第12話 髪飾りの誓い

文字数 20,990文字

その時、少女は先の見えぬ闇の中で、地面に這いつくばって呻いていた。

「は は は は は は は は は は は は は ! ! ! 」

「く…。真名…」

目の前には見知らぬ男が、母の首を片手でつかみ、吊りながら嘲笑っている。

「そう言えば真名姫様…。あんたに言っておかなければならんことがあったな…」

「んう? 何を…」

母は、苦し気に呻きながら男の表情を見る。その顔には邪悪な笑みが張りついている。

「…お前、呪術師になるのが夢だってな?」

「な!? やめなさい!」

男の放った言葉に、母は一生懸命体を揺らして、その言葉を止めようとする。しかし、男はそんな母を気にも留めずに言葉を続ける。

「お前の病気が『欠落症』っていうのは知っているか?
 『欠落症』は、その身の霊力が体に溜まらず、自然に抜け出ていく霊力の奇病だ。一族の子供がその奇病を患った時点で、昔の霊能者の家系は一族の滅びの未来を見たという最悪の奇病。そもそも、この奇病を患ったものは、生きるための霊力すら溜まらず、若くして死亡する死に至る病。そんな、生きるための霊力すら足りないお前が、どうやって呪術師になるつもりだ?」

「く!! やめなさい!! それ以上は!!!」

母が一生懸命男の言葉を遮ろうとする。しかし、男は言葉を続けるのをやめない。その言葉が、地面に突っ伏している少女の心に容赦なく突き刺さってくる。

「呪術を扱うのに必要な霊力がない。そもそも生きるための霊力すらない。
 そら、違うというなら、立ち上がって見せろよ。生まれた時から、寝たきりで自分の脚で立ったこともないだろう?」

「かあ…さん…」

少女は必死に足に力を入れようとする。しかし、一向に足は言うことを聞いてくれない。生まれた時からこうだったから、今更奇跡的に動くなどありえない話であった。

「どうした?! 立ち上がって見ろ!!! 呪術師になるんだろ?」

「かあ…さ…」

少女は涙を流しながら、必死に地面で『蠢いて』いる。生まれながらに、寝たきりであった彼女にはそうするしか術がなかった。

「無駄だよ! 無駄! 無駄な努力だ!!!」

「く…あ」

男はひたすら嘲笑う。目の前で情けなくみじめに蠢いている少女の姿を見下ろしながら。

「ほんとに無駄な努力だな!!
 お前にとっては生きることすら無駄な努力。唯一利用価値があるとすれば、それは…
 この場で死んで、蘆屋一族と土御門が争うための火種になることだ!!」

少女は、地面で唇を血が出るほど噛みながら呻いていた。その時の少女には、その男の言葉に反論するすべなどなかったのである。

そして、少しだけ時が過ぎる…


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「かわいそうに…」

少女のみじめな泣き顔を横目に、誰かがそう言った。
それは、道摩府で執り行われた、『蘆屋咲菜』の葬儀の時のことである。

「娘を守るためにお亡くなりになった咲菜様もだけど。残された姫様も、結局奇病を治す手立てがないのでしょう?」

「咲菜様は、『欠落症』を治す研究をしていらっしゃったようだけど…。結果は思わしくなかったようですわ」

「その研究をしていらっしゃった、本人がこんなことになってしまっては…」

「真名姫様も、もう…」

本人たちは、少女に聞こえないように話しているつもりだったようだが、その言葉は嫌が負うにも聞こえてくる。
少女はただ唇をかんで涙を流すことしかできなかった。そして、その葬儀の夜、少女は父親の足元に這いずりながら叫んだのである。

「父上!!!! 私に呪術を教えてください!!!」

「…真名…」

少女の父親は困惑した顔で少女を見下ろす。少女は涙を流しながら縋り付く。

「私に呪術を教えてください!!! そのためなら、どんな修行でも耐えて見せます!!!」

「しかし…お前は…」

父親にも彼女がどうすれば、呪術を習得できるようになるかわからなかった。『欠落症』という病気はそれほどの病気であった。

「…だったら…。だったら父上…。私を殺してください!!! 母上の(かたき)をとれないなら生きていても仕方ない!!!」

「真名!!!」

少女も本当はわかっていた。自分が自分で死を選ぶことも出来ない、みじめな存在であることを。でも、それでも…

「私は! 私は呪術師にならなければいけないんです!!!」

少女は死にもの狂いで叫ぶ。その時の少女にはそれしかする術がなかったから。

そして、少しだけ時が過ぎる…


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『本当に…なさるおつもりですか?』

百鬼丸は自身の主人である男にそう言った。男の言葉が信じられなかった。

「ああ、何より。真名が望んでいることだ…」

『しかし、この修行法は『荒行の中の荒行』普通に死ぬ確率が高い方法ですわ』

「しかし、今の真名にはこの方法しか…能力を開花させる方法がない…」

『そうまでして、呪術に開眼する必要など…』

「真名が必要としている」

『それで、真名姫様本人が死んでもですか?』

「…」

男はそれ以上言葉にしなかった。男の本意がそこにはないことが百鬼丸には伝わっていた。

男は修行着を着せた少女を『霊洞』に、座禅の状態で座らせると、少女に言った。

「ここは、地脈の霊力がか細い、枯渇した修練洞だ。今から、お前はここで、飲まず食わずで、七日七晩生き延びてもらう。
 霊洞の入り口は大岩で閉じる。お前が生きて出られる可能性はただ一つ。この修練洞のか細い霊力を収束して、大岩を破壊できる力に変えて、自力で出てくることだ」
 
その時の少女は自分の足で歩くすべを持たなかった。彼女が生きて出るためには、それすら自力で何とかする必要があるのだ。それはあまりに無謀な修行法であった。
男は最後に、自分の願いを込めて、少女に言った。

「本当にこの修練をやるつもりか? やめるなら今だぞ?」

「やります父上!」

少女はきっぱり言い切った。少女の心はすでに決まっていた。その時の少女にはそうするしか術がなかったから。
そうして始まった荒行は、のちに一つの奇跡を見せるのである。

そして、しばらくの時が過ぎる…


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少女が闇のなかで身を起こして、立ち上がって何年がたっただろう?
少女はその敵対者たちから一つの名を与えられていた。

『蘆屋の夜叉姫』

邪悪なる呪術師を闇へと葬るモノ。怒りと憎しみをもって呪術犯罪者を切り裂く夜叉(やしゃ)

金剛剣(こんごうけん)

ズドン!!

「ぐえ!!!」

誰も見る者のいない路地裏で男が呻く。

「うう…まってくれ。わかった…わかったから。これ以上は…」

「…」

「頼む…殺さないでくれ…。俺が悪かった…」

「知らんな…」

金剛剣(こんごうけん)

ズドン!!

