第26話 電話
文字数 2,784文字
ホーム画面に戻ったスマホを見つめながら、マヤは大きくため息をついた。
トオルが自分のことでルイに相談している。
それを知って、マヤの気持ちはまた揺れた。
(「必死やったで」)
ルイの言葉を反芻する。
なぜそこまで自分にこだわるのだろうか?彼ならどんなスペックの高い女性でも、ほぼ選び放題なのに、なぜこんな、年の離れた器量も良くない中年女に固執するのか全く理解できない。
スマホを再びタッチして、ずっと放置していた、あの日のトオルからのメッセージを開いた。
『今日はごめんなさい。彼女とはきちんと話しをつけました』
『電話で話したいから出てもらえませんか』
そして、昨日新たに二件入っていた。
『週刊誌の記事は全くの嘘です。マヤさんなら信じてくれてると思いますが、念のため』
『オレ、プロに転向することにしました。これからその準備で忙しくなりますが、マヤさんからの連絡は、ずっと待っています』
強張っていた心が少し解れたように、肩の力が抜ける。
素人のマヤでも、トオルはプロでやっていけるというのは分かる…気がする。
彼の華やかで迫真のプレイに息を呑んだのは、まだ記憶に新しい。
でもこのタイミングでなぜ?
澪に「失望した」と言われたから?
様々な感情が交差し、落ち着かないままスマホをテーブルに置いた瞬間、またコール音が鳴った。
一度深呼吸してからスマホをタップし、耳にあてる。
『やっと出てくれた~!』
もしもし、と言う間もなく、トオルの嬉しそうな声が耳に届いた。
『今、ルイから電話がありました。既読にもなったし。出てくれてありがとうございます!』
律儀に礼を言われ、きまりが悪い。
『マヤさん、あの時は嫌な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい。オレあとで後悔して・・・
「別に気にしてないよ」
『え?』
「元カノって、芸能人だったんやね!すっごい綺麗な人でびっくりしちゃった。めちゃくちゃお似合いやん!彼女、プロになっても支えてくれるって。良かったね!」
(終わるなら今だ)
やっぱり、もうイケメンや美人に振り回されたくない。
これからは恋愛などで心を乱されることなく、穏やかに暮らしたい。
トオルのルックスに魅了されたことは否めないが、それよりも…
純粋で、自分の感情を素直に表現できる、それでいて、細やかな気遣いも自然にできるトオルにいつの間にか惹かれていた。
真っすぐにこちらを見つめるその瞳は、母性すら漂わせる優しい色を滲ませ、マヤの卑屈になった心をも解きほぐしてくれる。
そんなトオルが愛おしいと思い始めていた。
そして、その彼がなぜか、自分を好きだと言う。
だけど、その心地よさに寄りかかり、いずれまた来るであろう、〈奪われる恐怖〉に支配され生きていくつもりはない。
トオルには悪いが、ここですっきり終わりにしよう、と。
子供が不貞腐れたような言い方しかできない自分を情けなく思いつつも、一気にまくし立てた、のだが。
『ふふふ。マヤさん、ほんとにやきもち焼いてくれてるんですね!』
返ってきたのはトオルのほくそ笑む声だった。
「え?」
『ルイから聞きました。すごく嬉しいです!』
「な、…!」
『あの時、マヤさんの気を悪くさせちゃって、電話も出てくれなくなったし。オレ、もうフラれたかなって、あきらめかけてたんですよ』
トオルはいかにもしょんぼりしたような口調を装う。しかし、
『でも、それもこれも、焼きもちからだったんだってルイから聞いて、もう嬉しくって!それって脈ありってことでしょ!?』
次の瞬間にはもう、元のうららかな声音に戻っていた。
マヤの子供じみた拒否表明は、彼にはノーダメージだったようだ。
(あぁ、こういう人だった…)
それでも、そう簡単に折れたくない自分がいる。
「あれから、マンションに行ったんでしょ、彼女と」
『あーあれ…』
何ともない、といった明るい声のままトオルは続ける。
