第13話 私じゃ、ダメ?
文字数 2,509文字
自宅のリビングで僕はソファーに座りながらスマホを操作する。
キッチンではみるくとあずきが夕食の支度をしているはずだ。炒め物の音や包丁で何かを切る音が時折混じる皿の割れる音とみるくの悲鳴とともに聞こえてくる。どうやらみるくのフードテロリストならぬキッチンテロリストのスキルはいつも以上に発揮されているようだ。
二人のいない間に僕は調べ物をする。
明治杏の所属する芸能事務所の公式サイトにアクセスし、彼女の活動状況についてあたってみた。それによると、確かに彼女は二週間前から女優の仕事をしていない。あのバラエティー番組は二週間前に収録されたもののようだ。
と、同時に事務所の後輩の活動状況も知ることとなった。こちらは伸び盛り。明治杏の仕事量が減っていくのに反比例して仕事が増えていた。
明治杏のプロフィールにはしっかりと東鳩子の娘であることが記載されている。
まあ嘘ではないし、今やハリウッド女優でもある東鳩子の名前は格好の宣伝材料となったはずだ。
が。
果たして明治さんはこれを素直に受け容れたのだろうか。
図書室で激昂する彼女は親の七光りを恥じているようでもあった。それでも東鳩子の本を借りようとするあたり心のどこかで母親を慕う気持ちがあったのだろう。
「杏ちゃん……」
彼女のファンだというのに僕は知らないことが多すぎた。本当にこれでファンだといえるだろうか。
我ながら情けない。
「うん、ちゃんちゃらおかしいな」
明治さんが怒るのも無理はない。
あの事故チューがなかったとしても早晩嫌われていた可能性はある。まあ、ファンに怒りをぶちまけるのもどうかと思うが、それでも僕は彼女を批難する気にはなれなかった。
明日、明治さんと会ったらどんな顔をすればいいのだろう。
クラスが違うことがこんなにもありがたく思えるとは。
でも、会いたくないかと問われれば答えはノーだ。あんなことがあっても僕は彼女のファンであり続けるし、できれば友だちになりたかった。その先を望めるものなら望みたいとも考えている。まあ、これはちょっと現実的ではないかな。
スマホを操り、明治杏のインスタグラムへ。
そこそこの回数で彼女はインスタの更新をしていた。過去形なのは休業を宣言して以降の更新がないからだ。
ツイッターも同様、休業を告げた後は何もない。
その他のSNSも似たようなものだ。僕はインターネットの接続を切った。
ふう、と息をつく。
「どうしたの?」
みるくの声に思わずびくっとなる。後ろめたいことなど一切ないのになぜか彼女に対していけないことをしているような気分になった。
みるくがそっと近づき、僕の横に腰かける。
持っていたスマホをのぞき込んだ。
画面は待ち受け状態になっており、半ば無理矢理設定させられたみるくとあずきの私服姿が映っている。ブラウスとプリーツスカートといった格好のみるくとワンピース姿のあずきだ。背景は近所の公園。ちょうど背後で噴水の水が綺麗なアーチをいくつも描いていた。
「それ、そろそろ新しいのにしたいよね」
「ん? 僕はこのままでもいいぞ、めんどくさいし」
「でもその写真初夏のだし、できれば今の季節っぽいものにしたい」
「何だ? 全身に紅葉でも貼り付けた服にしたいのか?」
「……」
黙ってみるくが僕の脇腹をつねる。
「痛い痛い痛い痛いっ」
「もう」
みるくが頬を膨らませる。
これはこれで可愛いな。
攻撃さえしてこなければもっといいのに。
「十月なんだからもっとあるでしょ、ハロウィンの仮装とか」
「みるくは狼女とか化け猫とかか?」
またつねられた。
「痛い痛い痛い痛い」
「私を何だと思ってるのよ」
「えーと、鬼嫁?」
あえて嫁とつくものにしてみる。
「なっ」
みるくの顔が赤くなった。
何で?
