第7話 存在と時間

文字数 1,160文字

 存在は、時間を越えてあり続けることはできない。しかし、自分が今書こうとしている、ホントウに愛するということは、この「時間を越えてあり続ける」姿であることは、うすうす感づいてはいた。
 ホントウというもの=変わらぬもの。永遠普遍のもの。を、書きたいと思って、書き始めた。そして言葉にすればするほど、その書きたいホントウのものから、どんどん離れて行く仕儀に陥った。
 これは、ホントウというものが、変わらない、永久に変わらないものだという先入観から、書き始めた、自分の間違いだったのかもしれない。頭の足りなさ、表現力の貧しさから、この「ホントウに愛するということ」が書けなくなっている、書いていて、つらい情態に溺れているとしても、昨夜、読んでいた大江の本に、このような言葉があった、

「現実はいかなる場合も静止して存在するのではない。存在する、という言葉にすでに時間の観念が混入しているのであって、事物が存在するとは時間の推移である一区切りのあいだ、各瞬間にわたって存在し続けるということである。静止した時間はないのだから、現実をあたかも静止しているかのようにとらえるやり方は間違っている。」
「映画による現実の把握方法には、この意味で本質的に正しい志向があり、スナップ・ショットは間違った仮定に基づいている。」

 自分が書こうとしていた「ホントウに愛するということ」は、現実をあたかも静止した状態、それを永遠、ほんとうのものだとして、静止し続けるものとして、書こうとしていた。しかし、「そのような仮定から歩を進めるのは、間違っている」。
 これは、ほんとうに悔しい(ほんとうに、という言葉、また書いてみて、これもかなり刹那的で瞬間的な、時間的な言葉だと痛感する)。
 スナップ写真、自分にとっては、あの中学の写真が、その一枚だった。そこに、ホントウに愛した、自分から愛した、相手が映っている。
 なぜ本当に愛した気になったのかを、分析めいて書こうとした。
 自殺、死というものを共通項にした恋だったから。
 自分から、主体的に、積極的に、やむにやまれず好きになった、初めての相手だったから。
「初めて」には、常に一生懸命な、無心な、一途な懸命さがある…等々。

 しかし、もう、あの「ホントウ」の時間は、過ぎてしまった。それは、認めなければならない。ここに、また「離れ」を感じる。相手と離れた、その前に、自分自身と、離れている…

 この「ホントウに愛するということ」、そのプロットを書けば、その後の自分の結婚した時のこと、それから離婚して、その後の「ホントウに愛した一瞬一瞬のこと」を書く予定だった。が、ほんとうに愛した、最初で最後(最初って、最後なんだなとも痛感する)のあの恋が、自分にはどうしてもホントウのように思えて、なかなか、進められない。
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