第49話 終の棲家

文字数 2,676文字

 この夏のある日、馬丁が僕を綺麗にして、特別な手入れを施したので、きっと何か新しい変化が近々あるに違いないと僕は思った。馬丁は僕の蹴爪と脚を手入れし、ブラシで蹄を綺麗にして、前髪を分けた。ハーネスも特別に磨いてあるようだった。ウィリーは心配と期待が半々になった様子で、二人乗りの二輪馬車に祖父といっしょに乗り込んだ。
「もしご婦人方がこの子を気に入ったら」老紳士は言った。「ぴったりの飼い主だしぴったりの馬だ。やってみるしかない」
 村から一キロ半から三キロほど離れた場所に行くと、芝生と植え込みのある綺麗な平屋の家が建っていて、馬車で入れる道がドアまで続いていた。ウィリーが呼び鈴を鳴らし、ブルームフィールドさんかエレンさんはおいででしょうかと尋ねた。ふたりとも家にいた。ウィリーが僕といっしょに残り、サラグッドさんは家に入った。十分ほどでサラグッドさんは戻ってきたが、三人の女性がいっしょだった。ひとりは長身で青ざめた女性で、白いショールを纏い、彼女より若い女性にもたれていた。もたれかかられている女性は黒い目で明るい表情をしている。最後のひとりは威厳のある佇まいで、彼女がブルームフィールドさんだった。三人はやってきて僕を見ながら質問をした。若い女性――エレンさん――は僕をとても気に入ってくれて、こんなに良い顔立ちをしているのだから、気に入らずにいられないと言った。長身の青ざめた女性は、一度倒れた経験のある馬に乗るのはなんだか怖い、だってまた倒れるかもしれないし、もし倒れたら二度と恐怖から立ち直れないと思う、と言った。
「それですがね、ご婦人方」サラグッドさんは言った。「多くの一級の馬が、馬自身はなんの過失もないのに、御者の不注意のせいで膝をダメにしてしまいます。この馬の場合もそうだと私は見ていますが、もちろん、私はあなたに影響を与えたいとは思っていません。もしあなたがたがこの子を試してみようと思うのでしたら、そちらの御者に、この子をどう思うのか見てもらいましょう」
「あなたはいつも、うちの馬たちについて良い助言をしてくれる」威厳のある女性が言った。「あなたの推薦なら大いに役立つでしょうし、もし妹のラヴィニアが反対しないのなら、あなたの言うとおり試してみましょう。ありがとう」
 こうして話は整い、僕は翌日にここに連れて来られることになった。
 朝になると、姿の良い若い男の人が僕を迎えに来た。最初は僕を見て喜んだ様子だったが、僕の膝を見ると失望した声で言った。
「あなたがうちのお嬢様たちに、こんな傷物の馬を薦めるなんて思ってもみませんでしたよ」
「見目より心だよ」サラグッドさんは言った。「お前さんはただこの子を試せばいい、私はお前さんがこの子を公正に扱うと確信しているからな、若いの。もしこの子を他の子と同じくらい安全に御せないと思うのなら、返してくれればいい」
 僕は新しい家に連れて行かれ、居心地の良い馬小屋に入れられて餌を貰い、そしてそこに残された。次の日、馬丁は僕の顔を綺麗にしながらこう言った。
「この額の星は『ブラック・ビューティー』にあったのによく似ている。背丈も同じぐらいだ。あの子は今どこでどうしているだろう」
 手入れをもう少し進めて、彼は僕の首に、昔に血を採った跡が小さな瘤になって残っているのに気づいた。彼は驚いた様子で、僕を注意深く調べながら、こう独り言を言った。
「額に白い星、足は一本だけ先が白い、そしてこの場所に小さな傷跡」そして、僕の背中を眺めた――「そして、ここに確かに、小さな白い模様がある。ジョンはこれを『ビューティーの三ペンス銀貨』って呼んでたっけ。間違いない、この子は『ブラック・ビューティー』だ! なんで、ビューティー! ビューティー! 俺を憶えているかい? ――お前をもう少しで死なせかけた、チビのジョー・グリーンだよ?」そして彼は嬉しくてたまらないと言わんばかりの様子で、僕を何度も何度も優しくたたき始めた。
 僕は憶えているとは言えなかった。今では彼はすっかり大人になってしまっていて、黒い頬髭を生やし、声も低くなっていた。でも彼が僕を知っているのは確かだから、きっと彼はジョー・グリーンだ。僕はとても嬉しい気持ちになった。僕はジョーに鼻を押しつけ、友達だよと示そうとした。こんなにも喜んでいる人間を、僕は初めて見た。
「お前のことはちゃんと試すよ! 本当にそうするとも! どこのどいつがお前の膝をこんなにしやがったんだ、大事なビューティー! どこか他の場所でひどい目にあってきたに違いない。お前が辛い目にあったってのに、俺にはどうしようもなかったんだ。ああ、ああ、ジョン・マンリーがここにいてくれたらなあ」
 午後になると、僕は低い馬車に繋がれて、ドアのところまで連れて来られた。エレンさんが僕をお試しになり、ジョーはついて行くことになっていた。僕はすぐに、エレンさんが御すのが上手だと気づき、彼女も僕の歩調に喜んだようだった。ジョーがエレンさんに僕について話しているのが聞こえ、僕が地主のゴードンさんのところにいた「ブラック・ビューティー」なのは確実だと言っていた。
 僕たちが戻ると、他のふたりの姉妹が外に出て来て、僕はどうだったかと尋ねた。エレンさんはたった今聞いたばかりの話をして、言った。
「ゴードンさんの奥様に手紙を書いて知らせるわ、お気に入りだった馬が今ここにいますって。どんなにお喜びになられるかしら!」
 このあと、僕は一週間ほど毎日馬車を引いて、自分は安全だと示した。ラヴィニアさんもついに、思い切って小型の四輪馬車で外出された。これが決定打になったようで、僕はここの馬となり、かつての名「ブラック・ビューティー」で呼ばれるようになった。
 僕は今、この幸せな場所で過ごして丸一年になる。ジョーは最高に素晴らしくて優しい馬丁だ。仕事は簡単でとても楽しいから、僕の力とやる気は完全に戻って来ていた。ある日、サラグッドさんはジョーにこう言った。
「ここでなら、二十歳になるまで働けるだろうな――あるいはもっとか」
 ウィリーはここに来るといつも僕に話しかけ、僕を特別な友達として扱ってくれる。お嬢さんたちは、決して僕を売らないと約束してくれたから、もう何も怖いものはない。だから、僕の物語はここで終わる。苦しみはすべて過ぎ去り、家と呼べる場所にいる。そして眠りから完全に目覚める前はよく夢を見る。夢の中で、僕はまだバートウィック館の果樹園にいて、古い友達といっしょに、リンゴの木の下に立っている。
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