「が!!!!」

少女は…、『蘆屋真名』は冷たい目で男を見下ろす。その霊力の刃は確実に相手の霊質を切り裂いていく。

「…お前は、これまで多くの人間に絶望を与えてきたんだろう? だったら今度はお前がその絶望を味わう番だ…」

「あああ!!! 死にたくねえ!!!! あしや!!! 夜叉姫!!!! 助けてくれ!!!!!」 

それは『蘆屋真名』が、いまだ闇の底にいた時代の話である。


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蘆屋本部のある異界『道摩府』。その『鎮守の森』では、今日も蘆屋真名とその弟子たちによる修行の日々が続いていた。

「はああああ!!!!」

その時、美奈津は気合い一閃握った拳を突き出した。しかし、

「フン…。まだまだだな…」

その拳はあっさりと相手に避けられてしまう。

「ち…まだだ!!!」

美奈津はそれでもあきらめずに相手に食らいついていく。一撃、また一撃と拳を突き出すが、それらも次々に避けられていく。

「動きが単純すぎるな」

美奈津の相手はそう言うと、一瞬で美奈津の背後に回り込んだ。

トン

それは、軽く見える手刀の一撃であった。しかし、その一撃で美奈津はその場に突っ伏してしまう。

「うぐ…。ま、まいった師匠…」

美奈津の相手をしていたのは、例によって師匠である蘆屋真名であった。見た目が中学生ほどに見える『少女』である真名だが、その技の冴えは『少女』には似つかわしくないものである。そもそも、真名は20代後半のれっきとした大人の女性、『少女』などと呼べる年齢ではないのだが、その基本的な外見以外にも、彼女を幼く見せる要素があった。

「畜生…。師匠を殴り倒すどころか、髪飾りにすら触れねえとは…」

「ふん…、そんなことを考えていたのか…。道理で私の頭ばかり見ていたわけだ…」

どうやら、美奈津は師匠の髪飾りに触れることを、一つの到達目標にしていたらしい。真名の髪には、幼い子供が好んでつけるであろうかわいいアニメキャラクターの髪飾りがあった。

「しかし、なぜ髪飾りなんだ? 美奈津」

「あ…いや、あたしも何となくなんだが…」

師匠のその疑問に、美奈津も頭を言かいて答える。

「前から思ってたんだが…。師匠の言動にその髪飾りは似合わんような気がしてたんだ」

真名は少しむっとした顔をすると。

「私には、かわいい髪飾りは似合わんか?」

そう言った。

「あ! そうじゃないけど!!!」

美奈津は慌ててそう取り繕った。真名はそんな美奈津の様子を見て「フッ」とわらうと、

「いやいいんだ、確かにこの髪飾りは、子供っぽいなと自分でも思っている。しかし、これをとることが出来ない理由があるんだ」

そう言って、少し自嘲気味に笑った。

「理由?」

美奈津は、真名のその言葉に少し興味をそそられたようだった。

「その髪飾り、もしかして何かとても大事なものなのか?」

「ああ、そうだな。私が未熟だった時の罰の証。そして、『あの子』への誓いの証だ」

それは、師匠である蘆屋真名がいまだ闇の底にいたころ、『蘆屋の夜叉姫』の名を得ていた時代の話であった。


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「そこまで!!!」

立会人がそう言って組手を止めた。その組手は一方的なものであった。
蘆屋一族では、その身を動かす『体術』はとても重要なものである。体を正しく動かすことは、体内の霊力の流れを正しく動かすことに通じ、果ては天地自然の霊力を制御するすべにも通じるものであるからだ。
その日、蘆屋真名は3人の術者と、3対1の変則的な組手を行っていた。そして、それは真名の一方的な蹂躙で終わっていた。

「お前たち…その程度なのか?」

真名は冷たい目で、床に突っ伏している3人の術者を睨み付ける。

「すみません姫様…」

真名は呪術に目覚めてから、恐ろしいスピードでその実力を引き上げていた。目の前の三人も少し前までは、真名の目上にいた者たちである。

「もういい…。お前たちとの組手は今日限りだ…」

真名は苛立ちながらそう、3人に吐き捨てた。
真名は今苛々していた。それまで、まるで川を上る龍のごとく実力を上げてきた自分に伸び悩みが来ていたからである。
真名は先の修業で自身の『欠落症』を克服した気でいた。しかし、その病はいまだに真名をむしばんでいた。今一歩、健常者の呪術師に及ばないのである。
もっとも、今の真名は並の妖怪や呪術師程度なら蹂躙できるほどの実力を持っている。今一歩足りないのは、自身の父親をはじめとしたある程度の実力者に対してである。それは、普通の呪術師からしたら、十分な実力ではあるが、あの自分の母の敵である『乱月』に実力で及ばないのでは、真名にとって呪術師になった意味がない。

「くそ!!」

そう言って真名は苛立ちを壁にぶつける。みしりと壁にひびが入った。

「壁に怒りをぶつけても、強くはなれんぞ真名…」

そう言って、真名に話しかけてくる者がいた。そう、父であり師匠でもある蘆屋道禅である。真名はむすっとして父親に言う。

「父上…。この前の御願いを聞き入れてくれる気になりましたか?」

道禅はその言葉を聞いて、一瞬逡巡したあと言葉を返した。

「新しい呪殺術のことか? それを知ってどうする」

「それは…」

真名はもっと強くなるために、より強い術を、相手を殺せる術を手に入れようと考えていた。しかし、

「今のお前にそれを教えることはできない」

父のその言葉が、真名を遮っていたのである。

「なぜですか?!」

「どうしてもだ」

「く…」

真名は悔しげに唇をかむ。真名は心の中で思っていた。自分の実力の伸び悩みの一つの要因が父の存在ではないのかと。
それは、どう考えても間違いであったが、その時の真名にはそれを理解する余裕にかけていた。だから、その時苛立ちが最高潮になっていた真名は、はっきりと道禅に言ってしまった。

「なぜです?」

「何がだ?」

真名は憎々しげに父親を睨み付けると言い放つ。

「なぜ、私の邪魔をするのですか?! 父上!!!」

「邪魔?」

「そうです!!! 私はもっと強くならなければならないのです!!!
 それなのに、なぜそれを邪魔するような真似をするのですか?!!」

道禅は、真名のその言葉に一息ため息をつくと言った。

「俺がお前の邪魔をしているというのか? …だから強くなれないのだと?」

「…」

真名は不満げに道禅を睨み付ける。

「お前の最近の伸び悩みも、俺のせいだと?」

「それは…」

そうではないとは真名は言わなかった。道禅はため息をつく。

「ふう…。お前にとって怒りと憎しみは強くなるための原動力だった」

「だが」そう言うと怒りを込めた目を真名に向けた。

「それがお前の限界をうんでいるようだな…」

真名はそれを聞いて、訳か分からないというふうな表情になった。

「限界? なんのことです?」

訳が分からないというふうの真名に、道禅はきっぱりと言い切った。

「お前のその怒りと憎しみ…、正しく処理できないようだと、いつか…
 いつか、取り返しのつかないことになる。
 その時、本当に守らなければならない大切なものを見失うことになるぞ!!」

