘆屋一族だけでなく、土御門もその跡を追っている事件であった。

「…そして、この事件には、たった一人生き残りが存在します」

「…確か、桃花一族の当主の娘だったと聞きましたが」

「そう、その通りです」

その時、真名は、その事件と自分に対するお願いがどうつながるのか、思案をしていた。もしかして、その捜査に自分たちも参加しろとのことなのだろうか? …そう考えていた。しかし、その考えはその後すぐに否定された。

「その娘の名は美奈津。ただいま我が一族が保護していますが。今回、私から真名姫様へのお願いというのは、この美奈津に呪術の修業をつけてもらいたいということです」

「え?!」

それはいきなりな言葉だった。真名はその言葉に驚いた声をあげてしまう。

「…それは。どういうことでしょう?」

「どういうことも何も、真名。その美奈津の嬢ちゃんをお前の弟子にするってことだよ」

そう言って、道禅が話に割り込んできた。

「それは…突然な話ですね。でも呪術の修業なら、そちらでも出来るのでは?」

その道禅の言葉に真名はなんとか平静を保って答えた。

「その、美奈津の嬢ちゃんっていうのが、ちょっとやんちゃでな。これまでの師匠からみんな見放されてる問題児なんだよ」

まさか、その問題児の面倒を見ろというのか。真名は道禅に答える。

「それで、なぜ私なのですか? 私は師匠としてもまだまだ修行中の身。それらの師匠様方よりうまく導けるとは思えないのですが?」

その言葉を聞いた道禅は、にやりと笑って答える。

「お前だからだよ。…俺の見立てでは、あの嬢ちゃんはお前なら正しく導ける」

その言葉に真名は訝しんだ。

「それは、いったいどういうことですか? なぜ私なら…」

「ははは…それは、本人に会ってみればすぐにわかると思うぞ」

そう言って、道禅は雪華に目配せする。雪華は恭しく頷いて、自分の背後の襖に呼びかけた。

「美奈津…入ってきなさい…」

どうやら、美奈津という娘はそこにいるらしい。しかし…。

「美奈津? どうしました? 早く入ってきなさい。美奈津?」

美奈津がいるであろう襖の向こうからは、うんともすんとも返事がない。雪華はすぐにはっとした表情になってその場を立ち上がる。そして、襖に近づいていくと音を立てて開いた。

