第1話 出会いはオンラインゲーム

文字数 6,161文字

2014年冬。

深夜0時。住宅街に囲まれ、ぽつりとたたずむ一棟の古びたアパートの一室。
辺りはすっかり静まり返っている。
誰もいないリビングで、仲宗根マヤは安物のヘッドセットを、今やトレードマークとなっているベリーショートにした頭から被り、テレビ画面に向かって、「ナイッショ!」「ブーブー!」などと楽しそうに話しかけている。

「どんぐりみたいやね!」と子どもの頃よく揶揄われた、大きな丸い眼はテレビ画面を凝視している。
今では重力に負けて目じりは垂れ、笑うとわりとはっきりした小じわが浮かび上がるのが忌々しい。

夫の度重なる浮気から離婚という、これまでの人生で最大の苦境を乗り越え、ようやく一年が過ぎようとしていた。
心労から体重が激減し、顔も瘦せこけてしまった。
四十路に突入したタイミングでもあり、一気に老けてしまった自分を憂う暇もなく、娘をこれから一人で育てていく環境を整えることに奔走してきた。

苦労の痕跡を浮かび上がらせるかのような、少し筋張った両手にはゲーム機のコントローラーが握られている。

25歳の時に社内恋愛の末、結婚した元夫、ヒロキは、同じ部署でマヤの一年後輩だった。
彼はその顔立ちの良さで、社内外問わず、女性から人気があった。

一方自分は学生時代から見た目も性格も地味で目立たない女だった。
25歳までトータルしても、恋愛経験の数は片手の指でも余るほどだった。
だから、大多数の人間がイケメン認定するであろう彼と付き合うことになった当初は、自分がイイ女になった錯覚に陥るほど舞い上がり、結婚が決まった時は、ちっぽけな自尊心が大いに満たされたものだ。

しかし、その幸せはさほど続かなかった。
そんな見た目がいいヒロキは、マヤが幸せに浮かれている一方で、結婚後も何かと女のアプローチが絶えなかったようだ。

そして、マヤが妊娠して夫婦の営みが途切れた頃から、それはすぐマヤにもはっきりとわかる程露骨になった。それまでそういった周りからの誘惑に対して受け身だった彼が、積極的になったからだ。

最初は無断外泊から始まり、休日もスマホを頻繁にチェックしては「ちょっと散歩」と出かけ、そのまま夕食の時間にも戻らず、マヤと娘が寝静まってから帰宅することもあった。
問いただしても、急な仕事の呼び出しだの、友人の悩み相談だの、稚拙な言い逃ればかり。
それで誤魔化せていると思っていたようだ。
別れた今だから遠慮なく言えるが、「ルックスは良いが、知性が若干足りない男」だった。

「ご主人、ハンサムですね」と言われて一人悦に入っていたのは、新婚時代だけ。
そう、イケメンも三日で飽きる。
それどころか、結婚生活には何の役にも立たず、円満な家庭を育むのには害になるだけだと身にしみてわかった。
常に女の影がちらつく夫なんて、心の平穏を妨げる存在でしかなかった。

それでも、昭和初期生まれの親に育てられた、こちらも昭和の女。
一度添い遂げると決めた相手なのだから、多少のことには目を瞑り、できるだけ平穏にこの結婚生活を維持していくのが努めだと固く信じていた。
そう、結婚とは試練の始まり、人生の修行なのだ、と。

しかし、ある日心と体に限界が来た。パニック発作で呼吸困難になり、救急車で運ばれたのだ。
その時も当人は不在。女と会っていた。

その後互いの親と話し合いが持たれ、さすがにしばらくは女関係を一切絶っていたようだった。

が、数年後、あっけなく離婚が決まった。

「本気で一緒に生きていきたいと思う相手ができたから、離婚したい」

改まった表情でそう告げるヒロキからは、それまでには無かった真剣さと必死さが確かに見て取れた。
しかしそれは、昔マヤが観たB級映画の荒唐無稽なコメディアンの演技を思い出させるだけであった。

