第2話 「愛してる」

文字数 1,667文字

 まったく、暑い夏だった。5、6人の友達と、しかし毎日、エアコンのない私の部屋でくっちゃべり、笑い合い、汗だくになって遊んでいたのだ。
 私たちは、とにかく笑えればよかった。学校帰りの友達と、学校に行かない私の、唯一の接点が「笑う」ということだったのかもしれない。
 そんな日常の中で、女の子の一人がみんなにノートを回し始めた。みんなといっても、一人に渡し、渡された者はカバンに入れ、家に帰ってから読んでいるふうだった。そして翌日、彼女に返す。その翌日、また彼女が誰かに渡し…というふうに回る、集団交換日記のようなものだった。

 私が、彼女をほんとうに好きになったのは、そのノートを渡され、みんなが帰った後、ひとり読んでいた時だった。彼女の筆跡で、「死にたい」とあったのだ。その言葉を目にした時の衝撃は、今も忘れられない。
 それまでも、高野悦子の「二十歳の原点」(新潮文庫)を読み、よく私は泣きそうになっていた。それは二十歳で自殺した女子大生の日記だった。表紙をめくって写真を見れば、おちょぼ口で笑顔の素敵な、可愛らしい女の人である。なぜ死んでしまったんだ? なぜ自殺なんかしたんだ… 涙ぐみながら、どうしても、やりきれない思いに駆られた。

 かく云う私も、実は毎日のように死にたいと思っていた。だが、実際に死んでしまった高野悦子の遺した言葉は、学生運動・安保闘争といった、彼女の生きた時代と全く違う時代に生きる私の心にも、彼女の言葉一つ一つが、身体に沁みるように入ってきた。
 自殺する人は、孤独なのだと思った。私も、友達がいながら、まるで孤独のようであった。「死にたい」なんて、言えない。ほんとは死にたい自分なのに、それを友達に伝えられない。そんなこと言ったからって、どうにもならないことも分かっていた。だが、それは「自分を誤魔化して」人と接しているような気分にさせられた。それが私の「孤独」の意識だった。

 だが、そんな私の前に、しかも毎日遊びに来る友達の中に、同じように「死にたい」と考えている人がいた! これはおかしな話だが、私にとてつもない大きな喜び、孤独からの大きな解放に繋がったのだ。
 彼女も、面と向かって言えないことを知っていて、でも「ほんとうの自分の思い」を知ってほしくて、ノートに書いて知らせてくれたのだと思った。

 友達は、「わたしも、そういう時あるけど…がんばろ」とか、「美味しい物を食べよう!」とか、書き込んでいたけれど、私は、何を書いていいのやら分からなかった。その時の気持ちを正直に、自分に正直に書くなら、「嬉しい! ありがとう!」だったが、そんなこと書いても、ばかである。
 結局、私は何も書けず、翌日彼女に返したと思う。だが、それからまったく、彼女のことが頭から離れなくなった。また、この自分の気持ちを、どうにかして伝えたいと思った。

 で、一ヵ月くらい悩んだ挙句、やっと彼女に面と向かって言えたのが、「心から君を愛している」だったのだ。瞬間、彼女はぐらりと揺れたようで、それを見て、私もぐらりと揺れた。しばらく、見つめ合っていたと思う。その後、彼女は帰ってしまった。
 私が告白したその場には、もう一人、友達がいて、「もお、あんなこと人前で言わないでよ、聞いてるこっちが恥ずかしい」と、顔へパタパタ風を送って、笑われたけれど、私はとにかく真剣だった。

〈 ぼくたち、弱い人間なんだから、せめて言葉くらい、誠実であろうよ 〉

 話が、あらぬ方向へ行きそうだが、そのまま書く。言葉は、心を表せない。その言葉を作らせたもの、言わせたもの、それが心であって、その言葉を言わせたもの、作らせたものを、彼女が感じてくれなければ、言葉は何の意味もない。
〈 言葉は、愛である 〉と戦後文学者は云った。言葉に生命を注いだ、戦後の文学者と違い、私のそれは、なんと心細い愛だったろうかと思う。だが、彼女の「死にたい」も、私の「愛している」も、それは、こう書いていて、やっと今恥ずかしさを感じているけれど、ほんとうの、まことの叫びだったと思う。
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