第17話 復縁?!

文字数 2,722文字

「え?あー、家庭教師。ユカの」

咄嗟に答えたが、目が泳いだのに気付かれたかもしれない。

「こんな遅い時間に?」

「今日は、こっちの都合で時間を変えてもらったから」

あくまで平静を装いながらも、靴を脱いで上がろうとするヒロキを全身でブロックする。

「リビングで勉強してるから。話ならここで聞くから」

ヒロキは明らかに怪訝な顔で、マヤとスニーカーを交互に見ていたが、ひとまず、といった表情で言う。

「用事は、まぁ、大したことやないねんけど。昔買った小説を久しぶりに読みたくなってんけど、どんだけ探しても下巻しかないねん。そっちの荷物に紛れ込んだかもしれん、と思ってな」

「無いよ。本は全部整理したから」

リビングの方を気にしながら、そっけなく返す。

「そうか」と、特にがっかりした様子もなく、続ける。

「それと、二人の電話番号も教えて。ユカももう中二や。スマホ持ってるんやろ?」

「私のは教えるけど。ユカのは、本人に許可をもらわないと…」

ユカは離婚の理由を知っている。
マヤと祖母が話しているのをこっそり聞いていたのだ。
小学生の時は何度かヒロキと面会交流をしたが、中学に入ってからは一切父親に会いたがらなくなった。

「許可も何も、親子やんか。それに…、ほんまはもっと大事な話がある」

そう言うと、右手で自分のうなじを摩りながら俯いた。が、すぐに意を決したように口を開く。

「オレら、もう1回やり直されへんかな?」

マヤは虚を衝かれて一瞬怯んだが、

「例の女と再婚したくせに、何言ってんの?」

すげなく返す。

「あいつとは一年前に別れた」

「はぁ?!」

思わず大きな声が出て、慌ててリビングの方を見やる。

「オレ、来月東京に転勤することになってん。栄転や。当然、年収も上がるし、向こうでは家族向けの社宅に入れる。ユカもこれから高校、大学と金がかかるやろ。社宅に入れば貯金もできるし、マヤも急いで働きに出る必要もない」

マヤは社内恋愛中だった頃のヒロキを思い出した。
一年後輩で営業部に配属された彼は、成績優秀、性格も明るく社交的で、上司にも可愛がられていた。
結婚と同時にマヤは退職したが、15年の結婚生活の間も順調に昇進し、この不景気にもかかわらず、安定したペースで昇給していた。
プライベートはともかく、会社員としては今も、順調に出世コースをひた走っているのだろう。

熱心に語るヒロキだったが、マヤにはそれよりも気になることがあった。

「なんで別れたん?また浮気?」

押し黙った様子を見て、図星か、と思ったが、ヒロキはすぐに反論してきた。

「そんなわけないやろ。向こうや。アイツが男つくって出て行ったんや」

そんなわけないやろってどの口が言うねん!と言い返してやりたかったが、一方的に捨てられたらしいと聞いて、(ざまぁみろ!)と心の中で毒づいた。

「あっそ。とにかく、今さらヨリを戻すつもりはないから。電話番号は教えるんでスマホかして」

と手を差し出したが、ヒロキはそれを無視し、

「ふ~ん…。その家庭教師とやらと仲良くやってるからか?」

と、トオルのスニーカーの方にくいっと顎を動かすと、ジトジトした目を向けてきた。

「そんなわけないし、どのみち、もうヒロキには関係ないことやん。番号入れるから、早くスマホかして!」

またもやヒロキはそれを無視し、

「父親なんやから、先生にあいさつした方がいいやろ」

と、マヤを押しのけてフロアに上がった。

「ちょっと!勉強の邪魔せんといて!」

ヒロキの腕を掴んで制止しようとするが、それを振り払ってヒロキはずかずかと奥へ進み、リビングの扉をノックもせず開いた。


ヒロキの肩越しからリビングの中を覗くと、トオルとユカがこちらを見ていた。
テレビにはゲームの画面が映っていたが、二人ともコントローラーは手にしていなかった。

ユカは二年ぶりに対面する父親を、少し強張った表情で見つめている。
トオルがさっと立ち上がり、

「こんばんは」

と頭を下げた。いつもの愛想の良い笑顔だ。

しかしヒロキはそれには返さず、

「あれ?お勉強中じゃなかったんですね?」

と、テレビ画面に視線を向けたまま、嫌味のように言う。

ユカは座ったまま俯いた。

マヤがヒロキの前に回り込んで、何か言おうとしたその時、

「ええ。僕は家庭教師じゃありませんから」

と、トオルがニコッと笑って答えた。

狭いアパートだ。玄関での会話くらい、ちょっと耳をすませば聞こえる。

「あれ、そうなんですか?聞いてたのとちゃうなぁ。ほんなら、どういう関係なん?」

ヒロキは苛立ちを含んだ口調で、マヤに視線を移し尋ねる。
トオルの真意が読めず、マヤはどう答えてよいかわからなかったが、とにかくこれ以上のゴタゴタは避けたかったので、

「ヒロキには関係ないから。もう帰って!」

必死に訴えたが、ヒロキはトオルと目を合わせたまま動かない。
ヒロキも身長は180近くあるので、狭いリビングに大男2人が立っていると、かなり圧迫感がある。

「まさか、こんな若い男がマヤの恋人ってわけはないよな…。やとしたら、こんな時間に女だけの家に男が上がりこむってのは、ちょっと常識に欠けると思うんですが…」

「だから、ヒロキには関係ないって・・・」とマヤが抗議しかけた時、トオルがそれを遮った。

「僕、マヤさんとお付き合いしています。つまり、恋人です」

にこやかに、且つ、きっぱりと、トオルはヒロキを真っすぐに見据えて言い切った。
ヒロキは驚いた様子も見せず、嘲笑うように言う。

「冗談でしょ?お見受けしたところ、あなた20代ですよね?もしかしてホスト?」

「26歳ですよ。普通の会社員です。年齢は関係ないでしょう」

笑顔のままだが、淡々とした口調だ。

「そうなんか?」

ふいにヒロキがマヤに向き直って尋ねる。

トオルの意図はわからない。ただ、今「そうだ」と肯定することで、ヒロキをおとなしく帰すことはできる。
でも・・・。

ヒロキの申し出、つまり、ヨリを戻すことは、百パーセント無しなのか?
マヤ自身は、散々自分を裏切ったヒロキを再び受け入れることは不可能に近い。
しかし、ユカはどうだろう。
自分を捨てて他の女のところへ行った父親を、今は忌み嫌っていても、彼女にとってたった一人の父親だ。
それにマヤ以上に、女二人で暮らすことは心細く感じているに違いない。

ユカの方をちらっと見ると、不安そうな目でこちらを見ていた。

マヤはふーっと息を吐くと、トオルに向き直って言った。

「トオルくん、申し訳ないけど今日は帰ってもらえる?」

「え…?でも…」と、マヤの言葉が意外だといった表情で、何かを言おうとしたが、

「ごめんね」

とマヤが手を合わせて謝るしぐさをしたので、

「わかりました」

と言うと、リビングの隅に置いていたコートを拾い上げ、ヒロキに頭を下げ出て行った。
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