第12話 言われてみればそっくりだな

文字数 3,332文字

「あ、それ東鳩子の本」

 佐々木さんが明治さんの持っている本を見て言った。

「すごいわよね。日本でも結構有名だったのにアメリカに渡ってさらに有名になるなんて」
「そ、そうね」

 と、明治さん。

 心なしか表情が硬いようにも思える。

 どうしたんだろう。

 それに東鳩子がお母さんって……。

「ねえ、昨日から気になっていたんだけど」

 佐々木さんがたずねる。

「明治さんってもしかして女優の明治杏に似てるって言われない?」
「……」

 明治さんが黙ってしまった。

 あ。

 僕も自分の中のもやもやの正体がわかった。

 明治さんを見てどこか見覚えがあるなと感じていたのはそのせいなんだ。

 うん、似てる。

 言われてみればそっくりだな。

「あの……」

 みるくがおずおずと。

「そ、そっくりさんじゃなくて」
「本人だよ」

 あずきが告げた。

 はい?

 僕はあまりのバカバカしさに硬直する。

 明治さんが杏ちゃんだって?

 そんなアホな。

「あずき、それ近年まれにみるアホ発言だぞ」
「えーっ!」
「よりにもよって杏ちゃんネタで僕をダマそうだなんて百万年早い」
「百万年て」

 佐々木さんが呆れる。

「羽田くんて寿命どんだけあるのよ」

 つっこみどころそこですか。

「あたし、アホなこと言ってないよ」
「いや、十分アホだから」
「そ、空、あのね……」

 みるくが申し訳なさそうな顔をする。

「明治さん、杏ちゃんなの」
「おいおい、みるくまでどうしたんだ?」

 あれか?

 時季はずれのエイプリルフールか?

 それとも、どっきり?

 二人して僕をからかっているのか?

 ふうっと明治さんが深くため息をついた。

 その可愛らしい唇がゆっくりと動く。

「あんた、真性のバカね」
「はぁ?」

 身に覚えのない悪態をつかれてしまった。

 明治さんがなおも言う。

「あんた私のファンなんでしょ、それなのに本物と偽物の区別もつかないの? それにちょっと調べれば私と東鳩子が親子だってわかるでしょうに。ファンのくせにそんなことも知らないの? そんな程度で私のファンだなんてちゃんちゃらおかしいわ!」
「……」

 えっと。

 ……本当に本人?

 杏ちゃん?

 明治さんが口をへの字にして僕を睨んでいる。

 東鳩子の本をぎゅっと胸に抱えた。

 黒縁メガネの奥で目をうるませている。

 耳まで朱に染めていた。

 佐々木さんが美少女に似合わぬ引きつった表情で。

「あ、ひょっとして私、地雷踏んだ?」
「いや、どちらかというと僕に怒っている……ような」
「ような、じゃなくてあんたに怒ってるのよ!」
「えぇぇぇぇぇっ!」

 何で?

 そりゃ、確かにすぐ気づけなかったし、東鳩子のことも知らなかったし、他にもいろいろ……事故チューとかしちゃったし、これクリティカルなくらい嫌われた?

 嫌われたのか?

 僕はちくちくちくちくと胸が痛んだ。ついでに頭も痛い。

 横であずきがささやいた。

「大丈夫、あたしは空のこと好きだよ」

 負けじとみるくも続く。

「わ、私も空のこと好きだから」

 いや、こんなときに言われても。

 てか、本気で嬉しくない。

 杏ちゃんに嫌われたことのダメージがでかすぎて、とてもじゃないがみるくとあずきの好意を受けとめられる心の余裕がない。

 もう一度、彼女はため息をついた。

「……なんてね、一番悪いのはそんな程度にしか認められない私なのよね。私が文句なしならお母さんに負けないくらい有名な女優でいられたのに」

 声のトーンが下がる。

「あのドラマだって、もし若いころのお母さんがやっていたら桐谷花蓮も死なずに済んだかもしれない」
「あ、杏ちゃん……」

 彼女が睨んだ。

「プライベートでそう呼ばれるの嫌なんだけど」
「あ、ごめん……なさい」
「あと、私が明治杏だからって態度を変えられてもね。違うのは名前だけで中身は一緒なのよ」

 そ、それはそうだよな。

 というか、別に彼女が杏ちゃんだから口調を変えているわけじゃないんだけど。

 単に怖いから。

 でも、これ言ったら怒るだろうから黙っておこう。

「あ、その、明治さん」

 佐々木さんがたずねた。

「こんなところにいていいの? ほら、お仕事だってあるでしょうに」
「仕事ならもうないわ」
「え?」
「先日放送されたバラエティ番組の出演が最後。あれで明治杏は休業したの」
「休業って……何でまた」