「…私には、大切なものなんて…」

そう言って真名はうつむく。そんな真名を見て、再びため息をついた道禅は…

「俺の言葉の意味が理解できないうちは、新しい術を教えることはない」

「父上…」

真名にとっては到底納得できることではなかった。しかし、当時の真名はその言葉の意味を正しく理解する意識に欠けていた。
しかし…、その言葉の意味を、真名はこの後すぐ、激しい痛みとともに思い知らされることになるのである。


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先の会話から数日後。

「『炎王の王錫』ですか?」

「そうだ、その呪物を先祖代々守ってきたのが東北の土蜘蛛族・雲雀一族の者たちだ」

真名の問いに道禅はそう答えた。

「その雲雀一族の集落が最近、人間の呪術師に襲われるという事件が起こっている」

「その呪物を狙ってのことだと?」

「ああ、おそらくは…」

道禅のその言葉に、真名は「ならば」と前置きするとこういった。

「その『炎王の王錫』を回収するのが今回の任務ですか?」

道禅は頷くと、

「それもある」

そう言って話を続ける。

「正直、雲雀一族の力では呪物を守り切れない可能性が高い。だから、我々が回収して保管しようということだが。
 それにはちょっとした儀式が必要でな、そのための時間と人員も必要なのだ…」

「なるほど。私だけでなく、父上たちまで呼ばれているのはそのためだと?」

真名がそう答えると道禅は、

「無論、それだけでなく。以前雲雀一族を襲った者たちがまた、この時期に狙ってくるという噂もある。
 我々はその警戒が主な仕事になる」

そう言って頷いた。

「真名…。今回の敵は、呪術に長けた雲雀一族を数人で翻弄して、相当の被害を与えた猛者だと聞く。十分注意して行動するんだ」

道禅はそう言って心配げに真名を見つめる。そんな道禅の目を気にも留めず真名は答えた。

「大丈夫ですよ父上。問題ありません」

その言葉に道禅は一息ため息をつく。真名は蘆屋一族の中でもそれなりの実力者である。心配など本来するものではないのだが、真名の最近の言動もあって、道禅には嫌な予感があった。

(心配しても仕方がないか…)

そう、その時思ったことを道禅はのちに強く後悔することになる。


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それからさらに数日後、真名たちは雲雀一族の屋敷にいた。

「それではよろしくお願いします」

雲雀一族現当主・美月(みつき)はそう言って真名たちに頭を下げた。それは、真名たちから見ても若い当主であった。
先の呪術師との戦いで多くの戦死者が出た。雲雀一族の前当主もその中に含まれていたのである。現在の当主はその、前当主の現在二十歳になる娘であった。

「お姉ちゃん…私にも何かできることない?」

そう言って美月に話しかけてきたのは、美月の年の離れた妹である月代(つきよ)であった。月代は年のころは小学校高学年ぐらいだろうか。髪を両側で、かわいいアニメキャラクターの髪留めで結った少女であった。

「月代…あなたは何も心配しなくていいのよ。今回は蘆屋の方たちもいるし、それにあなたには子供たちを守るという仕事があるでしょ?」

「姉さん…でも」

月代はそう言ってから真名を見た。 その時の真名は小学生高学年ほどの外見だった。月代には自分と同じくらいの年の人間にしか見えなかった。

(ふん…)

真名には月代が何を言いたいのか分かっていた。自分と同じくらいの年の人間が戦うのに、自分は見ているだけとかできない性格なのだろう。

「これでも私は正式な陰陽法師だ、お前は大人しく我々の戦いを見ているといい」

そう言って真名は月代を上から見下ろした。月代はびくりとして「はい」とだけ答えた。


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それから、しばらくは儀式の準備と、一族の集落を守る『陣』の布陣に時間が費やされた。真名は無論その布陣に参加していたが、月代がその後をぴったりとくっついていた。