「美奈津?!」

そこには、誰もいなかった。

「まさか! 美奈津!!」

雪華はあわてて道禅の方に向き直った。道禅はその様子に笑って言った。

「ありゃ。逃げられたようだな。ははは…」

「笑っている場合では…」

雪華はすっかり狼狽えていた。どうやら本当に、相当な問題児らしい。
しばらく笑っていた道禅は、すぐにまじめな顔になって懐から符を一枚取り出した。

「急々如律令…」

その瞬間、符に込められた呪が起動する。

「ふむ…。見つけたぞ。嬢ちゃんの場所」

道禅はどうやら、こういう時の対策を用意していたらしい。すぐに、美奈津のいる場所を見つけ出した。道禅は、真名の方に向き直ると言った。

「真名。すぐに追いかけてくれ。嬢ちゃんを捕まえるんだ」

真名は少し不満そうな顔で答える。

「私は、まだ弟子の件を承知してはいないのですが?」

「ははは…まあ、直接嬢ちゃんに会ってみろよ。気が変わるかもしれんぞ」

道禅は、真名の表情を気にも留めず笑って答えた。真名はしぶしぶ答える。

「了解しました。とりあえず、その美奈津さまを追跡します。弟子取りの件はその後ということで」

「ああ、それでいいぞ」

道禅は心底楽しそうな表情で答えた。その表情に、真名は何やら嫌な予感を感じていた。


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土蜘蛛(つちぐも)
彼らは、日本でも最古と言われるほど、いわゆる神代の時代から生き続けている歴史ある妖魔族である。彼らはいわゆる古事記や日本書記にもその名を見ることが出来るほどの古参妖怪であり、「都知久母(つちぐも)」「八握脛(やつかはぎ)八束脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛(おおぐも)」「土雲(つちぐも)」などの多数の異名を持っている。その姿は鬼の顔、虎の胴体に長いクモの手足の巨大ないでたちであるともいわれ。いずれも山に棲んでおり、旅人を糸で雁字搦めにして捕らえて喰ってしまうといわれる。
しかし実のところ、土蜘蛛は「蜘蛛の妖怪」ではない。彼らは、より人間に近い身体的特徴を有する、いわゆる「亜人間(デミヒューマン)」である。彼らは、優れた術具制作(アイテムクリエイト)技術と、生まれつき持っているいくつかの特殊能力から、人間達から危険視・排斥されてきた被差別集団「山人(さんじん)」なのである。実のところ、現在、日本で広まっている術具作成技術も、本来は彼らが扱っていた技術を、人間が何らかの理由で習得したものであり、術具制作という分野においても彼らこそが最古参である。
逆に、妖怪としての肉体能力は、全妖怪の中でも弱い方に属する。基本的に「特殊能力を持つ人間」なのだから当然なのだが。
長い間、人間から排斥されてきた関係から、人間に対し敵対的感情を持つ土蜘蛛は少なくない。しかし、播磨土蜘蛛一族は、昔から蘆屋一族に囲われていた関係で、人間に対する感情はそれほどきつくはない。そのことが、他の土蜘蛛一族から、「人間に組する裏切者」と呼ばれる原因にもなっているが…。

真名と潤が美奈津を追跡し始めて10分後、鎮守の森においてやっと二人は美奈津を見つけることが出来た。目の前に現れた二人を見て、美奈津は軽く舌打ちをして言った。

「ちっ…、もう見つかったか…」

その娘は、年のころは15歳ぐらいだろうか、ショートカットで気の強そうな眉目をした少女であった。土蜘蛛の女性がよく着ている着物ではなく、ジャンパーにTシャツ、ジーパンを身に着けている。真名は美奈津に向かって言った。

「どこに行くつもりですか、美奈津様?」

「どこだっていいだろ、人間…。あたしにかまうな」

美奈津は、そう言って真名たちを睨み付ける。真名は、その美奈津の瞳に、何やら懐かしいものを感じていた。

(なるほど…。父上が言ったのはそういうことか…)

何も言わず見つめる真名の表情が気に障ったのか、美奈津はさらに眉をいきり立たせて言った。

「あたしは、人間なんかの世話にはならねえ! 人間の下につくなんてまっぴらだぜ!!」

そう言う美奈津に、潤が問いかける。

「そんな…。そんなに人間が嫌いなんですか? 僕たちは貴方に危害は決して加えませんよ?」

美奈津は、さらに眉をいきり立たせると潤に言い返した。

「うるさい!! 誰が人間なんか!! …あたしの家族を、仲間を皆殺しにした人間なんかとなれ合うか!!!」

それは、悲鳴に近い拒絶だった。そんなやり取りを黙って見ていた真名が、美奈津に静かに語り掛ける。

「ならば、どうする?」

「なに?」

美奈津は少し驚いた表情になって聞き返した。

「聞けば、同族の師匠にも見放されたのだろう? これからお前はどうするつもりだと言ってる」

「…く…。あ、あたしは一人でもやつを殺すさ! この命に代えても奴の…我乱の命を絶つ!!!」

「お前のような未熟者が行っても、返り討ちになるだけだとは思わんか?」

「な?! なんだと!!!」

美奈津は、食って掛からんかという勢いで、真名に言う。

「あたしのことを何も知らないくせに言ってくれるなてめえ!!」

「お前の実力のほどは、今のお前の態度を見ていればわかるさ」

「な?! …どういう意味だ!!!」

「それは、自分自身で理解した方がお前のためだ…」

「…く、偉そうに、ほざくな!!!」

そう言うが早いか、美奈津はこぶしを握って、真名に殴りかかってきた。だが…。

「な?!」

美奈津の拳は、真名の顔を避けていた。確かに、正確無比に、顔面に拳を打ち込んだはずなのに…。

(回避した? …いや、こいつ…体を動かした形跡はまったくなかった…)