 自然と出た疑問だった。

 杏ちゃんの口調の厳しさが増す。

「そんなのあんたに言わなければならない義務なんてないでしょ」
「そりゃ、亡いけど」

 杏ちゃんの視線が痛い。

 彼女が女優を志し、そして休むに至るまでの間にどれだけの夢と希望と現実と挫折を味わったのか、僕には計り知ることができない。いや、そもそも僕の見ていた明治杏にはそんなもの必要なかった。可愛らしい僕好みの美少女、これだけで十分だったのだ。

 あくまでもテレビの向こう側の存在。

 リアルではなく、バーチャルな存在。

 夢は夢であって、現実とは異なる。

 実際にそばにいて、恋人になってほしいと願いはするものの、そんな願望が実現できないとわかっているから望んでしまう。

 身勝手な妄想だ。

 ……でも。

 と、まだ現実を受け容れきれない僕が心の中で訴える。

 これは本当なのか。

 本当の本当に彼女は杏ちゃんなのか?

 もしかしてみんなグルになってないか。

 僕はみるくに聞いた。

「実はみんなで僕をだまそうとしている、なんてことはないよな」
「ないよ」

 みるくの声には同情の色があった。

「信じたくないかもしれないけど、嘘じゃないから。彼女は杏ちゃんだよ。明治杏子は明治杏の本名なの」
「……」

 マジか?

 マジなのか?

「あんたね」

 杏ちゃん……いや明治さん? ああ、ややこしいな。もう明治さんで統一しよう。

 明治さんが心底呆れたように僕を見ている。

「いい加減に観念して認めなさいよ。それとも何? 私が明治杏だとそんなに都合が悪い?」
「あ、いえ、そんなことないです」
「だから、態度を変えないでって言ったわよね。むかつくからやめてってば!」
「いや、これは明治さんが杏ちゃんだからってわけじゃなくて……その、何か怖くて」
「怖い?」

 明治さんの語気が強まる。

「私が怖いってどういうことよ」

 いやいやいやいや。

 十分怖いから。

 自覚してくれないかな?

 佐々木さんが言った。

「明治さんて、ひょっとしてスタッフに手鏡とか投げつけちゃうタイプ?」
「はあ?」

 うわっ。

 佐々木さん、勇気あるなあ。

 普通そんなの思っても口にしないのに。

「え? 何それ、私に喧嘩売ってるの?」
「あら、そう聞こえたらごめんなさい。別にそんなつもりはないのよ」

 佐々木さんは冷静だ。

 つーか、この人本当に同い年か?

「あーっ、もう、どいつもこいつも!」

 明治さんが地団駄を踏んだ。

「どうせ私は親の七光りよ! 実力もないのに女優なんかやっちゃってみっともないわよね。挙げ句、せっかくつかんだ役も失っちゃって……」
「誰もそこまで言ってないけど」

 佐々木さんの言葉に明治さんがはっとした。

「……」
「あのね」

 と、佐々木さん。

「自分に対する評価が低いのはあなたがそう思っているだけで実際はそこまで悪く思われていないものよ。そりゃ、役を降ろされたりすることはあるかもしれないけど、それで人生終わりってわけじゃないでしょ? すくなくともここにいるみんな、あなたのことを悪く思ったりしてないはずよ」
「そ、そうだよ」

 みるくが口を開いた。

「わ、私は杏子ちゃんのことすごいとは思ってもバカになんてしないよ」
「ま、あれね」

 あずきも続く。

「明治さんが七光りだろうと何だろうとそんなのどうでもいいかな。空にとっては素敵な女優なんだからそのつもりでふるまってほしい。わざわざアラを探すほどあたしはヒマじゃないし、たとえあったとしても言ったりしないよ。そんなことしたらあたしが空に嫌われるもん」

 あずきはどこまでもあずきだな。

 で、僕の番か。

「えっと、明治さんが……」
「みんなの気持ちはよくわかったわ」

 ちょっと静かに明治さんが話し始める。

 ええーっ?

 僕の出番は?

「でも、ごめん。私、やっぱりまだまだ未熟だ」

 明治さんが東鳩子の本を胸に小走りにその場を離れる。僕たちが呆気にとられているうちにカウンターで手続きをしてしまい、彼女は図書室を出ていった。
 
 
 
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