第14話 来ちゃいました

文字数 3,515文字

 みるくとあずきの部屋に行くことが多かったせいもあるが女子の部屋に赴くことにさしたる緊張は……いや、あった。

 行き先がただの女子ではなく「杏ちゃん」の部屋だからかもしれない。

 みるくがそばにいてくれなかったらドアホンを鳴らすことさえ難しかっただろう。

 明治三はすぐに応答した。

「はい」
「あ、杏子ちゃん、私」

 実はみるくと替わってもらっていたり。

「あ、みーちゃん。ちょうど良かった」

 ドアが開いた。

 中からやや困り顔の明治三が出てくる。部屋着はジャージなのか。

「あずき、来てるよね」
「うん」

 彼女は少し警戒するように廊下の左右を見る。

 小さくうなずき。

「いいわ、入って」

 そのピリピリした物言いに戸惑いながら僕はみるくと中に入る。明治三はすぐに鍵とドアチェーンをかけると僕たちを奥へと促した。

「ここじゃ何だから、こっちよ」

 リビングに通されるとソファーに座るあずきの背中があった。

 僕たちの気配に気づいたのかあずきが振り返る。その目は涙で濡れていた。少なくともあずきが殴り込みに行ったのではないと推測できた。

「あ……空」
「あずき、何してるんだ」

 明治さんに迷惑をかけたのではと僕は思い、つい口調が強くなる。

「こんなふうに押しかけたら、明治さんが困るって考えなかったのか?」

 あずきの顔が歪んだ。僕たちがそばまでいく前に大粒の涙を流し始める。

「杏子ちゃん、ごめんね」

 みるくが謝った。

「いきなり押しかけたら迷惑だよね」
「それで、あずきは何をしでかしたの?」

 僕は明治さんに聞いてみる。彼女が「明治杏」であることをなるべく意識しないように、できるだけ態度を変えないようにと気をつけるがなかなか難しいな。

 明治さんがふうっと息を吐いた。

「やらかしたも何も、うちに来るなりあんたのこと嫌わないでって大騒ぎよ。玄関の外でそんな真似されたらまるで私が泣かせたみたいじゃない。慌てて中に入ってもらったわよ」

 ……はい?

 殴り込みではないとわかったけど、何それ?

「まさかと思うけどあんたが来させたってオチはないわよね?」
「そ、そんなの頼んでない」
「うん、空は何も言ってないよ」

 みるくが援護してくれた。

 ありがたい。

 あずきが何か言おうとするけど声になっていなかった。

 みるくが隣に座り、そっと肩を抱く。

 あずきが小さく震えた。

「一つだけはっきりわかったことがあるわ」

 明治さんが言った。

「この娘、本当にあんたのこと大好きなのね」

 それは知ってる。

 この言葉は飲み込んだ。

「この娘言っていたわ、自分以外の誰かをあんたが好きになるのは嫌だけどそれ以上にあんたが好きな相手にあんたが嫌われるのは嫌だって。だから私にあんたのこと許してほしい、嫌わないでほしいって……もうその繰り返し。子供みたいに泣きじゃくって、私がわかったって言ってもなかなか帰ろうとしないし……どうしようかと思っているうちにあんたたちが来たのよ」

 よほど手を焼いたのだろう、明治さんの声には疲労の色がにじんでいた。

 休んでいるとはいえ彼女は女優だ。

 多少の演技もあるかもしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。

 僕はあずきの隣に座る。みるくとは反対側だ。

 あずきの頭をなでてやった。

「あずき、ありがとう」

 できるだけ優しく声をかけたつもりだ。

「僕のために頑張ったんだよな。やり方はともかく僕のためだったんだよな」
「そ、空」

 あずきの肩がまた震えた。

「あたし、余計だった?」
「いや、まあ、あれだ」

 本音は余計なことだったけどそれには触れずにおこう。

「お前の気持ちは嬉しいよ」
「……」

 みるくが唇を噛んだのは見なかったことにする。

「明治さんのことはもう大丈夫だから、彼女には嫌われてないから、もう心配するな」
「ほ、本当に?」
「本当よ」

 みるくが言い、明治さんに向く。

「ね、杏子ちゃん」
「ええ」

 明治さんがうなずいた。

「もうこいつ……彼のこと怒ってないし嫌いってないから。あ、でも好きとかそういうのとは違うから。それくらいはわかるわよね?」

 あずきが首肯する。

 ★★★

 リビングにみるくとあずきを残し、僕はダイニングで明治さんと向かい合って座っていた。
僕たちの間にはシンプルなデザインのテーブル。明治さんのいれてくれた紅茶を一口飲んで僕は切り出した。

