第42話シャルルとペトルスの対面

文字数 2,275文字

東ローマの海軍を率いるペトルスと言えば、このブリディンシの港からビザンティンまでの名前ではない。
西のローマを超え、フィレンツェ、ジェノヴァまで知れ渡っている海戦の将である。
その戦ぶりも、過酷なまでに相手を追いつめ自滅させる、あるいは風向きの変化をいち早く察知し、あっさりと自らの軍船団を避難させる自在の、猛将にして巧将なのである。
そのため、皇帝テオドシウスの寵臣ハルドゥーンにしても、一目を置く。
何しろ、海での闘いの知識については、逆立ちしてもかなわないからである。

一方、ペトルスとしても、ハルドゥーンの陸上での「実力」に対しては、敬服している。
戦闘状態になった場合の「勝つための最小限の犠牲」を発案する力や、部下に対する統率力、陰謀渦巻くビザンティン宮廷における情報収集力や折衝力は、「鬼気迫る」と判断してしまうほど、鋭いのである。
もちろん、海戦の将としては、「陸上の」人間関係や闘いは、専門外であるので、致し方ない面もある。

それでも、ペトルスはシャルルについては、逢ったことはないものの、一応人並みの情報を仕入れていた。
「聞くところによると、ミラノのトップの経済人の息子にして、アンブロシウス門下、フィレンツェにて、聖職者、市民の前で感動を呼び起こす演説を行った」
「ローマへの道中、病人を自らの病弱体質を犠牲にしてまで、薬を与える」
「金に困った旅行者に分け隔てなく当座の金を渡す」
「襲って来たアッティラの集団に情けをかけ、護衛集団としてしまう」
「そのアッティラも、シャルルに心服している」
「ローマでは、阿呆のヴァレンティウスに殺されそうになったが、切り抜け・・・」
「サレルノでは、暗殺者を許し、これまた自らの集団に加える」

考えれば考えるほど理解が出来ない男である。
「おい、シャルルというのは、敵とか味方とかの考えはないのか」
歩きながら、ペトルスはハルドゥーンに聞いてみた。
しかし、ハルドゥーンは、何も応えない。

「おれに、自分の目で判断しろ・・・か・・・」
歴戦の海戦将ペトルスは、ハルドゥーンに聞くことをやめた。
目の前に、シャルルを預けた教会が見えている。


「これはこれは・・・」
ペトルスは、東ローマ風の「慇懃な」頭を下げる礼を行い、顔をあげシャルルを見た。
「・・・なんと・・・やさしい顔立ちだ」
「まるで、まだ、子供のようだ、色も白い」
「少し、疲れが見える・・・やはり体質が弱いのか」
出来る限りの分析を行っていると、シャルルから声がかけられた。

「はい、高名なペトルス様、ミラノでも素晴らしいお方として、よく耳にしておりました」
「私の実家も、何度も海での危険を護っていただきました」
「代わりに、ここで・・・」
今度はシャルルが深い礼をする。
驚くペトルスにハルドゥーンが耳打ちをする。
おそらくシャルルの実家名を告げているようだ。
ペトルスも、思い出したのか、頷いている。

ペトルスは、ここでシャルルを信頼する気になった。
「およそ・・・船乗りを尊敬するのは、海の上だけ、陸に上がれば忘れ去られてしまう」
「中には街の女を漁る船乗りの行状に顔をしかめ、厄介者扱いする陸の民が多いのに」
「このシャルルという若者は、実家の恩を忘れず礼まで述べる」
「あの時だって、たいした風ではなかった」
「ものすごい額の金を包まれたから、警護しただけ・・・」
「俺たちの対応も、冷たいほど・・・杓子定規にしたのに」

ペトルスがそんなことを考えていると、再びシャルルから声がかかった。

「何でも、ペトルス様、素晴らしく立派な船で、こちらにいらしたとか」
「本当に、申し訳ないのですが、海に出て欲しいとは言いません」
「その船の、見学をさせていただきたいのですが・・・」
「はい、その分の謝礼は包みます」
「何しろ、船というもの・・・ミラノの山育ちのシャルルには、面白くて仕方がないのですから・・・」
シャルルは、ペトルスの顔を見ながら、恥ずかしそうにしている。

「・・・いや・・・それは・・・」
逆にペトルスは驚いてしまった。
ペトルスがここに来たのは、皇帝の船にシャルルを乗せて連れ帰ることである。
それなのに、「海に出なくてもいい、見学をするだけ、謝礼を包む」と言われてしまった。
慌ててハルドゥーンの顔を見る。
「何も伝えていなかったのか!」
文句を言いたかったが、さすがにシャルルの前では、そんなことは出来ない。
文句の相手のハルドゥーンは、横を向いてニヤニヤしているだけである。

「いや・・・シャルル様・・・それは困るのです」
ペトルスは、本当に困った。
何しろ、海での闘いには慣れているが、こういう人間との会話は、それ程得意ではない。
案外、純朴な人間なのである。
そうなると、正直に告げる以外しか、方法も考え付かない。

「シャルル様、実は、その船はシャルル様をお迎えするために、テオドシウス帝が遣わした船なのです」
「見学だけでは困りますし、謝礼も本当に困ります」
「そんなことになったら、私の首が飛んでしまいます」
既に高名な海戦の将ペトルスは、冷や汗が額を伝っている。

そのペトルスを見て、シャルルは少し考えている。
そして、再び語り掛けた。
「わかりました、シャルルは人の誘いや願いには応えると、神に誓った人間です」
「遠慮なく、テオドシウス様のお誘いを受けるといたします」
やさしい応えである。
隣で聞いていたハルドゥーンとペトルスもほっとした顔になる。

しかし、シャルルは次の言葉は、本当に意外なものであった。
「ハルドゥーン様、少しお願いしたいことが・・・」
シャルルに耳打ちをされているハルドゥーンの顔が、みるみる赤くなっていく。
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