みるく、嫁は嫁でも鬼がついてるぞ。
「なっなっなっなっなっなっなっ」
でも、ま、いっか。
ちょろい奴。
このちょろさもこいつの可愛いところでもあるんだが。
「……嫁だなんて、まだ気が早いわよ」
「そうか、じゃあお前じゃなくあずきにプロポーズしておくか」
「それはダメーっ!」
抱きつかれ、ソファーに押し倒された。
勢いでスマホを落としかけるがかろうじて難を逃れる。
気づけばすぐそこにみるくの唇があった。
「……」
「……」
みるくが僕を見つめている。
やがて目をつぶり、ささやいた。
「私じゃ、ダメ?」
「……」
いつもならこのタイミングであずきが現れるのに、今回は現れない。
僕はゆっくりと彼女に近づいた。
みるくの甘い息遣い。
彼女の甘い匂い。
……ん?
おかしくないか?
どうしてあずきの邪魔が入らない?
「みるく」
キス顔のみるくにたずねた。
「あずきはどこ行った?」
「……」
露骨に不機嫌そうに眉をしかめる。彼女は深くため息をついた。
もう一度質問する。
「あずきはどこだ?」
目を開けた。
失望の色があるのはまあ当然か。
意気地なしのそしりはあえて受けよう。
身を起こしてみるくが言った。
「明治さんのところに行ったわ」
「はい?」
料理中にか?
それもみるくにキッチンを任せて?
いやいやいやいや。
あり得ないだろ。
「あずきはあずきなりに杏子ちゃんのこと考えていたみたい。で、いきなり『明治さんのところに行ってくるから部屋の場所を教えて』って」
……もしかして、あれか?
実は図書室で明治さんが僕に対してしたことを怒っていたとか?
殴り込みか?
「何であずきを止めなかった?」
「だって」
みるくの顔がさらに赤らむ。
「空と二人きりになれるし……じゃなくて、あずきのすることはいつも空のことを思ってのことだし、今回だってきっとそのはずだし」
「僕を思って殴り込みをかけるとか考えなかったのか?」
「あ」
みるくが片手で口を隠す。
ちょっと待て。
「あ」て何だ「あ」て。
「……おい、まさか」
「だって、こんなチャンス次いつくるかわからないし」
みるくが目をそらす。
「ででででも、あずきがそんな物騒なこと……」
「しないと言い切れるか?」
「……」
みるくの変じはない。
僕は立ち上がった。
それをみるくが目で追ってくる。
僕はたずねた。
「明治三の部屋ってどこだ?」
キッチンではみるくとあずきが夕食の支度をしているはずだ。炒め物の音や包丁で何かを切る音が時折混じる皿の割れる音とみるくの悲鳴とともに聞こえてくる。どうやらみるくのフードテロリストならぬキッチンテロリストのスキルはいつも以上に発揮されているようだ。
二人のいない間に僕は調べ物をする。
明治杏の所属する芸能事務所の公式サイトにアクセスし、彼女の活動状況についてあたってみた。それによると、確かに彼女は二週間前から女優の仕事をしていない。あのバラエティー番組は二週間前に収録されたもののようだ。
と、同時に事務所の後輩の活動状況も知ることとなった。こちらは伸び盛り。明治杏の仕事量が減っていくのに反比例して仕事が増えていた。
明治杏のプロフィールにはしっかりと東鳩子の娘であることが記載されている。
まあ嘘ではないし、今やハリウッド女優でもある東鳩子の名前は格好の宣伝材料となったはずだ。
が。
果たして明治さんはこれを素直に受け容れたのだろうか。
図書室で激昂する彼女は親の七光りを恥じているようでもあった。それでも東鳩子の本を借りようとするあたり心のどこかで母親を慕う気持ちがあったのだろう。
「杏ちゃん……」
彼女のファンだというのに僕は知らないことが多すぎた。本当にこれでファンだといえるだろうか。
我ながら情けない。
「うん、ちゃんちゃらおかしいな」
明治さんが怒るのも無理はない。
あの事故チューがなかったとしても早晩嫌われていた可能性はある。まあ、ファンに怒りをぶちまけるのもどうかと思うが、それでも僕は彼女を批難する気にはなれなかった。
明日、明治さんと会ったらどんな顔をすればいいのだろう。
クラスが違うことがこんなにもありがたく思えるとは。