驚きの表情を隠せない美奈津に真名は静かに言った。

「今、私が何をしたかわからないか? ならば、かたき討ち以前の問題だな…。今までお前は、師匠達から何を学んできた…」

「く…。わかるさ! お前は何かの防御呪を使ったんだろ?! そんなもの霊視すれば一発で…」

美奈津は、真名を霊視()ようとした。しかし。

「え?」

もう、真名はそこにはいなかった。

「…どうした? 私はこっちにいるぞ?」

「く…!」

美奈津は急いで、真名のいる方に向き直った。しかし、やはりそこに真名はいなかった。

「く、ちょこまかと…」

美奈津は悔しげにそう呟く。そんな美奈津に、真名は静かに言った。

霊視()れなくて手も足も出んか? …相手が使っている呪を、霊視()ずとも予測できなくてどうする?」

「くそ!!!」

美奈津は、真名のその言葉に心底悔しげに吐き捨てた。

「…お前は、どうやら、なぜ自分がこれほど私に翻弄されているか理解できないようだな」

真名は静かに、諭すように美奈津に語り掛ける。

「そこにあるのは、実力の差という簡単な理屈だけではない…」

「なに? どういう意味だ?」

真名は、美奈津のその言葉に、少し逡巡していった。

「ならば、私の弟子である潤と戦ってみろ。彼は、術者になってまだ二年弱。彼と戦えば自分に足りないものが何かわかるかもしれんぞ?」

その真名の言葉に、潤が驚いた。

「僕が、彼女と戦うんですか?」

「ああ、今のお前なら、彼女と戦っても勝てるだろ」

真名はそう言って潤に微笑んだ。その姿を見て美奈津は、

「バカにするな! 私だって、一応は5年間修業してきてるんだ。二年たってない未熟者に負けるか!」

そう怒鳴った。それに対して真名は、

「ならば、それを証明して見せろ。口で言うだ気ならだれでもできるぞ」

そう言ってにやりと笑った。

「わかったぜ! やってやる! てめえの弟子がボロクズになっても後悔するんじゃねえぜ!!」

美奈津はそう言って、潤の方に向き直った。
こうして、道摩府・鎮守の森での、潤と美奈津の戦いが幕を開けたのである。


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(あたしは、さっきみたいなヘマはしねえ…)

美奈津は、潤と対峙すると、精神を集中した。

霊装怪腕(れいそうかいわん)

不意に、美奈津の腋から光の帯が1対現れる。光の帯はすぐに明確な形をとり、1対の新たな腕となる。

「その術は!!!」

潤は驚いた。その術は、まさに真名がよく使用する術だったからである。

霊装怪腕(れいそうかいわん)
これは土蜘蛛が使用できる特殊能力の一つである。土蜘蛛は、この能力を使用して最大3対まで腕を増やすことが出来る。さらにこの能力によって生まれた新たな腕は、術式に浸透させることが出来、術式の破壊・修正などを行うことが出来る。土蜘蛛は術具作成においてもこの能力を使用し、その精度を極限までに高めており。彼らの術具が人間界でも高価な値段で取引されるのはこの能力があるからである。

「悪いが、てめえは一気にぶっ潰す!!」

美奈津は、新たな腕1対とともに拳を強く握りしめた。一気に潤との間合いを詰める。

金剛拳(こんごうけん)

「うわ!!!」

一瞬で潤との間合いを詰めた美奈津は、その2対の腕のうち新たに生まれた二本で潤を打ち抜こうとした。しかし、潤はそれを寸でのところでかわす。

「逃がすかよ!!」

金剛拳連打(こんごうけんれんだ)

ズドドドン!

『金剛拳』の連撃が潤を襲う。それは、威力はともかく、確かに真名の使う『金剛拳』であった。

「がは!!!!」

潤はたまらず後方に吹っ飛んで、無様に転がった。

(なんで…金剛拳…)

そう言えば、昔潤は真名に聞いたことがあった。真名が近接戦でよく使う金剛拳。それをなぜ、自分に教えてくれないのかと。その時真名は「この技は少々特殊で、普通の人間には扱いづらいのだ…」そう言っていたが。まさか…。

「その技は…。なぜ君がその技を…」

潤はなんとか立ち上がりながら美奈津に聞く。それを聞いて美奈津は、鼻で笑いながら言った。

「ああ? なぜって? 当然だろ? この金剛拳は、あたしら土蜘蛛族が、人間の呪術師と戦うために生み出した戦闘術だからな」

金剛拳(こんごうけん)
土蜘蛛が人間の呪術師に対抗するため、『霊装怪腕』の能力を応用して生み出した戦闘術。それは、拳の打撃によってダメージを与える普通の打撃とは違う。対象の霊質根本を打撃して衝撃を与える技である。そのため、実体をもたない幽霊などにも効果があり、やり方によっては術式そのものを打撃で破壊することも可能である。