「…」

「ねえ…それは何をしているの?」

月代がそう真名に問いかける。

「…」

「ねえ…ねえってば」

真名は心底不満げに月代を見た。

「私の邪魔をするな…」

「え? 邪魔なんてしてないよ?」

「お前の存在が邪魔だ…どっかにいけ」

真名ははっきりとそう答える。しかし、月代は笑って。

「ねえいいじゃない。教えてくれても、ケチケチしないで」

そう答えた。
どうやら、本当に月代は自分を同じ年代の者と思い込んでいるようだ。これは、訂正せねばなるまい、真名はそう思った。

「お前は私を自分と同じ年代と思っているだろうが間違っているぞ。私はこれでも十七歳だ」

「え~~~嘘だ!!」

「嘘じゃない!!」

月代は楽しそうにケラケラ笑う。それが真名には気に障った。

「うるさい! どっかにいいけ! 仕事の邪魔だ!!」

「キャ!!」

そう真名が大きな声を出すと、月代は小さな悲鳴を上げて頭を押さえた。

「フン…」

そんな月代をほおておいて真名は作業に戻った。しかしすぐに…。

「ねえ…それは何をしてるの?」

月代は元に戻って話しかけてきた。
真名はいいかげん苛々してきた。この能天気な少女のことが。

「おまえ…」

真名は怒りを殺して月代に吐き捨てた。

「いいかげんにしろよお前。私が何をしようがお前には関係ない」

「…」

「私がやってることを知って、お前に何が出来る? なにも出来ん餓鬼だろうがお前は!」

「…」

「お前はとっとと他の餓鬼どものところにでも行け! それを守るのがお前の仕事なんだろう?」

月代は黙って真名のその言葉を聞いていた。そして、

「…そうだね、私何もわかってないよね」

「…?」

月代ははっきりとそう言ったのである。

「私ね、母上が…、前当主様が亡くなったときも、何も出来なかった。目の前で母上が戦ってるのに何もできなくて、泣いてるだけで…」

「…」

「姉さまが当主になって…母上の代わりになろうと一生懸命なのに、私は何もできなくて…。子供で…」

「…」

「なんで…、なんで私子供なんだろうね? もっと強くなりたいよ! 本当に、みんなを守れるくらい!!」

「おまえ…」

真名はその時、はっきりと自覚した。月代もまた自分と同じなのだと。月代は嫌なのだ弱い自分が。母を守れなかった…母の死を見ることしかできなかった自分が。

「…月代」

「え?」

その時、真名は初めてその少女の名を発した。

「強くなりたいのか?」

「うん…」

「だからさっきから私に付きまとってるんだろ?」

「…うん」

「だったら、この仕事が終わったら…。お前に呪術を教えてやってもいい」

それは、思いがけない提案だった。月代の顔はぱっと明るくなる。

「ほんと?」

「ああ、ただし。私の教え方は少々乱暴だぞ?」

「うん大丈夫!」

「だから、それまでは、自分の仕事をしろ」

「わかった! 約束だよ?!」

真名はほんの少し微笑みながら月代を見る。

「まあ、安心しろ。この集落はこの私が守るんだ。万が一もない…」

「うん! 信じるよ! 真名が里を守ってくれるって!」

それは、傍から見れば少女同士の軽い約束…。でも、当人にとっては何よりも重く強い約束であった。


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「これはまいったな…」

その時、道禅は困り顔で頭をかいていた。雲雀一族の戦闘員の生き残りに話を聞いて、以前攻めてきた者たちの影をぽおぼろげにつかんだからである。
それらを率いているリーダーが『神藤業平(しんどうなりひら)』。それは、その道では有名な退魔師(たいまし)であり、世界でも有数の実力を有する魔法犯罪者組織『赤き血潮の輪の結社(レッドリング)』のリーダーであった。その実力は、蘆屋道禅自身にも匹敵するという。
雲雀一族の当主があっさりやられたのもそれなら納得が出来る。問題はそれほどの力を持ちながら、前回は『炎王の王錫』を奪わなかったことだが。

「おそらくこれは…。前回はワザと兵を引いたか…」

『炎王の王錫』は、呪術に長けた雲雀一族が特別な結界を用いて保管・守護してきた、特別製の呪物である。無理に結界を解いて、王錫を手に入れるのも限界があろう。おそらく奴らは、自分たち蘆屋一族が、王錫の移送を考えることを予想していたのだ。王錫を移送する、結界より取り出された瞬間を狙って王錫を奪うつもりなのだろう。それは、あまりに大胆な行為。蘆屋一族による抵抗すら、予想に入れた大胆すぎる強奪作戦。

「間違いなく神藤は現れる…」

そうなれば、道禅は神藤を相手にしなければならない。のこりの者は、真名や他の蘆屋の者、雲雀一族の生き残り達に任せるしかない。
真名ならば…。ある程度の実力者でも問題あるまい。それは、容易に予想できることだ。彼女はそれだけの実力を持っている。
でも…。何か引っかかるものを道禅は感じていた。

「念のため、応援を呼んでおくか…」

道禅の、その懸念は明確なものとなって彼らを襲うのであった。


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「道禅様! 里を守護する陣の第一防壁が突破されました!」

それは、『炎王の王錫』を結界から取り出す儀式の真っ最中に起こった。

「神藤の奴が来たか!」

「はい、突破された防壁の状況を見に言ったものが戻ってきません。おそらくは奴らに…」

それは思わしくない状況であった。今回道禅が連れてきた兵隊はそれなりの実力者ばかりである。仕掛けていた防壁も、並の術者が解ける類のものではないはずだ。それがあっさりと解かれ、突破されてしまった。これは確実に…

「神藤…」

道禅は儀式の場を離れざるおえなくなった。神藤が来ているなら、自分しか相手のできる者はいない。

「真名…」

道禅は、自分の顔を心配そうに見つめる娘に語り掛けた。

「後はお前に任せた…。月代ちゃんたちを守るんだ」

「…大丈夫です。任せてください」

真名は無表情でそう答えた。

その言葉を聞いた道禅は、すぐにその場を立ちあがり天に飛翔した。神藤を迎撃しなければならない。

「父上…」

真名はそれをしばらく見つめた後、立ち上がって拳を握りしめた。
雲雀一族の里の各所で、激しい戦いの音が響き始めていた。


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月代は村の子供たちとともに村の倉庫の一室に隠れていた。今村のいたるところで激しい戦いの音が響いている。自分たちが出て行っても、その戦いの足手まといになるだけであることは予想できることであった。下手をすれば人質に取られて迷惑をかける可能性だってある。

「月代おねえちゃん…」

子供たちの中でも一番年上の美亜がそう言って、月代を心配そうに見つめている。

「大丈夫だよ美亜。お姉ちゃんが。真名が私たちを守ってくれるって…。言ってくれたから」

「真名? 蘆屋の人?」

「そうだよ。すごく強いって言ってたもん…。大丈夫…」

月代はそう自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。

ガタ…。

その時、何者かが子供たちの隠れている倉庫に入ってきた気配があった。

(なに? 誰なの?)

月代は息を潜めながら考えた。侵入者がもし敵で、隠れている子供たちが見つかってしまったら…。

(美月ねえちゃん…。真名…)

その時、月代は一つの決断を下した。自分が、この子たちを守るのだ。


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月代が一つの決断を下すほんの少し前、真名は数人の敵と対峙していた。
襲ってきたのは、小銃を構えた兵隊の一団であった。無論、彼らはただの兵隊ではない。その手にした小銃も対妖怪&呪術師用に呪の込められた銃であった。

「く!! この餓鬼!!」

「フン!」

金剛剣(こんごうけん)

ズドン!!

霊力の刃が敵の一人の脇腹に突き刺さる。

「ぐえ!!!」

その男はうめき声を上げながらその場に倒れた。

「こいつ…。餓鬼のくせにやりやがる」

またほかの男が、真名を睨み付けながらそう言った。

「こいつ、どこかで見たことあるぞ…」

また別の男がそう言って真名を指さした。

「そうだ! 蘆屋の夜叉姫!! 蘆屋道禅の娘だ!!」

その言葉を聞いた真名は、フンと鼻を鳴らして言った。

「それでどうする? お前たちごときで私を倒せるか?」

男たちは手にした小銃を真名に向ける。

金剛剣(こんごうけん)

ズドン!! ズドン!!

男たちが引き金を引くより早く、真名はその拳を一閃させていた。

「ぐ…」「がは…」

男たちは呻きながらその場に倒れた。それは、一方的な蹂躙にも見えた。

「…」

「さて…残ったのはお前ひとりだが…。どうする?」

真名はそう言って、最後に一人だけ残った男に声をかけた。その男は、ほかの男達とは違い、手にした小銃をむやみに振り回すでもなく、静かに佇んでいた。

「フン…。お前から来ないなら、こっちから行くぞ」

真名は不敵に笑ってこぶしを握った。しかし、そんな真名に男は、

「悪いが、お前と遊んでる暇はねえな…」

そう言って手にした小銃を地面に置いたのである。

(こいつ!!)