でも、会いたくないかと問われれば答えはノーだ。あんなことがあっても僕は彼女のファンであり続けるし、できれば友だちになりたかった。その先を望めるものなら望みたいとも考えている。まあ、これはちょっと現実的ではないかな。
スマホを操り、明治杏のインスタグラムへ。
そこそこの回数で彼女はインスタの更新をしていた。過去形なのは休業を宣言して以降の更新がないからだ。
ツイッターも同様、休業を告げた後は何もない。
その他のSNSも似たようなものだ。僕はインターネットの接続を切った。
ふう、と息をつく。
「どうしたの?」
みるくの声に思わずびくっとなる。後ろめたいことなど一切ないのになぜか彼女に対していけないことをしているような気分になった。
みるくがそっと近づき、僕の横に腰かける。
持っていたスマホをのぞき込んだ。
画面は待ち受け状態になっており、半ば無理矢理設定させられたみるくとあずきの私服姿が映っている。ブラウスとプリーツスカートといった格好のみるくとワンピース姿のあずきだ。背景は近所の公園。ちょうど背後で噴水の水が綺麗なアーチをいくつも描いていた。
「それ、そろそろ新しいのにしたいよね」
「ん? 僕はこのままでもいいぞ、めんどくさいし」
「でもその写真初夏のだし、できれば今の季節っぽいものにしたい」
「何だ? 全身に紅葉でも貼り付けた服にしたいのか?」
「……」
黙ってみるくが僕の脇腹をつねる。
「痛い痛い痛い痛いっ」
「もう」
みるくが頬を膨らませる。
これはこれで可愛いな。
攻撃さえしてこなければもっといいのに。
「十月なんだからもっとあるでしょ、ハロウィンの仮装とか」
「みるくは狼女とか化け猫とかか?」
またつねられた。
「痛い痛い痛い痛い」
「私を何だと思ってるのよ」
「えーと、鬼嫁?」
あえて嫁とつくものにしてみる。
「なっ」
みるくの顔が赤くなった。
何で?
みるく、嫁は嫁でも鬼がついてるぞ。
「なっなっなっなっなっなっなっ」
でも、ま、いっか。
ちょろい奴。
このちょろさもこいつの可愛いところでもあるんだが。
「……嫁だなんて、まだ気が早いわよ」
「そうか、じゃあお前じゃなくあずきにプロポーズしておくか」
「それはダメーっ!」
抱きつかれ、ソファーに押し倒された。
勢いでスマホを落としかけるがかろうじて難を逃れる。
気づけばすぐそこにみるくの唇があった。
「……」
「……」
みるくが僕を見つめている。
やがて目をつぶり、ささやいた。
「私じゃ、ダメ?」
「……」
いつもならこのタイミングであずきが現れるのに、今回は現れない。
僕はゆっくりと彼女に近づいた。
みるくの甘い息遣い。
彼女の甘い匂い。
……ん?
おかしくないか?
どうしてあずきの邪魔が入らない?
「みるく」
キス顔のみるくにたずねた。
「あずきはどこ行った?」
「……」
露骨に不機嫌そうに眉をしかめる。彼女は深くため息をついた。
もう一度質問する。
「あずきはどこだ?」
目を開けた。
失望の色があるのはまあ当然か。
意気地なしのそしりはあえて受けよう。
身を起こしてみるくが言った。
「明治さんのところに行ったわ」
「はい?」
料理中にか?
それもみるくにキッチンを任せて?
いやいやいやいや。
あり得ないだろ。
「あずきはあずきなりに杏子ちゃんのこと考えていたみたい。で、いきなり『明治さんのところに行ってくるから部屋の場所を教えて』って」
……もしかして、あれか?
実は図書室で明治さんが僕に対してしたことを怒っていたとか?
殴り込みか?
「何であずきを止めなかった?」
「だって」
みるくの顔がさらに赤らむ。
「空と二人きりになれるし……じゃなくて、あずきのすることはいつも空のことを思ってのことだし、今回だってきっとそのはずだし」
「僕を思って殴り込みをかけるとか考えなかったのか?」
「あ」
みるくが片手で口を隠す。
ちょっと待て。
「あ」て何だ「あ」て。
「……おい、まさか」
「だって、こんなチャンス次いつくるかわからないし」
みるくが目をそらす。
「ででででも、あずきがそんな物騒なこと……」
「しないと言い切れるか?」
「……」
みるくの変じはない。
僕は立ち上がった。
それをみるくが目で追ってくる。
僕はたずねた。
「明治三の部屋ってどこだ?」