「まあ、最もあたしは霊装怪腕でしかこの技はつかえねえけどな…」

美奈津はどうやら、新たに生み出した腕でしか金剛拳は放てないらしい。

(霊装怪腕・金剛拳で、相手の防御呪を打ち抜き。普通の拳で相手をぶっ飛ばす。それがあたしの戦術だぜ…)

美奈津は、驚いて言葉も出ない潤を見て、にやりと笑った。

「さあ、観念するんだな! 思いっきり痛くしてやるから覚悟しやがれ!!!」

美奈津は、すでに勝ったかのような様子で潤にそう言った。その時、

「おい、潤。手加減する必要はないぞ。思い切り負かしてやれ」

真名が潤にそう言った。

「はあ。でも一応、一対一ですし…」

そう答えた潤に真名が、あきれ顔で言った。

「お前の本気を見せなくてどうする。これは、格闘の試合じゃなく、呪術師同士の戦いだぞ」

「はあ…」

潤は一息ため息をつくと、、印を結んで呪文を唱えた。

「カラリンチョウカラリンソワカ…」

蘆屋流鬼神使役法(あしやりゅうきしんしえきほう)鬼神召喚(きしんしょうかん)

「しろう、かりん、来い!!!」

その瞬間、地面にまばゆく輝く五芒星(ペンタグラム)が現れた。
そして、

【護法鬼神・志狼】【護法鬼神・火凛】
【【ただいま参上!!】】

白い狼のごときシロウと、少女姿のかりんが現れた。

「な!?」

美奈津は驚いていた。呪術師にとって、支配鬼神の数は力の強さの象徴である。力の強い術者ほどたくさんの鬼神を持つ。これは呪術師の世界の常識であった。そして、目の前の少年は、まだ二年弱の新人術者であるにもかかわらず、『自分が一体も持っていない』鬼神を二体も支配している。これが意味するのは…

(ちっ、関係ねえ…。何体鬼神を出そうが、術者本人をたたけばそれで終わりだ!)

美奈津は、そう心の中で叫ぶと、一気に潤に向かって加速した。その拳が潤に迫る。

「バンウンタラクキリクアク」

美奈津の金剛拳に対抗するように、シロウの口から大きな咆哮が放たれる。

蘆屋流鬼神使役法(あしやりゅうきしんしえきほう)五芒護壁(ごぼうごへき)

ガキン!!!

シロウの咆哮は、輝く五芒星となって金剛拳を防いだ。美奈津の金剛拳はそれを砕くことが出来なかった。
そして、

火炎燐(かえんりん)!】

次の瞬間、かりんの小さな手から炎の渦が現れ、美奈津を包み込む。

「くあ!!!」

美奈津はたまらずその場に転がった。

(まずい! 奴の追撃が来る!!)

美奈津はそう考えて、地面を転がりながら体勢を立て直し、一気に後方に飛んだ。しかし、

「? 追撃が来ない?」

体勢を立て直した美奈津が見たのは、何もせず突っ立っている潤の姿だった。

「てめえ! あたしをバカにしてるのか?!」

美奈津は激高した。あからさまに手加減をされたからである。しかし、潤は困った顔をしていった。

「バカにするなんて、そんな…」

「いいぜ!! お前がそうならこっちにも考えがあるぜ!!」

美奈津は聞く耳を持たなかった。

「ぶっ飛ばす!!!!!」

美奈津は潤に向かって再び加速する。

金剛拳(こんごうけん)

「バンウンタラクキリクアク」

再び美奈津の金剛拳に対抗するように咆哮が放たれる。

蘆屋流鬼神使役法(あしやりゅうきしんしえきほう)五芒護壁(ごぼうごへき)

それは、再び美奈津の金剛拳を防ぐはずだった。しかし、その時、彼女の本来の腕は印を結んでいた。

「ナウマクサンマンダボダナンバヤベイソワカ」

<真言術・風雅烈風(ふうがれっぷう)

その瞬間、美奈津の拳の周りに風の渦が生まれた。その渦に包まれ、美奈津の拳はさらに加速する。

気合一閃

「おおおおおお!!!!!!」

ズドン!!!

