『プロローグ』 

文字数 1,859文字

『始まり始まり』



「……なんだよ、これ……?」

雨が降っていた。

ただ、ただ、雨が降っていた。

その激しい雨音が、ごうごうとノイズの如く耳に入る。

目の前は血の海だった。

普段は組織の人間で賑わっているメインエントランス。

そこに、現実味の欠ける量の血液の溜まりが出来ていた。

むせ返る様な匂いで、それが現実である事を理解させられる。

先週、煙草の銘柄で気の合った上司が。

昨日、几帳面に整理された書類を上げてくれた部下が。

さっき飲み会の約束をした同僚が。

殺されていた。

いや、殺されたのかも分からない。

ただ。

ただ、ただ、死んでいた。

「ハッ……ハッ……ッ……ハッ……」

呼吸の仕方を忘れる程に思考が渋滞している。

様々な考えが、感情が、現れては形を為す前に消えていく。

故に何を考えるでもなく。

自然に足が動いたままに従うしかなかった。

ボス。

ボスならなにか知っているはずだ。

いや、なにかしてくれるはず。

ボス、ボス。

……親父!!

その時

バンッ!!

勢いよく扉が開き、白衣を着た目つきの鋭い男が部屋から飛び出してきた。

男は私を見ると、大股で歩み寄って来る。

「尾方! 無事だったか!」

男は私の知り合いで、組織の幹部兼研究員であった。

私は一縷の安堵に全身を支配され、涙を浮かべるのも忘れてエントランスの様子を男に話した。

「やはりそうか...アジトの緊急事態ブザーが突然鳴り響いてな。非戦闘員の俺は隠れて居たんだが、余りに自体が収束しないので出てきたのだよ」

ブザーが鳴り響いたのは20分ほど前らしい。

それは自分が買い出しに出かけたすぐ後のことだ。

気づけなかった自分に腹を立てながらも、人と話せたことで微かに心が落ち着きを取り戻して来た。

しかし。

「……」

何かに気づいた様にハッと立ち止まった博士は、微かに身体を震わせて言う。

「……尾方……分かるか?」

数瞬の安らぎすら許されなかった。

目の前の博士の身体に無機質な幾何学模様が走っている。

私がそれになんらかの反応を示そうとした瞬間。


「死とは、救いなんだ」


バン

そう言い残し、博士は木っ端微塵に弾け飛んだ。

生温かい。

暑い、熱い熱い熱い。

こびり付いた血を知覚すると狂ってしまいそうだったので、全力で無意識下に追いやった。

「……ハァッ……ハァッ」

思考すら億劫になるほどの感情の渋滞を押し留めながら、足に力を入れる。

揺れる視界でそれでもはっきり目的地を見定める。

ボスの部屋……

親父のところへ……

そうすれば、なにか、どうにか。

きっと。

きっと。


しかし、その時は訪れた。

ズルリと背中に、巨大な蛇が這うような感覚が走った。

指先一つ、瞬きすら出来ない緊張感。

なにかわからない後ろのソレは。

語るでもなく私に語りかける。

『死を、思いますか?』

それは我が組織名にもなっている有名な言葉。

しかしそれは質問ではなく、脅迫の様な重みで私に降り懸かった。

これにどう答えようが、結果は変わらない。

どうしようもない結果だけが私の中で完結していた。

しかし。

それでも。

私は心の底から思ったことを、そのままに口にした。

「……死にたくない」

言葉は、か細く空気を揺らす事は出来たが。

結果を変えるには、遠く及ばなかった。

身体の奥深く、熱のように迸った死という概念は、瞬く間に私の身体を侵し。

私の意識は、暴力的に遮断された。

恐らく身体の断片的な一部として落ちた私の目玉は。

犯人の姿を鮮明に映していたが、それは脳に渡ることは無く。

瞳の奥底に記録ではなく陽炎として焼き付けられた。


記憶に無くとも引かれる様に。

記録に無くとも惹かれる様に。

そこに恨みは無くとも。

『その時』

近くに居られるように。


男の恩讐を知ってか知らずか。

『ソレ』は。

形ならぬ指先で幾何学模様の箱を撫ぜ。

男の向っていた奥の部屋に視線を運ばせた。

呟くでもなく。

空気が微かに震える。

『死を、思いますか?』




これは執念の根幹。

既に始まっていた男の物語の特異点。

とある男が問答したこの外付けの命題は、程なくして世界を迸る事になるが。

それは、もう少し先のお話。



さぁ諸君!

折角、読者になったんだ。

面白おかしい世界の終わりぐらい、見ておかないと損だと思わないかい?

ああ、大丈夫。

高尚な話になんかならないよ。

世界だって今際の際には。

「死にたくない」ぐらいしか言えないからさ。

きっと君のいい暇潰しになると思うんだ。

え? タイトル?

良くぞ聞いてくれました。

流行りそうもない、でも俗っぽい良いのがあるんだよね。

それではご照覧あれ。

残されし者達の面白おかしい復讐譚。

『 残党シャングリラ 』

諦めないの先にある、ドロリとした人間性の物語。
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