第9話

文字数 703文字

 気がつくと、元の子供に戻って、少年は女の傍らに膝を突いて荒い息を吐いていた。
「有難うございます、有難うございます。御蔭(おかげ)で危うい命を拾っていただきました。御礼の申しようもございませぬ……」
 女は双の眸いっぱいに、手が自由なら十指(じゅっし)を合わせて拝んだに違いない、溢れんばかりの真心を(たた)えて、身動きひとつ許されぬ、(はだ)(あらわ)(おの)が姿を羞じ入りつつ、それでも繰り返し繰り返し、頭を下げてみせるのである。
「礼には及びません。はやく縄を解かなくては」
 少年は必死に女の縄を解こうとするが、その腕にもはや最前の(つよ)さは残っていない。無理に解こうとしても、(いたずら)に自分の指を傷めるばかり。(いまし)めは女の膚に深く喰い込んでびくともしない。
「申し訳ありませぬ。力を使い果たし、もうそなた様を大きくして差し上げることができぬのです」
 ということは、さっきは女が自分のために何か術でも施してくれたに違いない。それにしても、苦しい息の下で無理に微笑んでみせる女の姿がいじらしく哀れで(たま)らない。生爪(なまづめ)の一枚や二枚剥がすのが何だと、少年は狂ったように縄の結び目に(かじ)り付く。
 と、急に胸の内側に(かゆ)いような感覚が湧き上がり、少年は激しく咳込んでいた。軀を海老(えび)のように折り曲げても、喉の嵐はいっかな止む気配がない。(つい)には女の足元に突っ伏してしまう。
如何(いかが)なされました、御加減がお悪いのでございますか……もし、そなたさま。どうか()(こた)え下さいまし……どうか、そなたさま……」
 おろおろする女に、心配するなといってやりたいが、口中(こうちゅう)(かわ)き切り、舌は顎に貼りついて唾も湧かない。水、水が欲しい。胸を叩き、喉を掻いて、水を求めた。
 
 ぽたり。

 透明な雫がひとつ、地に落ちた。
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