【が!!!】

その拳はシロウの咆哮が五芒星になるより早くシロウに到達した。たまらずシロウは後方に吹き飛ばされ、五芒護壁は完成することなく立ち消えた。

【おにいちゃん!!】

かりんが慌てて美奈津と潤の間に割り込もうとしてくる。しかし、

「邪魔だ!!」

美奈津は残りの拳でかりんを打撃した。

金剛拳(こんごうけん)

ズドン!!!

【きゃああ!!!】

かりんもたまらず吹き飛ばされてしまう。

「しろう! かりん!!」

潤が慌てて二人の名を叫ぶ。しかし、そんなことをしてる暇は潤にはなかった。

「そらよ!!!!!」

ズドン!!!!

「ぐは!!!!」

その拳は的確に、潤の腹に突き刺さった。

「ぶっとべ! 糞人間!!!」

金剛拳連打(こんごうけんれんだ)

ズドドドン!

霊装怪腕を含めて2対の拳が連続で潤に突き刺さる。潤は血反吐を吐いて吹き飛んだ。

(ほう…)

その光景を見て真名は感心していた。
今、目の前で美奈津がやったのは、要するに、複数の術を一度に同時発動する技である。1対の拳で金剛拳を使う間、もう1対で呪を唱え拳を加速した。普通は鬼神を持っている術者しか扱えない合体技。それを美奈津はやって見せたのである。

(執念か…)

真名には、美奈津の心が手に取るように理解できた。美奈津は、我乱という人物に対する憎しみのみでここまで来たのだろう。憎い相手を殺すために腕を磨き、執念で強くなってきたのだ。

(ならば、なればこそ。今のままでは…)

潤には勝てないだろうと真名は確信していた。そして、それは確かに確信通りになるのである。


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「フン! あんたの弟子はこの程度か?」

美奈津は鼻で笑って真名を睨み付けた。しかし、真名は無表情・無言でそれに返す。

「ちっ…、だったら。このままこいつにとどめでも刺してやろうか?」

「…出来るものならな」

真名はやっとそれだけを言葉にした。美奈津はすぐに不満げな表情になって拳を握った。

「いいぜ!! やってやる!! てめえの弟子はてめえのせいで痛い目を見るんだよ!!!」

そう言って美奈津は、倒れている潤の方に向き直った。そして、

「ナウマクサンマンダボダナンバヤベイソワカ」

<真言術・風雅烈風(ふうがれっぷう)

印を結んで呪を発動した。
美奈津はそれまでにない速度で一気に加速する。そして、

金剛拳連打(こんごうけんれんだ)

ズドドドン!

その拳の連撃が、倒れている潤に的確に突き刺さった。

「やった…これで…」

美奈津は喜んでいるのか悲しんでいるのか分からない表情でそう言った。
そんな、美奈津に真名が話しかけてくる。

「で? それでどうしたって?」

「?!!」

その言葉を聞いたとき、美奈津はやっと気づいた。自分が打撃したものが何なのか。
そこには潤はいなかった。自分が殴ったのは、ただの地面だったのだ。

「急々如律令!」

次の瞬間、美奈津の背後から起動呪を唱える声が聞こえた。其処に潤はいた。

蘆屋流符術(あしやりゅうふじゅつ)火呪(かじゅ)

潤の手から符が飛翔し、それが空中で炎のつぶてとなる。炎のつぶては弧を描いて美奈津に迫った。

金剛拳(こんごうけん)

美奈津は慌てず、その拳で火呪を撃ち落とした。しかし、

火炎燐(かえんりん)!】

別の方向から炎の渦が迫る。美奈津はそれを避けるために空に飛翔した。

「それを待ってたよ!」

その時、潤がそう叫ぶ。美奈津はびくりとして潤の方を振り返る。しかし、攻撃は別の方から来た。

【はあ!!!!】

それは、潤の鬼神の最後の一匹、シロウだった。シロウは、その身の周囲に渦巻いている突風に指向性を付与して、美奈津に向かって打ち出したのである。そうして生み出された竜巻が美奈津に襲い掛かった。