真名ははっとなって身構えた。それまで見てきた敵の、唯一の武器ともいえた銃をその場において素手になったからである。それは、彼にはそれ以外の武器があるということであり…。

「オンマユラキランデイソワカ」

次の瞬間、目の前の男は短く真言を唱えた。それは、孔雀明王の真言であった。

「!!!」

その直後、真名の目の前は真っ暗になった。そして…

『よう、どうした蘆屋の姫様…』

そこに、あの男が立っていたのである。そう、母を殺した乱月が…。

「乱月?」

『クク…。どうした? そんな顔して。俺の顔に何かついてるか?』

「乱月!!!!! 乱月なぜおまえが?!!!!!」

『なぜ? お前は俺を殺すんだろう? だから俺を追って来た? 違うか?』

「く!!!!! 乱月!!!! 許さない!!!! お前だけは!!!!」

真名はこぶしを握って乱月との間合い詰める。

金剛剣(こんごうけん)

ズドン!!

『クフ…』

その拳は確かに、乱月の腹に突き刺さっていた。しかし、乱月の笑みは止まらない。

『ははは…どうしたよ。姫様? その程度か? その程度なら、やっぱりお前は、呪術師になる意味もなかったな』

「乱月!!!! この!!!!!」

金剛剣(こんごうけん)

ズドン!! ズドン!!

真名は必死に、乱月に縋り付き、拳を何度も突き入れる。しかし、乱月の笑みは止まらない。

『はははは!!!! やっぱりお前は、その程度か、母親の敵も取れない無能のゴミ』

「畜生!!! 乱月!!!! どうして!!!!」

その時真名は、拳を振り回しながら、まったく気づいていなかった。自分が、術中にはまってしまっていることを。

「…」

男は、虚空を見つめながら何やら叫ぶ真名を、冷ややかに見つめていた。

「ふん…。自身の心の中の逃れられぬ激情に溺れ死ぬがいい…」

その男が使った術は特殊な幻術であった。孔雀明王の真言によって、その人間の心を犯す毒を摘出し、それをもってその人間の心を殺す幻術を生み出す。その根源が、その人の心の闇であるゆえに、その人自身には解くことのできない死の呪いとなるのだ。今回の場合は、真名の乱月に対する憎しみが毒であった。

「さて…」

男はもはや、真名に対する興味を失っていた。ほおっておいても術を自力で解くことはできまい、そう男は考えていた。そしてそれは、その通りであった。
真名から目を離した男は、その先にある一つの建物を見た。それは、この里の倉庫だろうか…。


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「よし…予定どうりだな」

「なんだと?」

その時、道禅は神藤と対峙していた。その戦いで、神藤は不気味なほど攻めてこなかった。道禅の攻撃をやり過ごし、逃げることしかしなかったのである。
その神藤が、突然そんなことを言ったのは、二人の戦いが始まって20分ほどが経った時であった。

「悪いが、道禅…。お前との遊びはこれまでだ。俺は引かせてもらう」

「何だと?! まさか!!」

神藤のその言葉を聞いて、道禅は嫌な予感を感じた。まさか、真名たちの防衛網が突破されたとでもいうのか? …そう考えたのである。

「貴様!!」

道禅は神藤との間合いを詰める。しかし、

「お前とのお遊びは終わりだと言った!!」

神藤は符を数枚取り出すと、それを足元にたたきつけた。その符は見る見るうちに炎の壁となって道禅の行く手を遮ったのである。

「神藤! 逃げるか!!」

神藤は、道禅のその言葉ににやりと笑うと、

「ああその通りだ」

そう言って後方に飛翔した。

「チイ!」

道禅は炎の壁を強行突破して神藤を追おうとする。しかし、

「おい、道禅。俺にかまっている暇があるのか? もうお前もわかってるはずだ…。この俺が、お前を誘い出すための囮だったことに…」

「く…」

道禅はそれは百も承知だった。神藤が来ている以上、自分以外は対処不可能だったからである。だから、信頼を置く真名に後をまかせたのだが。

(真名…まさか…)

神藤たちが目的を達成させたということは、『そういうこと』なのだろうと、道禅は唇をかんだ。

「フフ…。俺の後を追うより娘の心配をするのだな」

そう言って、神藤は闇の中に消えた。もはや道禅にはそれを追う気力が残ってはいなかった。真名達、里に残してきた者たちが心配だったのだ。だから、道禅は神藤を追うことを諦めて里へと踵を返した。
果たして真名たちの安否は?


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真名が男の術中にはまって、どれだけの時間がたったのだろう。

「真名!」

バシ!!

次の瞬間、真名は何者かにほおをはたかれていた。

「真名!!! しっかりしろ!! 何があった?!!」

「く…? 父上?」

それは、真名の父親である道禅だった。

「父上? 乱月? …! 乱月! 乱月はどこですか?!」

道禅は、その真名の言葉に一瞬で事情を察した。

「お前、幻術か何かにかかっていたようだな」

「な?! 幻術?!」

真名は驚きの声を上げる。まさかさっきまでの乱月は…。

「それより。他の者たちはどうした?」

道禅は、聞いてもどうしようもないと思ったが、念のため聞いてみた。その通り、真名は現在の里の状況を把握してはいなかった。

「すみません…」

「謝って済む問題でもない…。とにかく美月さんたちの安否を確認しないと」

でもそれは絶望的だろうと、道禅は考えていた。そして、それから数分後、真名と道禅は信じられない光景を目の当たりにすることになる。
それは、真名が術にはまっていた場所からしばらく行った広場にあった。

