第9話翌朝のフィレンツェ ハルドゥーンの講義

文字数 2,800文字

空は青く澄み渡り、気持ちの良い朝になった。
司教や聖職者を交え、朝食となる。
昨晩の宴会と同様、かなり豪華な内容である。
ローマの街道を使い、あちこちからの食材が運ばれ使われている。
また、新鮮で冷たい水には、少しレモンが含まれている。

司教が神に祈りを捧げた後、全員で食事を始める。
「本当に、シャルル様とハルドゥーン様には、感謝しています」
司教は、柔和な表情で、感謝の言葉を述べる。

「シャルル様は、少しお疲れの顔ですね・・・」
司教が、シャルルの表情の変化を見逃さない。

「何、気にすることはない」
「すぐに回復する・・・」
ハルドゥーンは、司教を見て、苦笑をする。

「そうですか・・・」
司教も、即座に意味を理解したようである。
「まあ、お若いということは・・うらやましい・・・」

司教やハルドゥーンの声もシャルルには、ほとんど耳に届かない。
必死に、黙々と食べているだけ。
メリエムはシャルルの隣に座り、同じく黙々と食べている。

「食欲は全ての原点ですな・・・」
司教もこの二人には、苦笑するしかない。

「これも、ローマの街道があればこそ、水道があればこその話だ」
「国の形が壊れたとはいえ・・さすがはローマだ」
「いまだに、道も完璧である。水道も故障がない」
「道の完璧さは、人の往来や物流の円滑さをもたらす。新鮮な水の供給は、市民の健康維持やそれが積み重なっての国力の維持には欠かせない」
「軍事力だけでは、ローマは出来なかった」
「強いだけでは、ハンニバルという男がいたが」
「彼がローマ打倒をあきらめた理由がわかるか?」
ハルドゥーンも機嫌よく、話をしている。

いつのまにか、司教を含め、全員がハルドゥーンの話に集中している。

「ハンニバルはカルタゴから数多くの騎兵や歩兵、象まで連れて、アルプスを越えた」
「当然、無謀とも言える強行軍。事故による犠牲は多かった。当初の出発時の半数の軍勢となってしまった」
「しかし、それにより、ハンニバルには、いかなる困難があっても、付き従う軍勢が育っていった」
「ハンニバル自身、それほどの魅力のある男であったのだろう」
「事実、戦争となれば必ず勝つ」
「ローマのいかなる執政官を持っても、負ける・・・執政官すら殺されてしまう」
「ローマの同盟国が略奪され、焼き討ちにあっても、手をこまねいているだけの執政官もあった」
「ハンニバルの計略にかかり、数万単位の犠牲者を出し・・あのカンネの戦争では、全滅ではないか」
「同盟国の中には、ローマを見限る国も出てくる・・それは当り前だ・・同盟国の主であるローマが守ってくれるから同盟するのだ」

「しかし、勝ち戦を続けたハンニバル軍は、イタリアに16年も居座りながら、とうとうローマを攻略できなかった」
「おそらく、軍勢をローマに向ければたやすく攻略はできたのかもしれない」
「ハンニバル自身が、ローマの城壁の眼と鼻の先まで、出向いたことすらあるのだから」

「ハンニバルほどの男が、ローマを攻略する力を持ちながら・・何故、攻略しなかったのか・・・」
ハルドゥーンは、その大きな眼をさらに大きくして、全員に問いかける。

司教をはじめ、聖職者が全て、考え込んだ。
朝食の時間にしては、重苦しい雰囲気になっている。


「軍事力だけでは、武力だけでは・・支配が出来ない・・・」
シャルルは、ハルドゥーンの言葉を繰り返し、考えている。

「それでは・・ローマには何があったのか」
「何をもって、あのような大帝国を築き上げることが出来たのか・・・」
「イエスが生まれる前からとすれば、イエスに関係する話ではない」
「イエスの言葉以外に・・解決を探さねばならない」
シャルルは、眼を閉じた。
腕を組み、考え込んでいる。


「単純なことかもしれない・・・」
シャルルは、古くから言われているある言葉を、突然思い出した。

「全ての道は、ローマに通じている」
「ハンニバルがローマを征服した場合・・どうなるのか・・・」
「ハンニバルは軍事、軍略の専門家である」
「カルタゴからは、各都市を攻め落としてきた」
「しかし・・・攻めるハンニバルは、ローマに留まった時点で、守りに入らねばならない」
「ハンニバルを倒しに、全ての街道を使い、攻め上ってくる軍勢を相手に」
「籠城戦は、軍事力だけでは戦えない」
「敵地で籠城するなど、危険極まりない」
「攻める場合はその類まれな計略も使えるが、守る場合はまた別の才能が必要だ」


「ローマは袋のネズミ・・ですか・・・」
シャルルは、顔をあげ、ハルドゥーンの顔を見る。

「さすがだな・・・道だけでそこまで・・・」
「周りが全て敵とすれば、ローマのような全ての道が通じている都市ほど、危険な都市はない」
ハルドゥーンはニヤリと笑う。
「しかし、話はハンニバルにとどまらない」
ハルドゥーンは、再び厳しい顔になる。

「街道は軍事だけのものではない」
「ローマは、その成長する過程で、戦火を近隣の国と交えた」
「そこまでは、どのような国でも同じ」
「マケドニアであれ、ペルシアであれ、エジプト、カルタゴでも同じ」
「しかし、決定的に異なっていることがローマにはある」
「どの大きくなった王国でも、考えることのなかったことが・・・」
ハルドゥーンは、再び大きな眼を見開いた。


「まるで、ローマ帝国史みたいだ・・・」
メリエムも、シャルルの手を握りながら、ハルドゥーンの話に聞き入っている。

「ローマは、敗者を同化したのだ」
「ローマよりも豊かな国であれ、貧しい国であれ・・敗者を奴隷にしたり、滅ぼすようなことはしなかった」
「戦争で敗者となった国の指導者が、そのままローマの元老院に議席を与えられるなど、普通に行われていたのだ」

「そして、かならず街道を通す」
「規格も同じ、4m強の対向2車線の車道と両脇に3m前後の歩道、排水溝を備えた街道を、一直線に伸ばしていく」

「かつて アリスティデス・・・ギリシャの哲学者がなあ・・こう言っている」

「ローマ人は、傘下に収めた土地の全てを、測量し記録した」
「そしてその後で、河川には橋をかけ平地はもちろんのこと、山地にも街道を敷設し、その帝国のどの地方に住まおうと、行き来が容易になるように整備した」

「自国の防衛を、街道を通して往来を盛んにすることで、征服した国と征服された国の垣根をなくして、ともに生きていくための整備によって実現しているのだ」
「ともに安全が保障され、豊かになれば、戦争は起こりづらい」
「そもそも、戦争とは、貧しい国が豊かな国を攻めることが多いのである」

「人が人として生きていくうえで、身体の安全と財産の安全が第一の基本」
「そこに欠陥があれば、安心して暮らすこと等できないではないか」
「ローマの街道は、そのことを実現する基本なのだ」


「ハンニバルは戦争が出来た。強かっただけ」
「相手を滅ぼすだけであって・・・ということですか」
シャルルはハルドゥーンの顔を見る。

「それだけではないが・・・」
ハルドゥーンは苦笑している。
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