第11話 天使と悪魔

文字数 3,246文字

「あなたたちは悪魔・ベリアルに追われている…」
 不意に背後から声がした。
 振り返ると、教壇に若い女性が立っていた。銀色に輝く滑らかな素材のドレスを着て、ロングの柳髪は見事に宙に漂っていた。驚いたのは一対の白い翼を持つこと。これは天使に他ならない。

「わたしはアリース。400年未来からのホログラフィーです」
 言語はアラビア語、ヘブライ語だった。同時に語られる技術が駆使されている。
「男性の傷を治したのは、医療用マシーンです。ips細胞を使っての再生技術はすでに完成されています。悪魔・ベリアルは、あなたたちによって成し遂げられるだろう不都合な事実を、現在において阻止したいのです…」
「ips細胞による再生技術も完成されたし、あなたは時空を超えてやって来た天使。じゃ、『超弦理論』も証明されたんですね?」
 サーラは興奮気味に尋ねた。
「『超弦理論』はいくつかの止揚(アウフーベン)の後に実験により証明されました。当初不安視された、検証実験に必要とされる膨大なエネルギーも、光速を凌ぐ電磁波「Rayα」の発見により解決されました。そして、その超対称性理論によって、こうして時空を旅することが出来ています」

「悪魔が阻止したい事態とは一体なんですか?」
 アリエラとカリーマは難解な物理学の理論よりも現実の脅威に慄いている。
「あなたたちに『神の御(み)書』を見付けられては困る。悪魔は紛争を好むのです」
「ひょっとして、私たちは『神の御書』を見付けられるんですね? だから天使も悪魔も現在に来ている」
 アリエラは主張した。
「残念ながら、その問いには答えかねます。因果律とは永劫不変なものです。因によって果が得られる。因が変化すれば、当然のこと果も変化する。だとしても、因が無ければ果は生じ得ないのです。あなたたちは因である『神の御書』を見つけ出さなければならない。
 それに悪魔と天使とは表裏一体のもの。悪魔の所業を天使は見張るものです」
 ホログラフィーは複雑な表情をした。
「ただ、お知らせしたいことがあります。大事なことです。
 このパレスチナ、イスラエル、カナンと呼ばれる地は重要な土地です。見渡す限りの砂漠にあって貴重な水資源があり肥沃な大地が拡がる。故にここは紀元1世紀に東ローマ帝国に占領されて以来、ビザンチン帝国、オスマン帝国、十字軍、イギリス植民地と支配され続けて来た。
 追い払われた人々がユダヤ人であり、支配されて来た人々がパレスチナ人であった。あなたの時代にはイスラエルがパレスチナより優位な状況にありますが、もう、100年も経たずに、ガザ沖合に豊富な油田が発見採掘され、アフリカ発展途上各国の燃料庫としてパレスチナは潤います。
 経済・軍事力もイスラエルと同等となり、イランより核技術を教授され、戦術核を保有するまでになりました。こうなると政治力学から両国は並び立つのです。ただ、これは平和を意味しません。民族に沁み込んだ憎悪は変え様はなく、特に、21世紀にイスラエルに虐げられてきたパレスチナ人の憎しみは事あるごとに爆発します。つまり戦禍が絶えないのです。挙句、今にも核戦争の窮地に追い込まれています。
 ……希望はあなたたちに託されたと言えるのです」

 ―

 3人はもとの洞窟に居る。神殿はもはや消え失せていた。
「1度死んで生き返った気分だ」
 カリーマは本音を語った。ただ、悪魔・ベリアルに狙われている事実は変えようがない。この時から、カラシニコフを持ったカリーマを先頭に一列になって行動する。
「で、どうする。やはりエリコ(地名)か?」
 3人の頭にはエリコの文字が植え付けられていた。天使は語らずして目的地を示唆していたのだ。
「エリコで間違いないわね。
 ただ、悪魔には塩か聖水でしょう。もしくは弾には銀を使うべきね」
 ハマスの支援者に調達して貰った車に乗った3名は、まずはキリスト教(新約聖書)の教会に向った。聖水を手に入れるためだ。銀製の弾は教会近くの雑貨屋に用意があった。古くから魔除け(吸血鬼・狼男)として作られて来た。詰められた銃ごと買い取った。
 聖水・塩、そして銀製の弾薬をこめた32口径銃を持たされたアリエラは、
「エクソシストになった気分ね…」
 