「明治さんにまだちゃんと謝っていなかったね」
「……」

 彼女はそっと自分のティーカップを両手で包んだ。

 僕とは目を合わさず、じっとカップの中を見つめている。

 話を聞いているのかどうかはわからない。

「僕は君のことをきちんと知ろうとしなかった。ただ君の外見的な可愛らしさだけで満足してそれ以外には見向きもしなかった」
「……別にそれでもいいわよ」

 明治さんは紅茶から目を離さない。

「もちろん私のことわかってくれるにこしたことはないけど、ファンにもいろいろいるって理解しているから。冷静になって考えればそんなの当たり前なのにね。私こそあんたに酷くあたるべきじゃなかった」

 上目遣いでこちらを見て。

「ごめんなさい」

 短く言い、また紅茶に目を落とした。

 ほんのりと頬を赤くしている。その照れた様子が妙にくすぐったい。

「明治さんは僕を嫌ってないって言ってくれたよね」
「ええ」
「僕も明治さんのこと嫌いにならないよ……ていうか、君が好きだ。これからも僕は君のファンでい続けるよ」

 自分で言っておいて何だけど告白しているみたいだな。

「それ、とらえようによっては誤解してしまいそうね」
「え?」

 ふふっと明治さんが笑む。

 何だか気恥ずかしくなって僕は紅茶を一口飲んだ。少し間を置いてから告げる。

「あと、もう一つあるんだけど」
「それ、何だか見当がつくわ」
「事故とはいえ……」
「その話はいいから」

 声のトーンが上がった。

「わざとじゃないんだから、もういいわよ。お互いノーカウントってことで」

 そっか。

 何となく申し訳ない気分と残念な気分になる。もしかしたらこれをきっかけに意識してくれるかな、とか淡い期待もなくもなかったのだが……夢は覚めるものだよな。

 僕は紅茶を飲むペースを上げた。

 ★★★

 僕が明治さんと話し合っている間にあずきが泣き疲れて眠ってしまった。

 僕はあずきを背負い、みるくとともに明治さんの部屋を後にする。

 目覚めたとき自分の家だとあずきが寂しがるとみるくに言われ、僕は自室のベッドにあずきを運んだ。

 あずきはすっかり寝入っている。

 僕とみるくはあずきを起こさぬようそっと部屋を出た。

 リビングのソファーに二人で並ぶ。

 テレビもつけず、しばらく黙って時間を過ごした。

「ねぇ、空」

 どのくらい経ってからだろう、みるくが口を開いた。

「私、あずきがうらやましい」

 小さな声だけど今ははっきりと聞き取れた。

「あんなにストレートに空のこと好きでいられるなんて私には無理。だって、どうしても恥ずかしさが先に来るもの。私にはあずきみたいにはできない」
「別に無理はしなくていいぞ、あずきはあずきだし、みるくはみるくだ」
「うん」
「それにあずきが二人になったら僕は潰れてしまう」

 みるくがくすりとした。

「愛の重さに?」
「ぺしゃんこだ。ひとたまりもない」

 みるくが身体を揺らして笑う。

 そこまでおかしなこと言ったか?

「空はもっと軽い愛がいいの?」
「程度による」
「どのくらい?」
「どのくらいって……そうだな」

 僕はみるくを見つめた。

「みるくはどのくらい僕を愛してくれるんだ?」
「なっ」

 一瞬でみるくの顔が真っ赤になる。

 本当にちょろい奴。

 でも、そのちょろさが可愛らしい。

 みるくと目が合った。

「……」

 みるくが目を閉じ、僕を待つ。

 うん。

 みるくには期待させてばかりだ。

 あずきに愛されまくったり、明治さんに気持ちがいきかけたりしても、みるくはこうして僕に期待してくれる。

 あずきとは違う形だけど彼女の愛を感じた。

 そして、身体が動いた。

 優しくみるくを抱き寄せ、彼女の温もりや甘い匂いを強く感じる。

 心臓の鼓動が激しい。

 ピンポーン。

 ドアホンが鳴った。

 思わずびくっとなり、身を引いてみるくとの距離をとってしまう。

 彼女の吐息に不機嫌さが混じった。

 そんな顔しないでくれ。

 僕は無言で応え、みるくを残して玄関に向かう。

 少し遅れてみるくがついてきた。

 防犯モニターで来訪者を確認する。

「あ」

 声が漏れた。

 みるくがあからさまに驚く。

「え? 何で?」

 それは僕も聞きたい。

 どうしようかと迷った末に、僕はドアを開けた。

 反対側にいたのは大きなスポーツバッグを持ったショートボブの少女。

「こんばんは」

 僕の姿を見るなり、江崎さんが照れくさそうに笑う。

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