そんなヒロキとまだ仲睦まじかった新婚時代、「一緒に家でできる遊びだから」と勧められて始めたTVゲーム。
本心は、自分ばかりゲームに長時間夢中になり、マヤの機嫌を損ね始めていることに気付いたからだが。

ヒロキは、戦闘で血が飛び散ったり、激しい銃声が耳障りなゲームを好んで遊んでいたが、マヤには、子どもや女性でも楽しめると、ゴルフのゲームを買い与えた。

最初は乗り気ではなかったが、昔のカセット型のゲーム機と違い、今どきのそれは映像そのものだけでも、まるで映画でも観ているかのような迫力と美しさで、そこにまず魅せられた。

ゴルフ自体は未経験でも、ゲームのルールは単純で、操作の難易度も高くはないし、すぐに夢中になった。
正月休みには二人で夜中まで没頭していた。


離婚後、寂しさを紛らわせるため、というよりストレス発散に、と、久しぶりにそのゲーム機を引っ張り出してきた。
別れる時にヒロキが「新しいのを買う」と、置いていったのだ。

小学生の娘も喰いついてきたので、週末に一緒に遊ぶようになった。
そのうち娘は他の流行りのゲームを欲しがったので、彼女にはそれで昼間に遊ばせ、自分は夜に、と、しばらく押し入れの段ボールに収まったままだったそのゲーム機は、再び出番を得て、母子二人のうら寂しいアパートのリビングを憩いの場に変えてくれた。

あまりに夢中になって、遂にはオンラインに繋いで、世界中の知らない人に交ざって対戦するまで熱くなっていた。

そのゲームの楽しみの一つに、オンライン上に設置されているロビーがある。
自分のアバターを作り、着せ替えて楽しんだり、そこで、そのアバターを使って知らない人と交流ができ、仲良くなった人と一緒にゴルフコース(ゲーム上の)を周ったりすることができた。

当時はまだ、会話はテキストチャットのみ。

ロビーにはいろんな格好をしたアバターがウロウロしており、あちこちでテキストチャットでの会話が飛び交っている。
ナンパっぽい内容のものもよく見かける。

自分のアバターには、プロフィールを貼り付けて誰でも確認できるようになっている。
もちろん、実名ではなく、ニックネームと、任意で居住都道府県、年齢などを表示させる。
マヤは、煩わしいナンパ除けとして、「40代」と年齢を正直に表示しておいた。
そうすれば、純粋にゲームを楽しむ者しか寄ってこないだろう。

とは言っても、いきなり誰彼にと自分から声をかけることはできなかった。
マヤはしばらく、本来の目的であるゴルフのプレーに集中していた。

ある日、一人のアバターが声をかけてきた。
マヤは、ある好きなアニメキャラの名前をニックネームにしていたので、それに喰いついてきたのだ。

「○○って、△△に出てるキャラやんな?オレも好き!」

いきなりテキストチャットで関西弁を打ってくる、「オレ」って言ってるから、男?

(ナンパ?年齢みろよ!)

と一瞬訝しんだが、そのお気に入りアニメの話ができるのがちょっと嬉しくて、

「そうそう。あれ面白いよね」

と当たり障りのない返答をしてみた。

結論から言うと、全くナンパなどでなく、彼は純粋に良きゲーム仲間となった。
二十四歳、ニックネームはルイ。
関西に住む会社員で、この時すでに交流していた数人の仲間と共にコースにでようとしていたが、対戦するためのメンバーが足りず、近くでポツリと佇むマヤのアバターに声をかけたのだった。

ルイは、チャットでの会話だけではあるが、ノリが良く、サバサバとした性格も垣間見れた。何より同じ関西弁ということもあり、マヤは親近感を覚えてすぐに仲良くなった。
その後、長く友人関係が続くことになる。