『マヤさんが帰った後、きちんと話を付けようと思ったんですけど、彼女芸能人だから、喫茶店とかは無理でしょ。仕方なく、うちに呼んだんです。でも、もちろん、マヤさんが気にするようなことは何もないですよ』
のほほんとした口調が気に入らない。
「き、気にしてなんか・・・!」
『マヤさん、来月から本戦が始まるんです。会場は関東なので見に来てくれとは言えないですが、応援しててくださいね!』
***
その後、ほぼ毎日メッセージが届き、マヤの固かったはずの決意は、彼によっていつの間にか煙に巻かれていた。
『初戦突破です!』
『今日の練習はきつかったです。ちょっとビール飲んじゃいました』
『来期から所属するチームが決まりそうです』
トオルのお気に入りの子犬キャラのスタンプ付きで、毎晩届くメッセージに、最初のうちは、「おめでとう」「がんばって」と、一言返すだけだったが、いつしか、読みながら相好を崩し、癒されていく自分がいた。
『明日は決勝戦です。ここまで来たら、優勝しかないっすね!』
ピースサインをするキャラクタースタンプが届いた。
実業団バスケは、平日は会社員として働き、夜や週末に練習すると聞いている。
さらに今、トオルはプロに向けての準備もあり、超多忙なはず。
そんな中、こうやってマヤにメッセージを送ってくるトオルが愛しくて仕方ない。
自分もトオルに何かしてあげたい、と思う。
決勝戦なら本当は応援に行きたい。
会って、「頑張ってね!」と顔を見て言いたい。
しかし、時間的にもそういうわけにはいかない。
ならば、せめて…。
『マヤさんから電話くれるなんて嬉しいです!』
「遅くにごめん。明日、頑張ってね。会場には行けないけど、応援してる」
『マヤさん…』
トオルは一瞬黙り込んだが、次の瞬間には弾けるような声になっていた。
『はい、頑張ります!これが終わってプロ契約も決まったら、退職の手続きとか引継ぎでまた忙しくなるんですけど、12月には会いに行きたいです』
12月・・・。そう言えば去年の12月にトオルと初めて会った。
コーヒーぶっ掛け事件を思い出し、あれが無ければ、今こうして二人で親しく話すことはなかったのかもしれない。
一人思いに耽っていると、訝し気にトオルが呼びかける。
『マヤさん?』
「あ、ごめん。何でもない」
『実は、12月24日はオレの誕生日なんです。ちょうど土曜日なんで、一緒に祝ってくれませんか?』
柔らかな空気を纏うトオルの声に、ドキドキと心臓がうるさく反応し始めた。
トオルの無邪気さに完全に絆されている自分を自嘲しながらも、あの人懐っこい、優しい笑顔のトオルに会いたい、と思う自分を素直に認めるしかない。
「わかった。楽しみにしてるよ」
少し沈黙があった。
『楽しみって…。マヤさん、それってオレ、期待してていいんですか…?』
トオルの声が穏やかながら、静かなトーンに変わる。
「うん・・・」
とだけ答えて、顔が熱くなり、それ以上何も言えなくなった。
『わ、わかりました!じゃあ、また連絡します!』
トオルが自分のことでルイに相談している。
それを知って、マヤの気持ちはまた揺れた。
(「必死やったで」)
ルイの言葉を反芻する。
なぜそこまで自分にこだわるのだろうか?彼ならどんなスペックの高い女性でも、ほぼ選び放題なのに、なぜこんな、年の離れた器量も良くない中年女に固執するのか全く理解できない。
スマホを再びタッチして、ずっと放置していた、あの日のトオルからのメッセージを開いた。
『今日はごめんなさい。彼女とはきちんと話しをつけました』
『電話で話したいから出てもらえませんか』
そして、昨日新たに二件入っていた。
『週刊誌の記事は全くの嘘です。マヤさんなら信じてくれてると思いますが、念のため』
『オレ、プロに転向することにしました。これからその準備で忙しくなりますが、マヤさんからの連絡は、ずっと待っています』
強張っていた心が少し解れたように、肩の力が抜ける。
素人のマヤでも、トオルはプロでやっていけるというのは分かる…気がする。
彼の華やかで迫真のプレイに息を呑んだのは、まだ記憶に新しい。
でもこのタイミングでなぜ?
澪に「失望した」と言われたから?