 一行を乗せた車はカリーマの運転でこ一時間ほど東のエリコに向った。
「なあ、あの天使の言い方では『神の御書』はこの400年の間に、すでに発見されたんじゃないの。それでも核の危機に瀕しているとなると、発見は意味を成さなかったんじゃないのか?」
「私もそう考えた。でも何事もタイミングがある。また発見する人たちにもよる。アリースは私たちにわずかな希望を抱いた」
 サーラは自説を披露した。
「しかし、運よく『神の御書』が見つかったとしても紛争を止められるものかな? こうしてハマスに入隊して武器を作っていると、つくづく思うんだよ。これがこの世の在り様だってね。
 ハマスの幹部にはヨルダンのヒズボラ経由でイランから資金援助を受けている者は多い。すなわち戦争が生業になってるわけさ。宗教間、西側対中東、そんな図式で利を得る人々も多い。君の祖国イスラエルの政治家だって、反パレスチナで票を集めているんじゃないのかい。そんな人たちにとっては、平和になってもらっては困るんじゃないのかな。
 ああ、済まない。正義論に口を挟んで。それでも平和を望む庶民にとって、希望の灯になることは間違いないわな…」
 確かにいち理あるとアリエラは思った。イスラエルの政治家は落ち込む経済問題で難航すると、すぐに反パレスチナ政策でお茶を濁そうとする。つまりパレスチナとの紛争は何ものにも打ち勝ってしまうジョーカーとなっている。
「現在も400年後も変っていない、それは解るけど……これしかないのも事実」
 サーラはキッパリと言い切った。

 エリコの街に入ると、カリーマは街人に地理を聞きに行った。
「丘陵地帯は街の北側だそうだよ」
 3人の頭の中には共通の認識が埋め込まれていた。(鬱蒼としたオリーブなどの低木に囲まれた丘) 絵図が蘇る。
「この辺りじゃないかな」
 カリーマが車を停めた。林の中は徒歩と決まった。しばらく自生の月桂樹やらオリーブの林を進むと、それは不意に現れた。
 2頭の犬・ドーベルマンがこちらを睨んでいる。よく見ると、片目がなかったり。身体のそこら中が腐って肉や骨が露出している。
「こいつら『地獄の猟犬・ハウンド』だ!」
 カリーマは迫りくる2頭にカラシニコフを打ち込むものの、血さえ出ない。何の効き目もなかった。後退しながら車に戻ろうとするが、難なく2頭に挟まれた。
 2頭は口から唸り声をあげ、血しぶきを口から滴らせて距離を詰めて来る。
「アリエラ、いまだ聖水と銀銃を使え!」

「ごめん、車に置いて来ちゃった」
「やれやれ。じゃ、こいつらを引き付けてるので、取りに戻れ」
 カリーマはサーラに自分の後ろに回る様に告げて、1頭には手りゅう弾を投げ、もう1頭にはカラシニコフを乱射した。亡霊ではなく実体があるので、脚の1本や2本は奪えて動きは制御できるはず。
 作戦はまんまと成功したものの、眼前には漆黒の闇が現れた。人ほどの大きさで、2つの眼だけが黄色く光って見えた。カリーマは底知れぬ恐怖を感じた。今まで実戦では感じたことのない怖気であり、抗えぬ力をも感じ取っていた。
 その時、聖水の入った瓶が闇のすぐそばに投げつけられ、的確な銃撃で瓶が破裂した。その刹那、聖水が四散し、黄色の瞳が閉じられた。そして、追い打ちをかけるように銀の弾2発が命中した。悪魔は消え去った。

「悪魔は死んだの?」
「残念だけど悪魔は死んだりしない。一時退却といったところだわ」
 サーラはアッサリと否定した。
「銀の弾のあとは一回壊死して、新たに復活すると『黙示録』に記されている」
「いったん退却だが知らんが、再生する前にさっさと『神の御書』を探そう」
 
 ガチャッ、
 カリーマはカラシニコフのマガジンを素早く取り換えた。
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