ルイに誘われて入ったグループと遊ぶのが、マヤの唯一の癒しの時間となった。
テキストチャットのやり取りから始まったグループでの会話は、次第に文字だけでは追いつかないほどの盛り上がりを見せ始めた。
やがて、スカイプを通じて話すようになり、それぞれの笑い声や感情がリアルに伝わり始めた。
やはりルイは実際の話し方もコテコテの関西弁で、男性にしては若干声は高めで明るい響きがある。
それに釣られて大阪人のマヤも、これまで隠していた大阪弁を遠慮なく使うようになった。

ちなみに、参加者のほとんどが顔出しNGの意向だったので、音声通話だけの会話であった。
もちろん、マヤも異論は無かった。
グループのメンバーはほとんどが二十〜四十代の社会人で、たまに学生も入ってきた。
女性はマヤともう一人だけで、”キョロちゃん”と名乗っていて、三十代らしく夫婦で入っていた。
それを聞いた時は、ヒロキと二人で肩を並べて、同じゲームに夢中になっていた日々を思い出し、少し胸が痛んだ。



ある日、いつものようにグループで遊んでいた時、ルイが一人新しいメンバーを連れてきた。

対戦するのにメンバーが足りなかったので、マヤの時と同様に、ロビー内で「釣ってきた」らしい。
画面上に現れたのは、昭和の名作『男はつらいよ』の寅さんを模しているアバターだった。

続いて、

「スカイプにも呼ぶわ」

とルイが何やら操作をして、ほどなく、

「こんばんは」

という、アバターの風貌のイメージとはかけ離れた、若い男性の声がスカイプ通話参加者全員の耳に届いた。

トオルは本名をそのまま表示していた。

「初めまして、トオルです。二十五歳会社員です。このゲームは最近始めたばかりなので、下手くそなんですよ。ホントにいいのかなぁ~、オレで」

ははっと、爽やかな笑い声に合わせて、画面上で”寅さん”をクルクル回転させた。

年齢が同じくらいのルイよりはやや低めの声、落ち着いた口調で、何処の訛りも感じられない自然な標準語だった。

すると、メンバーの一人で、自称四十代のニックネーム”帝王”が、

「若いね〜。ルイと同じくらいか。若い奴はなんやかんや言いながら、上手いからな。おれ、おっさんなんでお手柔らかにな!あ、オバサンもいるから。大阪のおばちゃんや!な、○○」

と、マヤのニックネームを呼ぶ。

”帝王”はルイと共にこのメンバーの常連で、マヤが入ると大抵いるので、自然と話す機会も増えた。
年が近いということもあり、最近はお互いにあけすけな物言いもするようになった。

しかし、、、二人だけならまだしも、若者たちの前でも構わずこのオッさん特有の軽口を叩くのには、辟易しているところでもある。

「いやいや、こちらこそ、お手柔らかにお願いします」

マヤが無視をしたことで流れた少し不穏な空気は、トオルの、これまた穏やかさに満ちた声で掻き消された。

ゲームの腕前に関して、トオルの言葉はウソではなかった。
何でも、2週間程前に始めたばかりで、まだ操作に不慣れな上、ゲームができるのは1〜2週間に一度程度だそうだ。

「仕事が”肉体労働”で夜は疲れて寝てしまうことが多い」
「週末も出勤することが多い」

と話していた。

一方、マヤは曲がりなりにも、一人用モードではコンプリートを果たし、プレイ歴も夫がいた時と合わせると1年以上になる。
しかし、ゲームオタクで百戦錬磨のルイ達には全く歯が立たず、対戦成績は下位の常連だった。
ルイには、

「○○はそれでええねん。おもろいから」

と、意味のわからない持論で慰められ、そのたび、周囲からぶっと笑い声が聞こえてくるのだった。
たかだかゲームの勝敗とは言え、元来負けず嫌いのマヤは、負け方によっては、解散して電源を切った後もイライラが消えず、深夜にヤケ酒を呑むことすらあった。

そんなマヤとトオルは、すぐに最下位争いをするライバルになった。
いくら何でも初心者の彼に負けることはないだろうと思っていたので、正直モチベーションが下がった。
感情が顔にすぐ出る質(たち)であるが、相手には見えないので、隠す必要もなかった。


