第5話

文字数 1,356文字

 慶ちゃんが目を丸くして、
「うわッ、起きやがった!」
 おいおい、驚くなよ。わたしだって四六時中寝てるわけじゃないんだから。
「いいもの・あ・げ・る」
 わたしは、短パンからすらりと伸びた()み足を見せつけつつ、あっけにとられている慶ちゃんの傍らを通り抜け、しゃなりしゃなりと台所の方へ……
「お前、太腿の裏に畳の痕がついてるぞ」
 ああそうですよ、どうせあたしゃ、色気なんてありませんよ。それにしても、いくら昔一緒にお医者さんゴッコをした仲とはいえ、慶の字め、そこまで言うか。
 台所の冷蔵庫からピッチャーを取り出して茶の間に戻ってくると、わたしがさっきまでいぎたなく惰眠(だみん)(むさぼ)っていた場所は、すっかり慶ちゃんの巨体に占領されていた。
(あれ、慶ちゃん、具合悪いのかな)
 直感的にそう思った。慶ちゃんは一見礼儀に(こだわ)らないように見えて、これでなかなか律儀というか、遠慮深いところがあり、家の中へは無断で入ってくるものの、寝転がるなんてことはついぞなかった。不快というのではないけれど、ちょっと妙な気がしたのは事実である。
糸瓜(へちま)(だな)か。そう言えば、うちでも昔作ってたな」
「そうだっけ」
「あったよ。忘れたのか」
 慶ちゃんは両手を頭の下にあてがい、頭ではなく目だけきょろきょろ動かしている。目が動く度に、白目の部分が際立ってなんとなく気味が悪い。それに、糸瓜棚と言いながら、(ひとみ)はなぜか糸瓜の見える窓の方へ向けない。
「どう? なかなか(おつ)なもんでしょ。わたしが作ったのよ」
 気分を変えるように言ってみたが、
「そうか」
 と

もない。
 ちょっとむっとして、
「これさあ、けっこう大変なんだよ。桜も散り尽した四月下旬、このわたしが手ずから種は()くわ、梯子(はしご)に登って棚は作るわ、梯子からは落ちるわ、()てて加えて糸瓜ってものすごーく、ものすごーく水を吸うのよ。もう、のべつまくなしに水をやらなくちゃいけなんだから。それでやっと芽が出たのはいいけど、トトロの樹みたいに傘を一振りするとブワーッと大きくなるわけじゃないのよ。親蔓(おやづる)を早く棚まで届かせるために、やれ子蔓(こづる)を取れの、やれ油虫が湧くからそれを殺戮しろの……わたしの獅子(しし)奮迅(ふんじん)の活躍によってやっと油虫を一掃したかと思えば、今度は饂飩粉(うどんこ)病だとか、べと病だとか聞くだに恐ろしい病気の波状攻撃! それらを片っ端から撲滅し、やっと一息ついて何気なく葉の裏を見ると、なんとまたぎっしり油虫! あれって、本当に湧くんだから。生まれるんじゃなくて。じくじくじくじくって湧いてくるのよ、油虫の歌をうたいながら。悪夢よ、悪夢。獅子(しし)文六(ぶんろく)先生じゃないけど、てんやわんやよ――って、この昭和的戯言(レトロ・ギャグ)、わかる?」
「油虫の歌ってなんだよ。ゲゲゲの歌みたいなやつか? お前の話、さっぱりわからねえよ。大体、俺たち昭和の人間じゃないだろ。……いや、まあ、わかるけどさ」
 わからないけど、わかるとはこれ如何(いか)に。無論、前の〈わからねえよ〉は私が祖父から受け継いだ昭和的戯言(さむいじょうだん)に対するもので、もう一つの〈まあ、わかるけどさ〉は糸瓜作りの苦労を語った部分を言っているのだろう。
 ただ、気になったのは、ワカラネーヨと吐き出すように言い捨てた、いつになく突き放すようなその声の調子で、まるで砂壁を指で掻いたみたいに、ざらっとした感じがわたしの中に残った。
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