第12話 嵐の日

文字数 2,778文字

 とある遅い秋の日、ご主人様は所用で長旅に出かけられた。僕は一頭立ての二輪馬車につながれ、ジョンがお供をした。僕はいつだってこれで出かけるのが好きだったが、それは一頭立ての二輪馬車はとても軽く、大きな車輪が楽しげに回ってくれるからだった。少し前までは大雨が降っていたが、そのときは風がとても強く、乾いた枯れ葉が滝のように道の上に散ってきていた。僕たちは楽しく道を進んで行くと、遮断棒のある低い木製の橋に差し掛かった。川岸はかなり高い位置にある上に、橋はアーチ状に盛り上がるのではなく、水平になっているので、もし川が満水になると、橋の中央の辺りでは木製の床板が水に漬かりかねない。もっとも橋の両脇には頑丈な手すりが取り付けられていたので、人々はそんなに気にしていなかった。
 橋の料金所の人は川の水量が猛烈な速さで増えている、今夜はひどい夜になるかもしれないと恐れを口にした。多くの牧場が水に浸かってしまっており、道の低い部分では、僕の膝の半ばくらいまで水が来ていた。だが底はしっかりしていたし、ご主人様は僕を丁寧に進ませたので、何の問題もなかった。
 そして僕らが町に着くと、もちろん僕は美味しい餌をもらったが、ご主人様の用件が片づくには長い時間がかかったので、午後の遅い時間になるまで僕らは帰宅の途につけなかった。風はさらに強くなり、ご主人様がジョンにこんなひどい嵐の道を行くのは初めてだと言う声が聞こえてきて、僕もそうだと思った。僕たちが森の裾野に差しかかると、太い枝が小枝のように風に激しく揺すられていて、風の音もいっそうひどいものになりつつあった。
「この森を無事に抜けられたらいいな」ご主人様が言った。
「そう思います」ジョンが堪えた。「あの枝のうちのどれかひとつでも、私どもの上に落ちて来ようものなら、なんとも面倒なことになりますでしょうし」
 ジョンがその台詞を完全に言い終わらないうちに、みしみしと軋む音がしたかと思うと、ピシッという鋭い音、続いてメリメリと割ける音がして、根元から折れた一本の(なら)の木が、他の木々を縫うようにして、ちょうど僕たちの前で道を塞ぐように倒れてしまった。そのとき僕が怖がってなかったなんて、絶対に言えない。僕はじっと立ちつくし、ああ、僕は震えているんだと思った。もちろん、僕は向きを変えて逃げたりはしなかった。そんなふうに育てられてはいないのだ。ジョンが飛び出してきて、すぐに僕のもとへやってきた。
「危機一髪だったな」ご主人様は言った。「どうしたものだろう?」
「はい、旦那様。この木を越えて馬車を走らせることはできませんし、迂回も無理です。この木はどうしようもありませんが、四つの十字路のところまで戻れば、十キロ弱ほどで料金所の橋まで行けるはずです。遅くはなりませんが、馬も元気ですし」
 そして僕たちは十字路のところから道を戻って行ったが、橋にたどり着くころにはほぼ真っ暗になっていた。橋の中央が水に浸かっているのがかろうじて見て取れたが、洪水のときにそうなるのはよくあることのようで、ご主人様は馬車を止めなかった。僕たちは順調に進んで行ったが、僕の足が橋の最初の部分に触れたとき、何かがおかしいと感じた。僕は前に進むのを拒否し、そこにじっと立ち止まる。「進め、ビューティー」ご主人様はそういって、僕に鞭で触れた。でも僕は動かなかった。鞭が鋭くなり、僕は飛び上がった。それでも前に進むのは断固拒絶した。
「何か異常があるようです、旦那様」ジョンはそう言うと、二輪馬車から飛び降りて僕のところへやってきて、辺りを見回した。ジョンは僕を引っ張って進ませようとした。「おいで、ビューティー。何を気にしとるんだ?」もちろん、僕は話せない。でもこの橋が安全じゃないのはよくわかっていた。
 そのとき、反対側の岸の料金所の人が家から飛び出してきて、気が狂ったかのようにカンテラを振り回した。
「おーい、おーい、おーい! おおーい! 止まれ!」その人は叫んだ。
「何かあったのかい?」ご主人様が叫び返した。
「橋の真ん中の辺りが壊れて、流れて行ってしまったんだ。もしこのまま進んだら、川へ落ちてしまうぞ」
「なんということだ!」ご主人様は言われた。「すごいな、ビューティー!」ジョンはそう言うと、手綱を取って優しく僕の向きを変えさせ、川岸の右側の道へと向かわせた。太陽は沈んでしまっていて、風はさっき猛烈な勢いで木を折ったときよりも、和らいできているようだった。辺りはどんどん暗くなり、静かになって行く。僕は静かに速歩(トロット)で進み、車輪も柔らかい道の上ではほとんど音を立てなかった。しばらくの間、ご主人様もジョンも何も言わなかったけれど、やがてご主人様が真面目な声で話し始めた。僕にはご主人様たちの話を完全には理解できなかったけど、何を考えているのかは見当がついた。もし僕がご主人様の指示通りに進んでいたら、ほぼ確実に僕たちの足の下で橋が壊れ、馬も馬車もご主人様もジョンも、川へ落ちてしまっただろう。そして今ごろは強い流れに呑まれ、明かりも助けてくれる人もなく、全員が溺れ死んでいた可能性が高い。ご主人様は言われた、神様は人間に、物事を判断させるために考える力をお与えになられた。だが同時に、動物には考えなくとも物事がわかる力をお与えになられたので、その力ははるかに早く完璧に働き、往々にして人間の命を救って来たのだよ、と。ジョンは犬や馬が成し遂げた、素晴らしい話をたくさん知っていた。ジョンは人間が、飼っている動物たちの価値を過小評価しているし、友達になるべきなのになろうともしないと考えていた。誰もそうしなかったとしても、ジョンは確実に友達になっていると僕は思った。
 ついに僕たちが館の門にたどり着いたとき、僕たちを探していた庭師と出会った。庭師の話によれば、暗くなっても戻って来ないので、奥様が事故にあったのではとひどく心配されており、ジェームズを葦毛のジャスティスに乗せて、例の橋へ僕たちの安否を問い合わせるために送り出したとのことだった。
 館の入り口と上方の窓の明かりが見えたとき、奥様が走り出してきて言われた。「あなた、本当に大丈夫なの? ああ! 心配でたまらなかったの、あらゆることを想像してしまって。どこも怪我してない?」
「ああ、大丈夫だよ。でも君のブラック・ビューティーがこんなにも賢くなかったら、みんなそろってあの木の橋から川に転がり落ちていただろうね」僕に聞こえたのはここまでだった。ご主人様は奥様といっしょに館に入られ、ジョンは僕を馬小屋へと連れて行った。その日、ジョンが僕にくれた晩ご飯はとても美味しかった。美味しいゆでて潰したふすまに、砕いた豆を少々混ぜた燕麦、そして分厚い藁の寝床! 僕は疲れ果てていたけど、とても幸せだった。
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