「…。月代…? 月代!!!!!!!!」

それは、確かに月代だった。『月代であったもの』だった。

「月代ちゃん…」

道禅はあまりのことに、その一言しか出なかった。

「月代!!!!!!!! 月代!!!!!!!!! 嘘だ!!!! そんな!!!!!!」

真名は月代に縋り付いて揺り動かした。しかし、その月代が動くことは二度とない。

「月代!!!! いったい誰が?!!!! まさか!!!!!」

真名は一人の男の顔を思い出した。自分を術にはめた男。

「あいつか!!!! あいつが月代を!!!!!」

真名は瞳を怒らせると、どこかへ駆けようとした。しかし、それを止める者がいた。

「真名!! どこへいくつもりだ!!!」

「奴を追います!!!」

「…お前が追ってなんになる?」

「なに?!!」

道禅はうつむきながら、そう真名に言った。

「お前が追って何になる? また奴の術にはまりに行くつもりか?」

「な!!」

「お前は…ここで、他の者の捜索を続けろ…。逃げた敵は俺が追う…」

「しかし、父上!!」

真名のその言葉に、道禅は声を上げた。

「お前ではもう駄目だと言ってるんだ!!!! わからんか? 真名!!!!」

「!!!!」

そして、道禅は吐き捨てるように真名に言ったのである。

「これは、お前を信頼して後をまかせた俺のミスだな…」

「!!!!!!!」

それは、真名にとってあまりに重すぎる一言だった。その言葉を聞いて、真名はやっと自分が犯したことに気づいた。
急激に頭が冷えてくる。

「父上…私は…」

「真名…。せめて月代ちゃんを綺麗に弔ってやれ…」

そう言って道禅は踵を返した。すぐに道禅の背中は見えなくなった。

「…」

真名はしばらく、その場に佇んだあと、月代の隣に座り込んだ。

「月代…私は…」

真名は月代の頭を撫でた。しかし、その月代が目を覚ますことはない。

「うううああああああ!!!!!!!」

真名は叫んだ。自分がしたことに気づいて絶叫した。自分は月代との約束を破ったのだ。
必ず守ると言った、その言葉をたがえたのだ。自分の憎しみを晴らす、そのために。

「月代…畜生!!!」

男を憎んでみても同じだ。道禅に言われた言葉が心に突き刺さってきた。
自分を信頼して後をまかせた道禅のミス。それは、自分は信頼に値しないものだと突き放されたに等しい。
自分には、月代を殺した男を恨む価値すらないと言われたのだ。

『お前のその怒りと憎しみ…、正しく処理できないようだと、いつか…
 いつか、取り返しのつかないことになる。
 その時、本当に守らなければならない大切なものを見失うことになるぞ!!』

その道禅の言葉がやっと、心に沁みてきた。
真名は情けなくて悔しくて涙を流して叫んだ。

「うわああああああああ!!!!!!!!!!!!」

ふとその時、

「?」

誰かが真名を呼んだ気がした。

「?!」

それは、広場の近くにある倉庫から聞こえたようだった。

「まさか!!」

真名は、すぐに立ち上がると、倉庫に向かって駆けた。其処には、

「真名お姉ちゃん?」

数人の子供が、倉庫の扉を少し開けてこちらをうかがっていた。

「お前たちは…」

その真名に言葉に、子供の一人が言った。

「月代お姉ちゃんが。真名お姉ちゃんが助けに来るまで、ここで待っていなさいって…」

「月代が…」

真名は月代の方を振り返る。それを見て子供たちもまた月代を見た。

「月代お姉ちゃん? どうしたの?」

「…」

真名は何も言わなかった。何も言わず月代のもとに歩いて言った。
そして、

「なあ…月代…。お前、約束を、『子供たちを守る』って約束を守ったんだな…。自分の命を懸けて…」

そう、月代は他の子どもを守るために、わざと囮になって、男に抵抗して殺されたのだ。
それは、あまりに悲壮な決断だった。

「…」

だまって月代の頭をなでる、真名のもとに子供たちが集まってくる。

「ねえ、真名お姉ちゃん…。月代お姉ちゃんは…」

真名はその言葉には答えなかった。そして、ただ一言こう言ったのである。

「情けない…」

真名は今はっきりと感じていた。なんて自分は情けないのかと。
月代は命を懸けて子供たちを守ったというのに、自分は何をしていたのか?

「情けない…!」

真名は、月代の頭の髪飾りに触れると、それを外した。そして、

「月代…すまない。お前の強い意志、借りていくぞ」

そう言って、月代の髪飾りで自分の髪を止めたのである。
そうして、子供と月代を再び倉庫に隠れさせると、里の捜査を開始した。
そして、すぐにその人は見つかった。

「美月様!!」

それは、呪物が保管されていた場所からしばらく行った森の中であった。

「すみません。真名様、協力していただきましたが、『炎王の王錫』を奪われてしまいました」

「く…やはり」

「我々も、蘆屋の方々も抵抗したのですが。一人の男の術が強力で…」

「まさかそれは…」

それは、真名がかかった術と同じものであった。やはり、呪物を奪ったのはあの男だった。
真名はすぐに決断した。

(父上すみません…。あと一回、あと一回だけその信頼を破ります…)

そう心の中で考えると、意識を集中した。その答えはすぐに来た。

「そこか!!」

男は『炎王の王錫』を手に逃げている。その呪物の痕跡を探知術で追えば、男の居場所はすぐにわかる。

「美月様…申し訳ありません。私はすぐに敵の後を追いますので、此処で皆とともに隠れていてください」

「わかりました。あとのこと、お願いいたします」

そう言って美月は頭を下げた。美月は、真名のその頭に月代の髪飾りがある意味に気づいていた。

「私は、今度こそ、今度こそ約束を破りません。必ず『炎王の王錫』を取り戻します」

そう言って真名は空に飛翔した。


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その時道禅は、里のはずれの森の中で、一足先に男に追いついていた。
道禅は『炎王の王錫』は奪われたであろうと考えていた。その痕跡を追跡すれば、敵に追いつけると考えたのである。

「チ…意外に早いな」

「フン…。俺から逃げられると思うか」

男は苦虫を噛み潰したような表情で言った。

「確かに、俺とお前では格が違いすぎる。このままだと呪物を奪い帰されるだろうな」

「よくわかってるじゃないか…。そう言えば格が違うと言えば…」

「なんだ?」

「お前はなぜ子供を殺した…」

「…」

道禅は怒りを押し殺した表情でそう聞いた。男は無表情でしばらく考えた後言った。

「私も殺すつもりはなかったのだが…」

「なに?」

「あの子は、私の術にかからなかった」

「…そう言うことか」

あの子は、月代は何らかの方法で、この男の幻術を破ったのであろう。だから、仕方なく手を下すしかなかったと…。

「…それでも。身動きをとれなくする方法はいくらでもあったろうに!」

「フン…。いちいち相手の身を気遣う必要があると思うか?」

それはその通りである、男にとっては、手っ取り早い方法をとっただけなのだ。それでも

「お前を許すわけにはいかん!」

道禅は怒りとともに男に向かって駆けた。

「オンマユラキランデイソワカ」

男は冷静に呪を唱える。一瞬、道禅の意識が真っ白になる。

「く…」

「フフ…貴様のような人間でも心の毒は必ず持っているモノだ。
 いやそういう仕事についているからこそ、心の毒を沢山持っていると言える。
 …毒の生み出す闇に押しつぶされるがいい」

