第8話

文字数 1,193文字

 女が、縛られている。
 窈窕(ようちょう)たる美女だが、その姿態は傷ましい。
 両手を高くあげさせられた恰好で、太い柱に縛られている。
 身を覆うものといっては一枚の薄物ばかり、それさえ落花(らっか)狼藉(ろうぜき)(てい)に乱れて、白い(はだ)には幾重(いくえ)にも厳しく(いまし)めが喰い込んでいる。 
 女の顎が上がって、さながら山女(やまめ)(はら)のように、あえかに白い喉が剥き出しなのは、女が息も絶え絶えに(あえ)いでいるせいらしい。苦しげに頭を揺する度に、ほつれた髪が切れ長の(ひとみ)の上に、ぱさり、ぱさりと散る。
 (おぞ)ましくも、背に羽が生えたり、爪が(かぎ)になったり、足に(みず)()きが付いたりといった異形の者どもが女の足元に群がっている。仔細に窺えば女の右の腿に、ざくりと一刀抉られた如き痕があり、そこをめがけて異形のやつらがてんでに、その蛞蝓(なめくじ)みたいな舌を伸ばしているのだ。

 女の腿の傷から何やら溢れ出しているらしいのに、それにしては血の花弁の見えぬのが奇妙だったが、その光景のあまりの凄まじさに少年は既に考える力を失って、奇妙とも不思議とも思わず、ただただ茫然と打ち眺めるばかりだった。
 押し合い()し合い、頭踏まれて、それでも離れまいと女の雪白(せっぱく)の腿に(けが)れた爪を立てるもの。(したた)甘露(かんろ)の少なさに(いら)()ってか、(きば)()きだしてかぶりつき、痛ましい傷を更に押し広げようとするもの。入れ替わり立ち替わり、拷問はいつ果てるとも知れない。
 女の苦しみようは尋常ではない。少年は思わず目閉じ、耳塞ぎ、その場にしゃがみ込んだが、それでも腸の断たれるような苦悶の声は、ぴったり合わせた指の隙間をこじ開けて突き刺さってくる。
 女を救ってやりたい。どうにか救ってやりたい。このままでは息絶えてしまう。救わなければ。一刻もはやく救わなければならぬ。この一心で、再びかっと目を見開き、すっくと立ち上がるや、勇を鼓して女の方へ近づこうとする。しかし、あまりにあさましい光景を目の当たりにして、また足が(すく)む。竦んだ拍子に何か蹴ったのか、妙に高い音が響いた。あやかしたちが一斉に振り返って少年を睨み据える。
 刹那。
 苦悶のあまり、すっかり(くら)んでいた筈の女の眼に、(こう)と一瞬光が戻って、何処にまだそんな力が残っていたのか、
「そこの御方(おかた)後生(ごしょう)でございます。お救い下さいまし。罪なくして捕らえられ、無間(むげん)の苦痛に(さいな)まれております。お救い下さいまし。御慈悲でございます。どうか、どうか……」
 哀切極まりない声音が、真っ直ぐに少年の耳朶(じだ)を撃ち、心を撃った。
 女の命を懸けた叫びが何かを呼び覚ましたのか、須臾(しゅゆ)()に五体の隅々(すみずみ)にまで(つよ)い力が(みなぎ)ったと思えば、身の(たけ)は倍になり、四肢には鉄の輪を幾つも()めたように筋肉が盛り上がる。
 こうなると、さすがの魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)も、小猿に羽が生えたようなものに過ぎない。蹴散らし、投げ飛ばし、(やかま)しく(わめ)いて逃げ惑うのを踏み(にじ)る。叶わずと見て、あやかしどもは総崩れ、それこそ蜘蛛の子を散らすように消え()せた。

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