第13話 思い出した旦那さん

文字数 1,068文字

 ホントウに愛するということ。この自分でつけたタイトルの前に、呆然とし続ける。何か内容を書こうとすれば、絶望的に無力であるような自分が見い出される。ホントウに愛するとは、「こうすることだ」などと、絶対に言えない。
「自分はこんなに、ホントウに誰かを愛しています」と、公言できる人は、いるのだろうけど、自分はその仲間に入れない気がする。いや、そういう人と接すれば、その人を通じて自分の中にあるその要素を見い出し、あ、オレもほんとうに誰かを愛している、と触発されるように気づかされるのかもしれないが…。

 昔々、「一度も妻とケンカしたことがない」という旦那さんと出会ったことはある。公園で、ベビーカーを押して行ったぼくの前に、ベビーカーを押して来ていた男の人がいて、おたがいに珍しく、当然のように仲良くなったのだ。
 家族の話、仕事の話などをする中で、その人は小中学生の頃に今の奥さんと知り合い、以来ずっと仲良く(おそらく空気を吸うように、「仲良く」という意識も要らないほど、それが当たり前であるように)、そして結婚後も、今も変わらないままです、ということだった。
 ぼくとほとんど同い年で、子どもも同じくらいで、人あたりの良い人だった。「地道、普通、いざ尋常に」といった感じの人だったけれど、その地道な尋常さにこそ、永遠的なものを、漠然と、しかし決定的に感じたものだった。

 彼の「愛する人への愛」が、今ぼくが絶望的に書いている「ホントウに愛すること」の内容に、そのまま描ければと思う。
 が、ここでまた、「一度もケンカしたことがない」が、イコール「ホントウに愛していること」になるのか、とも考えてしまう。と書いて、書いたらまた、「いや、そうだろう。そりゃホントウに愛していないと、ケンカになるだろう。愛は包容、許すことでもあるのだから、ケンカしないということは、そういうことだろう」という気がしてくる。

 しかし、「一度も」というのは、どういうことだろう。ある程度ぶつかり合って、そこで「許す」が出てきたなら、許したことになるだろうけれど、許す対象もなかったとしたら、許すことなんて最初からなかったことになる。……などと、考えてみたところで、どうなるわけでもない。
 実に、とりとめがない。
 しかし懲りずに続ければ、「ホントウに」には、永遠、絶対的に変わらない、が、あるはずだ。ならば、前述の旦那さんは、今のところ、「ホントウに奥さんを愛している」ことになる。

「ホントウに」とは、何か、という話になってくる。「愛する」とは、どういうことか、という……。
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