最終話 かすかな希望

文字数 3,056文字

 エラム洞窟から発掘された史書は『エラム文書』、もしくは悪魔除けにシソ女王のロングソードが脇にあることから『魔剣の書』と呼ばれた。
 内容は『死海文書』とほぼ替わらなかったが、サーラが睨んだ通りに、『死海文書』に欠落していた部分、主に、ヘロトドスの『歴史』で有名な「ペルシャ戦争」遠征に関する記述が見つかった。
 ユダヤ、イドマヤの南王国とガリラヤ、サマリアの北王国が共同出兵していた。
 これはソロモン王の時代にカナンの地は南北に分裂し共存していたことを示していた。しかるに、南王国とはユダヤ人の国、北王国とはペリシテ人の国である。
 さらに、決定的な文書も見つかった。それは、『死海文書』の「エゼキエル書」に繋がる文書で、
 …主なる神はこう言われる、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、その地で彼らをひとつの民となしてイスラエルの山々におらせ、ユダヤとイドマヤ、すなわちカナン大地に集わせる……、一方、ガリラヤ、サマリヤには先の大戦(ペルシャ戦争)を共に戦ったペリシテの人々が住まう地があり、イスラエルとは別に祝福したもう……


 これらはテルアビブ大学の歴史研究所が公表した。『死海文書』以来の「世紀の発見」と見出しを付けて。また『死海文書』にこの箇所が無かったのは、時のイスラエル政府が意図的に隠したのではないかと、との皮肉もつけ加えた。なぜって、『魔剣の書』のほとんどの箇所が『死海文書』と同じだったからだ。
 この「エゼキエル書」の一文は明らかに、イスラエル人と同様にペリシテ人(パレスチナ人)の併存を肯定したものだった。主(神)は預言者・エゼキエルを通して、パレスチナ人の存在を認めている。これで約束のカナンの地からパレスチナ人を追い出す大義名分は失われたのだった。
 同時に当時のガリラヤ、サマリヤはパレスチナ人に神が約した土地であった。ヨルダン地区西岸の自治政府・ファタハと天井の無い監獄・ガザを実効支配するハマスは俄然勢いづいた。今の土地からイスラエル北部のガリラヤ、サマリヤに転入させることをイスラエル政府に迫ったのだ。
 だが、テロ組織との戦いに明け暮れていたイスラエル政府の見解は冷ややかだった。

 預言者の錯誤―
 我々は最初の預言者であるアブラハム、モーセの預託を信じものである。エゼキエルは彼らに遅れること500年~の預言者に過ぎない…。つまり、預言者の格が違うと言うのだ。
 もともとエゼキエルの生涯は謎に包まれていた。
 当時、彼はペリシテ人たちに庇護されていて、その礼として口述したか、或いは、脅されて口にしたものと推測した。つまり、まやかしの類(たぐい)と断じたのだった。
 ハマスの急襲により戦死した1000人への報復と、200人超の捕虜奪還はイスラエルの使命である。被害に遭った家族を中心に「ハマス掃討作戦」への人気は依然として高いのだった。 
 ハマスやらファタハ側にしても、平気で民間人を殺害するイスラエル政府はもはや仇敵な訳だ。人民の大多数は親族の誰かしらを殺害されている。今は国力もなく、レジスタンス活動しか出来ないが、時が経れば立場が逆転し、攻勢に出られるかもしれない。
 もともと、モーセに連れられてエジプトから来たイスラエル人と、地中海にルーツを持つペリシテの民は神世の時代から、敵対し骨肉の争いを繰り広げ、また時には協力し外敵に立ち向かった、併存、共存、共生の民族同士なのだ。戦闘は先祖伝来の血に沁みついている事象に過ぎない。
 『魔剣の書』発見者として国内外のメディアに持ち上げられたサーラは、必死にイスラエルとパレスチナの和解を論じた。ただ、ハマスとファタハに分裂し相争っている今のパレスチナには、交渉に出て来る代表者も決まらない有り様だった。
 ことは悪魔の思惑通りに進んでいる。サーラは落胆した。『魔剣の書』公表には成功したものの、悪魔は人間の愚かさを知り尽くしているのだった。
 猜疑心は人間たらしめる本質だ。イスラエル政府、ガザ・西岸自治区の政府関係者の心に入り込み疑いの根を植え付けた。ほんのそれだけのことで済んだ。そのあとの殺戮、惨殺行為は人間の業に過ぎない。