「あの~、○○さん、怒ってます?」

ある日、帝王、ルイ、トオルと4人でプレイして、またもやトオルに惜敗し最下位になった。
「はい、おつかれ~~!」
「くっそ~~、またやられた」
「お疲れ様でした~」
「・・・」

「もう一回やろーぜ。その前にオレ、ちょっとトイレ」
「オレもビール取ってくる」

その日は昼間、ちょっと不機嫌になることがあった。
娘のユカの中学校から「ユカが学校に来ていない」と連絡があり、会社からユカのスマホに電話をして、軽く説教をしたのだ。
これまでにも何度かあったのでさほど驚きも怒りもなかった。もともと大人しく内向的な性格で、友達がなかなか出来ない子だったが、離婚後さらに内に籠るようになり、時々学校を休むようになっていた。
それでも1年が経ち、ここ数カ月は休むことも無く、万事うまくいっていると思っていた矢先だったので、少し暗い気持ちになっていたのだ。

そんな僅かな苛立ちも手伝ったのだろう。
ゲームに負けて、というより初心者トオルに負けて、笑い飛ばすでもなく、悔しさを露わにするでもなく、黙り込んでしまった。

「あの~、○○さん、怒ってます?」

ルイと帝王が離席し、トオルと通話上ではあるが、はからずも二人っきりになってしまった。
もともと人見知りで、自分から話しかけるのが苦手だ。それに、負けた屈辱感もあり、こちらから話しかけてやるものか、とダンマリを決め込んだが、トオルがすぐに問いかけてきた。爽やかさは残しつつ、少し遠慮がちな低い声。
ハッとして、すぐに何か言おうとしたが、やけに緊張してしまい、声がうわずっていた。

「え!・・・あ~、いや・・・。てか、お、怒る必要あります?」

ゲームごときで、と、あくまで平静を装って返答した。

「そうですよね!いや~~良かった。顔が見えないので、怒らせちゃったかなとちょっと心配しました」

ははは、と、もう元のうららかな響きを含んだ声に戻っていた。

マヤは、ゲームごときで機嫌を損ね、それを悟られた上、相手に、しかもうんと年下に、気を遣わせている自分がとっても小さな人間に思え、恥ずかしさと情けなさで消え入りたい気持ちになった。
と同時に、トオルのその悠々とした中にも、どこか幼さが感じ取れる話し方に、すっかり毒気を抜かれてしまった。
両手で頬をパンパンと叩き、深呼吸をして、気持ちを切り替えることにした。

「そのアバターは寅さんだよね?スキなの?」

みんなと話す時は大阪弁を使うが、ちょっとかしこまっているので今は標準語を使う。

「あー、はい。じーちゃんが好きで子供の頃、一緒に観てハマっちゃって。結局じーちゃんちのビデオ全部持って帰って一人でも観てました。オレ、寅さんの生き方に憧れてるんです」

さすが、国民的人気を誇る日本の名作だ。世代を超えて、平成男子をも魅了しているのだな。

「そうなんだ。私もいくつかシリーズ観たよ」

特にマヤ自身もその世代ではないが、親と一緒に観た記憶がある。

「そうなんですか!どのタイトルです?オレは全部観ましたよ!」

思った以上に喰いついてきたので、一瞬たじろいだ。実際のところ、観たといってもほとんど内容を覚えていないので、この話題を継続することには気が引けた。

「ただいま~~」

ルイと帝王が良いタイミングで戻ってきたので、会話はそこで打ち切られて内心ほっとしたが、”寅さん”の生き方に憧れている、というこの25歳青年に、なぜか少しの好感と興味が生まれて、マヤの口元に笑みが零れた。

***
その後ひと月ほどの間、マヤたちは相変わらず毎晩遊んでいたが、トオルは2回入ってきただけであった。

ルイ達と遊び始めてそろそろ1年が経とうとしていた、12月に入ったばかりのある日、ルイがオフ会を提案してきた。
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