男はそう言ってにやりと笑う。しかし、

「…その術は俺には効かん」

道禅はそう言うが早いか、男に向かって一瞬で駆けると、拳で男を殴り飛ばした。

「ぐは!!!!」

男は思いっきり後方に吹き飛ばされた。

「少女にできることが。俺にできないと思ったのか?」

「く…」

男は血を吐きながら、なんとか立ち上がった。

「ククク…。そうか、毒を…。心の毒を抑える方を貴様は知っているのか…。ならば仕方あるまい」

男は懐から符を一枚取り出すとそれを地面に投げた。

「今度は何を?」

「フ…」

男がにやりと笑うと。地面に張り付いた符が、空間に裂け目を生み出したのである。

「まさか!!」

「こうも早く、俺の出番が来るとはな…」

その空間にできた裂け目から現れたのは、さっき戦った神藤その人であった。

「貴様、また…」

「フン…また会ったな道禅。さっきはもう少し長く遊んでおくべきだったな」

「く…」

「今度は、俺の方から積極的にいかせてもらうぞ」

そう言って神藤は懐から符を数枚取り出した。それがすべて、雷へと変化して道禅を打ち据える。

「チイ!!!」

道禅はそれを何とか避けた。こうなったら、神藤の相手をするしかなかった。

「後は任せました。神藤様…」

男はそう言うと、森の奥へと姿を消す。このままでは逃げられてしまう。

(道摩府からの応援はまだか?!!)

道禅は心の中でそう叫んでいた。


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「まさか貴様が追いついてくるとはな」

そう言って、男は森の向こうの人物に語り掛けた。

「やっと、追いついた…」

そう言って現れたのは真名である。

「また俺の術にはまりに来たか?」

「…」

その言葉に真名は歯を食いしばって怒りを抑えた。ここで怒っては相手の思う壺だ。

「呪物を返してもらうぞ」

「お前にそれが出来ると思うか?」

「…」

真名は黙って印を結ぶ。

「オンバゾロドハンバヤソワカ」

男はその呪を聞いてニヤリと笑う。

「金剛部三昧耶か…、己の意を加持する呪…。
 だがそれしきで心の毒を抑えられると思うか?
 心の毒に溺れたままの小娘が…」

「…だが、やるしかない!」

真名は一気に男に間合いを詰める。

金剛剣(こんごうけん)

「はあ!!!!」

だが。

「拳に迷いがあるぞ!!!」

男はそれを軽く避けると印を結んで呪を唱える。

「オンマユラキランデイソワカ」

その瞬間、真名の意識が真っ白になる。

「うあ!!!」

「フフフ…。お前の持つ心の毒は、俺たちの業界ではそれほど大きなものでもない。
 しかし、お前はそれを放置するどころか、自ら望んで溺れている。
 そんなお前が、わが術から逃れることなど、万に一つもありえん」

