第9話 トレジャーハンター

文字数 3,009文字

 3人は車の中で一夜を明かした。夜での行動は怪しまれて拘束される可能性もあったし、生物学的にも人間には眠りが必要だった。
「イスラエルの街はどこも整然として綺麗だわ」
 サーラが車から出て、「エルサレム植物園」の丘から朝陽に染まる市街地を見渡し背伸びをした。
 一行は植物園を囲っている鉄柵をよじ登り、誰も居ない植物園に入り洗面所を借りた。園内では朝の小鳥たちの大合唱が木霊していた。
 アリエラがスマホをチェックした。
「国立図書館は予想に反して開館してるようだわ。9時からよ。たぶん堅牢な作りでシェルターになるからね、きっと」
 3名は車に戻り、アリエラが近所の屋台から入手して来たラテとベーグルを頬張った。
「ゆうべもだいぶ派手にドンパチやってたな。ご自慢の『アイアンドーム』の威力には感服させられたよ。中には、2、3発落ちたようだけど、ガザの比ではない。あそこはもはや大量殺戮場になっている。パレスチナ版ホロコーストだよ」
「やめなさい、カリーマ」
 サーラがアリエラの顔を覗くように遮った。
「少なくともアリエラはこれが正しいとは思ってはいない。それが証拠に此処に一緒に来ている。(一拍おいて)
 それじゃ、行きましょうか」
 お目当ての図書館、博物館は隣り合わせにテルアビブ大学内や隣接地に建っていた。車を素早く図書館の駐車場に移動させる。ここからはお目当ての施設にも徒歩で行ける。
 数分だけ待って図書館は開館した。イスラエル国民はマイナンバーカードを全員取得していて、それでどこの公共施設も無料で入れる。アリエラは事務所と交渉して「客員カード」を取得して2人の首にかけた。
「何処に行けばいいの?」
 とアリエラ。
「最上階にエランラオール(ユダ族最新の百科事典)にちなんだ地図コレクションがあって、そこでイエス・キリストの時代の地図を捜して、コピーを取る。ここでの目的はそれだけ」
 一行はスマートなエスカレーターで最上階に向い、膨大な地図の検索機の前に立った。
「なんだ。何かを奪うのかとばかり思っていた」
 カリーマは恐ろしいことを言う。
「民族の財産を奪うようなことはしない。ただ隠している事実を見せて貰うだけよ」
 サーラは手早く、目的の地図を検索している。何しろ膨大な量の地図だ。検索にも時間はかかる。その間、アリエラとカリーマは最上階のテラスからエルサレム東側の近代的ビル街を望む。
「いつになったら我が国はこんなに美しくなれるのか?」
「気持ちは分かるわ。わたしはしばらくパレスチナに潜入していたから、爆撃の悲惨さを身をもって体験した。パレスチナの子供たちが戦慄し泣き叫ぶのを見たくはない。早く終わりにしたい」
 カリーマは、これは意外だとの顔をみせる。
 皮肉なことに、ハマスとモサドが片寄せ合ってエルサレムの街を望んでいる。
 しばらくすると、サーラから声がかかった。
「見つかったわ。コピーに100シェケルいるそう。お金を貸してほしい」

 
「次は問題の『イスラエル博物館』にある『死海写本館』よ。『死海文書』が収められている場所」
 サーラの言葉を受けてアリエラは人もまばらな館内を案内して行く。
「死海文書」とは、ヘブライ語聖書(旧約聖書)の最古の写本で、成立は記された羊皮紙の放射性炭素年代測定からおよそ紀元前250年から紀元70年と分かっている。これが発見されたのは1946年、ベドウィン(砂漠の民)の少年が迷子になった動物を探していた途中に、現在のヨルダン川西岸地域の死海付近、クムラン洞窟で偶然発見した。のちに「20世紀最大の考古学的発見」と命名される。


 これが意味するところは「旧約聖書」に一番正確で近い記述の文書群だとのことだ。それまではなんと11世紀初頭の「レニングラード写本」に頼らざるを得なかったのだ。文書類は時をかけるほど、その時代の人々の意志やら社会思想が入り込んで、原典とは遠く離れてしまうもの。その意味で格別に重要視された。
 ただ、「旧約聖書」を唯一の親書・聖典と位置付けるユダヤの民には貴重で尊いものの半面、現在の解釈を歪めてしまう、恐るべき「禁断の一書」とも成り得た。幸いにも、解読の結果、現行のユダヤ教徒の姿勢を変えるまでの新発見はなかったとされている。唯一、イエス・キリスト存命の時代、紀元1世紀のイスラエルの歴史と文化が明示された、としている。
 総数972の文書類には、「旧約聖書」の写本の他、共同生活のルールを記した文書、法律、聖書釈義、聖書の語り直し、黙示文学、知恵文書、天文文書、儀礼文書、魔術文書、などなどが含まていて、記述の断片に至るまですべてに整理番号が付けられている。
 例えば、第1洞窟から出土した「イザヤ書(Isa)」であれば1QIsaと表記され、1957年までに発掘された11の洞窟からの総ての文書に、もれなく1~11Q〇〇の方式で整理されている。現在では、正当な手続きを踏めば誰でもが目を通せるようになっている。
 ただ問題はユダヤ教会側、イスラエル政府が何かを隠していないかどうかだ。この発見は何かの因縁かイスラエルの建国と時を同じくしている。不都合なものは排除する。あり得ない話しではない。
 では、建国に際して不都合なものとは何か? それは紛れもなく「約束の地」の定義だろう。ユダヤ人はこの「約束の地」をナイル川とユーフラテス川に挟まれた広大な範囲と解釈している。
 ただし、ヨルダン、シリア、レバノンはもうすでに国家を形作り、国連にも加盟している。今になって出てってもらう訳にはいかない。なので、未だ国境線の定まっていない土地を狙う。そこはそんなに広くはないのに、ここでまた、約束の土地を限定するような文言、定義が出て貰っては甚だ困る。「死海文書」にイスラエルの土地を狭めるような記述があったならば、公表はせずに恐らくは存在自体を隠したはず。
「じゃ、いまさら『死海文書』を観ても埒が明かないのでは?」
 アリエラはサーラを覗き込む。
「そうね。たぶん隠したんではなくて、まだ発見されてないが正解じゃないかな。発掘調査には外国の学者も多数参加していた。公然と秘密にすることは出来ない。
 クムラン周辺には100を超える洞窟があると聞くわ。まだまだどこかに、イスラエルとパレスチナの国境を定める文書が眠っているはず」
 サーラは自信をのぞかせた。でも、どうやって。3人は『死海写本館』の入り口にいる。
「発掘当時(1947~1957)はお宝探しと訊いて、金目のもの目当てに相当な人がクムラン洞窟を荒した。もうなんにも残ってないよ。
 それより、ハマスは西岸地区にも(モグラの巣)を張り巡らせている。中に「神殿」らしきものを発見している。そっちに行ってみるかい?」
 カリーマが呟いた。
「やっばり。あなたにお先棒を担いで貰った甲斐があったわ。
 ガザにはないだろうけど、西岸ならば歴史的埋蔵物を発見していても不思議じゃないわ。それでいまはどうなっているの?」
「ムスリムの神殿でなければ破壊されているか、そのままだろうね。行ってみないと何ともいえない。ただ昔の神殿が出て来たとは風の噂で聞いた」
 カリーマは無責任な言い方をする。
「まあ、仕方ないわね。埋もれているものの価値を識る人なんて滅多にいないし、あなた方は歴史の研究をしてるんじゃなくて、戦争をしてるんだものね」

 3人はエルサレムの丘をあとにした。
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