第9話 孤独から

文字数 1,327文字

 いや、あくまでも「異性との関係における」愛、と限定して話を進めたい。でないと、きりがない。
 けれど、「愛」というと、どうしてか、広大な、宇宙のような、すべてを包み込むもののようなイメージが先走る。そこに頭がワシづかまれて、途方もないところへ連れて行かれる。そのいちいちを書いてみて、そこからぐるりと回って、男女間の愛に戻って来ることはできないか。
 先走ったイメージ、それを追い掛けてみれば、「言葉」に思い当たる。
 犬猫、花、鳥を、自分が愛でて、まるで心から愛せて、気持ちがやさしく包まれる気になる時、かれらは基本的に無口でいる。言葉を発しない彼らに接する時、ぼくはそこに自由を、きっと感じている。彼らはぼくを否定も肯定もせず、ただそこにいるから。

 ここに、また、独占欲、「自分のモノにした」と似た、ある欲が満たされるような気になる時がある。
 この世は、けっして自分の思う通りに、望み通りに動かない。人間は言葉を言う。それによって自分は誰かを傷つけたり、傷つけられたりする。行き着くところ、孤独に陥る気になる。
 そんな「ひとり」を意識して、ポツンといると、花や鳥、ワンちゃん猫ちゃんが、思いがけず愛しく見え、ふっと癒されてしまう。きれいな花弁、つぶらな犬の目に接すると、涙ぐんだりしてしまう。
 この時、自分は愛のような膜に覆われて、ほんのり温もっているような気がする。

 もうひとつ、愛から連想するものに、自己愛がある。これが、もしかしてホントウの愛ではないかと思う時もある。独占欲も、自分の欲求を満たしたいから生まれるのだし、セックスにしても同様の、「自分が満たされたい」欲求の占める、少なからぬものだろう。
 だから愛、ひとへの愛の発祥地は、自己愛にある、と言うこともできる。しかし、困るのは、「そんなもんじゃない、それは歪んでいるよ、愛じゃない」と否定する自分が、そこに出て来てしまうこと。

 自分のいのちを捨ててでも、この人を助けたいとか、安易に思ってしまう時もある。
「あなたの愛するその人を、幸せにしたい? あなたの手首一本、わたしにくれれば、あの人を永遠に幸せにさせてあげますよ」などと、神だか悪魔だかが言って来たなら、自分は喜んで手首を切って差し上げたいと想う。

 しかし、だからといって、それが「ホントウの愛」だとは思えない。

 太宰の書いた「家庭の幸福」、自分の家庭の幸せのために、無意識に(無意識にならないとホントウには愛せないのかとも思う)、ひとを不幸にさせてしまう物語が浮かぶ。ここに、全体の幸福、個の幸福、が、また顔を出す。
 ただ、何かを犠牲にして、そこから成り立つ愛は、真のものではないとも思う。
 愛は、静かな、穏やかな、春の海のようなもの、というイメージがある。ハジケる情熱、相手に向かう情熱的な、いのちのハジケのようなものは、分かり易いけれど、それはひどく脆く、刹那的なもののようにも思う。

 ひとりで、ほんとうに何の不満もなく、心からハッピーに、満たされて生きている人は、凄い人だろうなと思う。そういう人に、お目に掛かったことがない。もっとも、そのような人は人目に触れず、ひとりひっそり、森の中で暮らしていらっしゃるのかもしれない…
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