様々な感情が交差し、落ち着かないままスマホをテーブルに置いた瞬間、またコール音が鳴った。
一度深呼吸してからスマホをタップし、耳にあてる。
『やっと出てくれた~!』
もしもし、と言う間もなく、トオルの嬉しそうな声が耳に届いた。
『今、ルイから電話がありました。既読にもなったし。出てくれてありがとうございます!』
律儀に礼を言われ、きまりが悪い。
『マヤさん、あの時は嫌な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい。オレあとで後悔して・・・
「別に気にしてないよ」
『え?』
「元カノって、芸能人だったんやね!すっごい綺麗な人でびっくりしちゃった。めちゃくちゃお似合いやん!彼女、プロになっても支えてくれるって。良かったね!」
(終わるなら今だ)
やっぱり、もうイケメンや美人に振り回されたくない。
これからは恋愛などで心を乱されることなく、穏やかに暮らしたい。
トオルのルックスに魅了されたことは否めないが、それよりも…
純粋で、自分の感情を素直に表現できる、それでいて、細やかな気遣いも自然にできるトオルにいつの間にか惹かれていた。
真っすぐにこちらを見つめるその瞳は、母性すら漂わせる優しい色を滲ませ、マヤの卑屈になった心をも解きほぐしてくれる。
そんなトオルが愛おしいと思い始めていた。
そして、その彼がなぜか、自分を好きだと言う。
だけど、その心地よさに寄りかかり、いずれまた来るであろう、〈奪われる恐怖〉に支配され生きていくつもりはない。
トオルには悪いが、ここですっきり終わりにしよう、と。
子供が不貞腐れたような言い方しかできない自分を情けなく思いつつも、一気にまくし立てた、のだが。
『ふふふ。マヤさん、ほんとにやきもち焼いてくれてるんですね!』
返ってきたのはトオルのほくそ笑む声だった。
「え?」
『ルイから聞きました。すごく嬉しいです!』
「な、…!」
『あの時、マヤさんの気を悪くさせちゃって、電話も出てくれなくなったし。オレ、もうフラれたかなって、あきらめかけてたんですよ』
トオルはいかにもしょんぼりしたような口調を装う。しかし、
『でも、それもこれも、焼きもちからだったんだってルイから聞いて、もう嬉しくって!それって脈ありってことでしょ!?』
次の瞬間にはもう、元のうららかな声音に戻っていた。
マヤの子供じみた拒否表明は、彼にはノーダメージだったようだ。
(あぁ、こういう人だった…)
それでも、そう簡単に折れたくない自分がいる。
「あれから、マンションに行ったんでしょ、彼女と」
『あーあれ…』
何ともない、といった明るい声のままトオルは続ける。
『マヤさんが帰った後、きちんと話を付けようと思ったんですけど、彼女芸能人だから、喫茶店とかは無理でしょ。仕方なく、うちに呼んだんです。でも、もちろん、マヤさんが気にするようなことは何もないですよ』
のほほんとした口調が気に入らない。
「き、気にしてなんか・・・!」
『マヤさん、来月から本戦が始まるんです。会場は関東なので見に来てくれとは言えないですが、応援しててくださいね!』
***
その後、ほぼ毎日メッセージが届き、マヤの固かったはずの決意は、彼によっていつの間にか煙に巻かれていた。
『初戦突破です!』
『今日の練習はきつかったです。ちょっとビール飲んじゃいました』
『来期から所属するチームが決まりそうです』
トオルのお気に入りの子犬キャラのスタンプ付きで、毎晩届くメッセージに、最初のうちは、「おめでとう」「がんばって」と、一言返すだけだったが、いつしか、読みながら相好を崩し、癒されていく自分がいた。
『明日は決勝戦です。ここまで来たら、優勝しかないっすね!』
ピースサインをするキャラクタースタンプが届いた。
実業団バスケは、平日は会社員として働き、夜や週末に練習すると聞いている。
さらに今、トオルはプロに向けての準備もあり、超多忙なはず。
そんな中、こうやってマヤにメッセージを送ってくるトオルが愛しくて仕方ない。
自分もトオルに何かしてあげたい、と思う。
決勝戦なら本当は応援に行きたい。
会って、「頑張ってね!」と顔を見て言いたい。
しかし、時間的にもそういうわけにはいかない。
ならば、せめて…。
『マヤさんから電話くれるなんて嬉しいです!』
「遅くにごめん。明日、頑張ってね。会場には行けないけど、応援してる」
『マヤさん…』
トオルは一瞬黙り込んだが、次の瞬間には弾けるような声になっていた。
『はい、頑張ります!これが終わってプロ契約も決まったら、退職の手続きとか引継ぎでまた忙しくなるんですけど、12月には会いに行きたいです』
12月・・・。そう言えば去年の12月にトオルと初めて会った。
コーヒーぶっ掛け事件を思い出し、あれが無ければ、今こうして二人で親しく話すことはなかったのかもしれない。
一人思いに耽っていると、訝し気にトオルが呼びかける。
『マヤさん?』
「あ、ごめん。何でもない」
『実は、12月24日はオレの誕生日なんです。ちょうど土曜日なんで、一緒に祝ってくれませんか?』
柔らかな空気を纏うトオルの声に、ドキドキと心臓がうるさく反応し始めた。
トオルの無邪気さに完全に絆されている自分を自嘲しながらも、あの人懐っこい、優しい笑顔のトオルに会いたい、と思う自分を素直に認めるしかない。
「わかった。楽しみにしてるよ」
少し沈黙があった。
『楽しみって…。マヤさん、それってオレ、期待してていいんですか…?』
トオルの声が穏やかながら、静かなトーンに変わる。
「うん・・・」
とだけ答えて、顔が熱くなり、それ以上何も言えなくなった。
『わ、わかりました!じゃあ、また連絡します!』