「あああ!!!」

美奈津は木の葉のように舞い上がった。

「覚悟!!」

そう言って潤が、美奈津に向かって飛翔した。そして、その拳が的確に美奈津の腹に突き刺さった。

「があ!!!」

そのまま美奈津は、地面に墜落した。土埃が宙に舞う。

「くあ…」

美奈津はその一撃で身動きが取れなくなっていた。潤の一撃はそれほど重かったのだ。
真名はそんな美奈津に話しかけてくる。

「どうした? それで終わりか?」

「く…くそ…人間なんかに」

それはまさに執念だった。美奈津は地面をはいずりながらも一生懸命立とうとした。

「あたしは、こんなところで負けられない。負けるわけにはいかないんだ…」

美奈津は、膝を震わせながらも必死に立ち上がった。その姿を、少し優しげな表情で見守っていた真名は、

「その意気やよし! だが、お前の負けだ」

そう言った。

「いや! まだ終わっちゃいねえ!!」

美奈津はそう叫ぶが。

「もうやめましょう…。これ以上は…」

潤もそう悲しげな表情で言った。

「美奈津…まだ分からないか?」

「何?」

真名が、美奈津に優しげに問いかける。

「お前の金剛拳も、拳も、初めから潤にはほとんど効いていなかったんだよ」

「な?!!」

美奈津は、真名のその言葉に驚いた。自分の拳が潤に通じていないとは。

「お前も、天狗法は知っているな」

「まさか…」

「そう、身体強化を行うための呪だが、防御にも転用できる」

「しかし、それだけで…」

そう、いくら天狗法の身体強化であっても、肉体的なダメージは抑えられるが、霊的な金剛拳のダメージは抑えられないハズ。

「無論、それだけじゃない。対金剛拳用の防御呪を、重ねて使用していたのだ」

そう、潤は美奈津の攻撃を食らう瞬間、天狗法と防御呪の合体呪を自分にかけていたのだ。それは、鬼神を持つがゆえにできた芸当である。

「く…そうか、あたしがそいつを攻撃する瞬間、鬼神どもが別の防御呪を重ね掛けしてたのか」

いくら、術そのものを破壊する金剛拳と言えど、複数の呪を一度に破壊するのは難しい。美奈津は、その時、呪術師がなぜ、鬼神を多く持つものがより強い、と言われるのかはっきりと思い知った。そして、今の自分では彼には勝てないであろうことも…

「お前の負けた原因は、鬼神の数だけではない」

「何?」

「確かにお前は強い。その強さは、おそらく我乱とやらに対する憎しみから来ているんだろう。だが…」

真名は、何かを思い出しながら話を続ける。

「その憎しみが、お前の視野を狭めている。もし我々がお前の憎んでいる人間でなかったら、お前はもう少し冷静に戦えただろう?」
 
「く…」

「憎しみは強くなるための原動力になるだろう。だが、それだけでは、それ以上強くはなれん。必ず伸び悩みが来る」

その、真名の言葉に、美奈津はうつむきながら吐き捨てる。

「知った風な口をきくな…。何も知らないくせに」

「そうだな。お前の憎しみも悲しみもお前のものだ。私にはわからん」

真名はそう言うと、少し逡巡して言った。

「ならば、こういうのはどうだ? お前は我々を復讐に利用する…」

「なに?」

美奈津はその真名の言葉に驚いて見つめ返した。

「復讐を達成するには、手駒は多い方がよかろう?」

潤は、真名のその言葉に少し驚いて言った。

「真名さん。それじゃ」

「ああ、こいつを私の弟子にする」

真名はそうきっぱりと言い切った。それを聞いた美奈津は。

「な…何勝手に決めてんだ! 私は人間なんかの…!!」

「…その人間に負けっぱなしで悔しくないのか?」

真名はにやりと笑って言った。

「く…」

「敵も同じ人間だ、私のことを研究すれば、かたき討ちもしやすくなるかもしれんぞ?」

「…! それは…」

それは確かにその通りかもしれない。ならば…

「あたしは…あんたの弟子にはならない!」

だが…

「あんた達の術を盗んであたしの復讐をやり遂げる!」

美奈津のその言葉に、真名はにやりと笑って言った。

「決まりだな。ようこそ道摩府へ、存分に我々の術を盗んでいくといい」

そう言った真名の目は、とても優しげなものであった。
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