「やはり思った通りになったな」
 カリーマはガザ南部にあるサーラの自宅にいる。
「イスラエルのバカどもは、やればやるほどに敵を作っている。ガザに居る大量の子供たちは、もはやハマス2世。ハマスは決して死にはしない。イスラエルの暴力と共に栄える。それはファタハも同じこと。永遠に繰り返される人間の所業…」
 それでも『魔剣の書』は死にはしない。いつの日にか新たな預言者が現れて真実を告げるだろうさ」
「神はわたしたちに機会をくれた。
 私はそう思っているの。 
 イスラエルとパレスチナが共存する姿を見せれば、愚かな戦いは収まる。私はそう単純に考えた。しかし、火のついた熾烈な敵対心、仲たがいは止めようがなかった。
 これでは神もガッカリね…」
 サーラは肩を落とした。
 と、その時、テレアビブ大学の歴史研究室に保管されていたはずの『魔剣の書』が忽然と姿を消した。同時に、解析された画像類も全て真っ白に変わった。存在を示す全ての根拠が失われたのだ。尤も今のままでは存在は意味を成さないのだが…。

 『魔剣の書』の嘆き、怒り

 もちろん学内でのミステリーとなった。

「わたしはこのまま、ガザに残って諜報活動を続ける」
 アリエラはサーラとカリーマに告げた。
「戦いは永久に終わらない。となれば、死者の出るような戦闘は避けて、賢く併存させられるように均衡を保ってゆく必要があるの。今回の戦闘はムダだったわ。愚かな過ちだった。ハマスの急襲作戦を事前にモサドに正確に漏らせていれば、ことは最小限の犠牲で済んで、本格的な衝突にも繋がらなかった。
 私とカリーマは今後連絡を取り合って、イスラエルとパレスチナ双方に有益かつ安全で居られる情報を流し続けるつもり。つまり、ハマスの軍事情報の見返りとして、ガザ地区への攻撃の日時、標的を知らせるよう求めるのよ。そうすれば民間人の巻き添えは防げる。
 だって、『魔剣の書』は正しい在り方を示して消えた。私たちは共存・共栄の理論を学ばされた。せめて私たちだけでも努力をしなければ、でしょう。
 私の前職の女性は『シャーム』、『S.V(Safety Valve)』と呼ばれていたそうよ。彼女は武力衝突を最低限に抑えるよう尽力し続けた。わたしはそのあとを受け継ぐ」

 どうしても止められない戦禍にあって、それは唯一の希望といえた。

 翌日、アリエラは車でセキュリティーディフェンスと呼ばれる分離壁沿いの民家に到着した。民家と言っても誰も住んでおらず、中には家具も何もなかった。素早く床の羽目板を外し、地下への通路に入る。と、地下には三坪ほどの部屋で机がひとつ置いてあり、上には携帯電話が載っていた。
「『S.V』より本部へ。
 人質の大半は南部ハンユニス近郊の地下トンネルに匿われている模様。至急、ドローンを指示する座標に飛ばすべし―
(但し、この情報の半分は戦禍を最小限にとどめるように虚偽情報にしてあった)」
 モサド本部のドミトリー・カトラー監察官は悦びの声をあげた。
 『S.V』は生きていた。『シャーム』は復活を遂げた!!

                                 おしまい
    (本作品はフィクションです。登場する人物・団体にモデルはいません)
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