「くあああ!!!」

真名は呻いてその場に跪く。再び術中に落とされていた。


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『クク…。また会ったなお前…。俺に殺されに来たか?』

「く…」

真名は呻きながら後退る。

ちがう…

『どうした? また俺にその拳を突き立てようとしないのか?』

真名は唇をかみながらさらに後退る。

ちがう…

「お前は…違う…」

乱月はにやにや笑いながら言う。

『何が違うというんだ? またお前の家族を俺に殺されたいのか?』

ちがうちがうちがう…

「違う!!!!」

真名はその場に蹲る。

「違う!!!! 消えろ!!!!! お前は違う!!!!!! お前はただの幻術だ!!!!!」

そう叫ぶ真名のところに歩いてきた乱月は、そっと耳元で囁く。

『…そんなことで、俺から逃れられると思うのか?』

「ひ…」

『…これは幻術? そんなことはお前は百も承知だろう? ならなぜ目覚めん?』

「ああ…」

乱月は闇夜の三日月のごとき形の口で笑うとさらに囁く。

『お前は望んでるんだよ…俺のことを…』

「くう…」

『俺のことを殺したいってな?』

真名は涙目で訴える。

「違う…」

『何が違う?』

「私は…」

『何も違わないだろう? お前はそのために強くなった』

「それは…」

真名は顔をあげで乱月を見る。その顔にはゾッとする微笑みが張り付いている。

『…気にすることはない』

「え?」

乱月はさらに耳元に口を近づけると、とても優し気な言葉で囁いた。

『あんな小娘一人死んでも気にするな』

「!!!!」

その小娘とは…。

『お前は、俺を殺したい。それ以外のことを考える必要があるのか?』

「ああ…」

『…それ以外の些細なことはほおっておけ。あんな小娘、復讐の邪魔にしかならんぞ?』

「あ…」

乱月は真名の後方を指さして言う。

『ほら、見てみろ。あの小娘の有様を』

「え?」

真名は乱月の指さす方を振り返る、そこに彼女がいた。

『おねえちゃん。真名お姉ちゃん…』

「月…代…」

それは確かに月代だった。その全身から幾筋も血を流しているが…。

『なんで? お姉ちゃん、なんで約束を破ったの?』

「…!!! それは!!!」

『なんで月代を助けてくれなかったの?』

「違う!!! 私は!!!」

そこに乱月の言葉が割り込んでくる。

『違うよな? ただ術にかかっちゃったから、仕方なかったんだよな?』

「うう!!」

『お前を見捨てようとして見捨てたわけじゃないよな? 言ってやれよ真名…』

「私は…」

月代は悲し気な表情を深くして言う。

『そうか、そうなんだね。真名お姉ちゃんにとって私は、その程度だったんだね。
 約束も何もかも…』

「違う!!!! そんなことは!!!!!」

真名は月代に手を伸ばす。しかし、

『お姉ちゃん苦しいよ…。わたし、もう息も出来ない、しゃべることも出来ない、あああ…』

そんな月代を乱月はあざ笑う。

『ほら…真名…。あんなめんどくさい奴、お前の拳で切り裂いてしまえ』

「な!!」

『お前は俺を殺したいんだろ? ほら殺ってしまえ』

「できない!!!」

『できないわけないだろ? お前にとって、俺を殺すことがすべて…。それ以外は捨ててしまえばいい』

さあさあとまくしたてる乱月。真名はその言葉を聞いて頭を抱えた。

ちがう…

こんなの違う…

これは幻術だ…

分かってるはずなのに…

なぜ幻術は解けない…

真名は呻きながら頭をかきむしる。その時、その手に触れるモノがあった。

「あ…」

それは、かわいいアニメキャラクターの髪飾り。月代の髪飾り。

「月代…」

『どうした真名。あの小娘を殺せ』

『真名おねえちゃんくるしいよう』

その時、ふと真名の心に光が灯った。

「そうだな…」

『『?』』

「私はお前を殺したい」

真名はゆっくりと立ち上がる。

「そして、そのために月代を見捨てて死なせたんだ」

真名はしっかりと前を向いた。

「…それがどうした。月代が死んだそれだけで、私の復讐心が消えると思うか?」

『お姉ちゃん…ひどいよ…』

「そうだな…ひどい人間だ私は。まさしく『夜叉』そのものだ…」

『ソウダ。お前は夜叉でいいんだ。俺を殺したいんだろう?』

今度は真名は乱月に向き直る。

「…それでも」

『それでも?』

「…それでも私は。月代との約束を守りたかったよ」

真名の頬から一筋の涙がこぼれた。


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真名は涙を流す。

「…私は復讐より月代を守りたかった。
 月代とともに強くなりたかった。
 それでも、私は復讐を選んだ…最低最悪の夜叉…」

真名は月代の笑顔を思い出す。それは本当はよく知っていた表情。

「そうだ、あの笑顔は…」

かつては自分もしていた笑顔。母に向けていた表情。

『そうだよ。忘れないで』

ふと、それまでの二人とは別の方向から声がした。

『真名お姉ちゃんは、みんなを助ける立派な呪術師になりたいんでしょ?』

その言葉を聞いた瞬間、かつての会話がフラッシュバックする。

そうか…。

『なんで…、なんで私子供なんだろうね? もっと強くなりたいよ! 本当に、みんなを守れるくらい!!』

『おまえ…』

そう言うことか…。

『…月代』

『え?』

『強くなりたいのか?』

『うん…』

『だからさっきから私に付きまとってるんだろ?』

『…うん』

『だったら、この仕事が終わったら…。お前に呪術を教えてやってもいい』

あの時の笑顔は…。

『ほんと?』

『ああ、ただし。私の教え方は少々乱暴だぞ?』

『うん大丈夫!』

『だから、それまでは、自分の仕事をしろ』

『わかった! 約束だよ?!』

私があの時月代に感じていた気持ち、それは…。

それは、かつての母との記憶…。

『母上!』

『なあに?』

『私母上たちのような呪術師になりたい』

『…そう』

『呪術師になって、困ってる人を沢山助けたいんだ』

『きっと真名ならなれるわ…そんな素敵な呪術師に…』

かつての真名の夢。そして、今の月代の想い。
それは、ひと紡ぎの糸となって…。

「そうだな…月代…。私は私を見殺しにしたんだ…。かつての私を…」

そう言って新たに声のした方に振り向く。其処にもう一人の月代がいた。

『おねえちゃん』

「月代ごめん」

真名は首を垂れる。

「守れなくてごめん。呪術を教えることが出来なくなってごめん」

『…』

「約束を破ってごめん」

真名はもう一度月代を見つめる。

「私はお前の命より、復讐を選んだ夜叉だ。
 でも、それでも…。お前は…」

真名を見つめる月代は優し気に微笑んでいた。

「私にそんな顔で笑いかけてくれるんだな…」

真名は拳を握る。

「月代の望み…。
 私がかつて描いた夢。
 忘れてはいけなかった想い…」

それを、頭の髪飾りに触れさせる。

「もう忘れるわけにはいかないよな…。
月代…」

その時、それまで黙っていた乱月が口を出す。

『何を言ってるんだ? お前は俺を殺したいんだろ? 復讐はどうした?』

真名は乱月に振り返る。

「復讐心は消えないさ。いつかお前を殺したいという思いも…」

『だったら…』

「だったらじゃない。
 私にはそれより重い約束があるんだ。
 それより重い約束があったんだ…」

だから…

「今は消えろよ乱月」

次の瞬間、真名の拳が空を切った。

金剛拳(こんごうけん)

ズドン!!

その拳は乱月を切り裂くことなく、その霊質に浸透した。

「お前は乱月ではない。
 初めからわかっていたことだ…」

『が…なぜ…』

「それでも、私は復讐心に抗うことが出来なかった。
 だから、お前も消えることがなかった」

『…ま…な』

「だが…
 今は違う…」

そう、復讐心は消えることはない。
乱月を殺したいという思いは消えることはない。
だから…なればこそ…

「それを他の想いで乗り越える!!!!!!!」

心を強くもて!

心を研ぎ澄ませ!

「これでいいんだよな? 月代…」

その言葉を聞いた月代はにこりと微笑んで頷いた。

『バカな…真名…』

真名の『金剛拳』を受けた乱月は、そう言葉を発しながらおぼろげになって消えていった。

残されたのは二人の月代。

『おねえちゃん苦しいよ』

「そうだな…。それは、私の所為だな」

『そうだよ。痛かったんだよ?』

「そうだな…」

真名は月代を見つめる。

『おねえちゃん。その私は…』

もう一人の月代が語り掛ける。

「ああ。わかってる。これは、私の罪悪感が形をとったものだ」

『だったら…』

真名は自身の拳を見つめた。
消すのはたやすい…のかもしれない。しかし、

「一緒に行くか…」

その拳を広げて苦しむ月代の手を取る。

決して忘れない。
復讐を望んで、月代を見捨てたことを。
その心の痛みを。

これはその意思表示。

「一緒に強くなろう月代!!!」

その時、二人の月代が小さく微笑んだ。


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「バカな!!!!」

男は信じられない光景を見た。

「…」

自分の術を受けて、一瞬動きを止めた真名が、目を開いて再び動いたのである。

「私の術を破っただと?!」

真名は強い意志をたたえた瞳で男を見る。

「もうお前の術にはかからない」

「く…。くはは…。まさか、道禅だけでなく、こんな小娘にまで俺の術が破られるなど…」

「小娘じゃない」

「蘆屋の夜叉姫…か…」

真名は頭を振って言う。

「違うな…。
 私は、播磨法師陰陽師衆(はりまほうしおんみょうじしゅう)蘆屋一族(あしやいちぞく)に所属する、正式な陰陽法師(おんみょうほうし)
 蘆屋真名だ…」

それを男は、しばらくおかしなものを見るような目で見つめていたが。
薄く笑って口を開いた。

「そうか…ならば…。私も答えよう…
 我が名は死怨院…
 死怨院呪殺道の呪殺道士
 死怨院鵬乱(しおんいんほうらん)だ…」


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それからのことは深く語るようなことはない。
なぜなら、真名は鵬乱を圧倒し、打倒し、『炎王の王錫』を取り返したからである。
そのすぐ後に、蘆屋からの援軍は到着し、神藤は逃走し、その配下はことごとく捕縛されることになる。

真名は、それまでの真名からは考えられないことに、倒した鵬乱を殺すことはなかった。
それどころか、それ以降、自身に『非殺生の禁』を課したのである。
それは、それからしばらく後に、父・道禅から習得を許された『新術』のために必要な『禁』であると言われているが、果たしてそれだけだったのだろうか?
真名はそのことに関して黙して語らないが…

その髪には月代の髪飾りが揺れている。
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