第1話 初恋

文字数 1,203文字

 初めて異性を好きになった時、私は、このひとと一緒に生きて行きたいと思った。そのひとと出逢えて、ほんとうに嬉しいと思った。思春期とよばれる頃であった。まさに春を思い、その思いの中に生きていた時期だったと言える。
 ひとを好きになる、嬉しさ。あの喜び、歓喜、冗談でなく「生きていてよかった!」とさえ思えた初恋だった。

 それまでも、異性に興味がなかったわけではない。大いに、あった。あり過ぎたほどである。だが、そのひとを好きになった時、そんな興味・関心を私は容易に飛び越えてしまった。「一緒に生きて行く」という現実が、目の前に、全く新しい光を帯びて世界が照らされた気がしたのだ。

 誇張ではない。精神、気持ちといった、わけのわからないものが、現実といった、やはりわけのわからないものに、絶大な作用を及ぼしたのだ。自分の部屋の天井、押し入れ、畳、机、その上に置かれた小物などが、明確にハッキリと鮮明に見えた。窓の外の屋根も、空も、電柱も電線も、昨日までと何も変わっていないのに、まるで新しい、ピカピカの世界に見えたのだ。

 性欲。健康な日本男児に育った私は、仏教でいうところのあの煩悩に、いっぱしに苦しめられていた。そのハケ口として猥雑な雑誌を、犯罪でも犯すような心地で本屋に求めたこともある。
 だが、そのひとを好きになった時、その性欲というものを心底から邪悪なものとして、本気で振り切ろうとすることができていたのである。プラトニックに、真剣に彼女を愛することができていたのだと思う。

「一緒に生きて行く」。そんな思いに身も心も囚われた私にとって、肉体への欲望を、「生きる」中での一部だと捉えることができたのだと思う。性的なそれはそれとして対処し、彼女への思いに、そんなものを入り込ませてはならぬと思った。

 それは、とても自然な心の作用だった。このひとを大切に、だいじにしたいという気持ちを、どうにかして伝えたい。一ヵ月ほど悩んで、「心から、きみを愛している」。面と向かって、真っ直ぐ伝えた。それ以外、言葉にならなかったからだ。そして終わったと思った。もう、悩むこともない。友達でもいられなくなる。
 あの「終わった」寂寥感、悲哀は、自分の中で悶々とし続けた「伝えたい思い」が、たったそれだけの言葉で終わってしまったことへの無念さであったと思う。

 だが、私の告白は、彼女に受け入れられたのだった。その時も、私は妙な気持ちだった。嬉しさよりも、これから大変だな、という、未来への重み、何しろ「一緒に生きて行く」のだから、彼女の労苦も背負わなければならない、自分にそんなことができるのかと、暗い気持ちになったのだ。

 一緒に生きて行き「たい」と熱望していた時は、全くそんな気持ちにはならなかった。それが、一緒に生きて行「く」となった瞬間から、彼女が私に重い、重過ぎる存在のように心に覆い被さってきたのだ。

 中学二年の、夏だった。
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