第46話 ジェイクスと淑女

文字数 3,106文字

 僕が売られたのは、ジェリーも知っている人で、穀物の販売とパン屋をやっていた。ここなら、僕はちゃんと餌がもらえてきちんとした仕事をさせてもらえると思われたのだろう。最初のうちは実際、そのとおりだったし、もしこの新しいご主人様が、いつも近くにいてくれたら、僕も過剰な荷を背負わされたりしなかったかもしれない。だが、実際に現場をしきっている監督は、いつもみんなを急き立てていて、僕が引く荷馬車はもういっぱいなのに、これも積めとちょくちょく指示してきた。僕の荷馬車の手綱を引いていたジェイクスは、これは僕に運ばせていい量より多いとよく言っていたが、彼に発言権はなかった。「一回で運べるのなら二回に分けるのは無駄だから、それより仕事を進めろだとさ」
 ジェイクスも他の荷馬車の御者たちも、いつも止め手綱を使っていたから、僕は荷馬車を引くのに苦労したが、それでもそこに来て三ヵ月か四ヶ月くらいは、僕はこの仕事で充分自分の力を示せていた。
 ある日、僕が普段より多くの荷物を運んでいると、途中で急な坂に差し掛かった。僕はありったけの力を込めたが、先に進むことができず、何度も足を止めねばならなかった。そのせいで御者は不機嫌になり、ひどく鞭を振り下ろした。「行け、怠け者め」ジェイクスは言った。「でなきゃ、目にもの見せてやる」
 僕はもう一度重い荷を引き始め、苦労しながら二メートルほど進んだ。また鞭が振り下ろされ、僕は苦しみながら前へ進んだ。とても重たい荷馬車が身体に食い込んで痛み、鞭もまた鋭い痛みを与えたが、僕は哀れな脇腹と同じくらい心が痛かった。全力を尽くしているのに、罰を与えられたり痛めつけられたりするのは、とても辛いしやる気も萎えさせてしまう。ジェイクスが三度目に僕を残酷なぐらい鞭で叩いたとき、ある女性が足早に近づいてきて、優しいが熱意のこもった声で話しかけた。
「ああ! どうかその良い馬をこれ以上鞭で打たないで。その子はどう見ても一生懸命やっているけれど、この坂は急過ぎるの。それは確かよ」
「一生懸命やっているのにこの荷を運べないのなら、もっと一生懸命やらなくちゃならないんだよ。それ以上のことは知らないね、奥様」ジェイクスは言った。
「でもこの荷は重いのでしょう?」女性は言った。
「ええ、ええ、重すぎるよ」ジェイクスは言った。「でも俺のせいじゃない。ちょうど出ようとしているときに監督がやってきて、面倒なことになりたくないからって百五十キロほど上乗せしやがったもんだから、俺はできるかぎりさっさとこいつを運ばなくちゃならないんだ」
 ジェイクスはまた鞭を振り上げたが、女性はこう言った。
「どうかやめて。あなたさえ良ければ、私が手を貸せると思うわ」
 ジェイクスは笑った。
「わかるでしょうけど」彼女は言った。「あなたはこの子が全力を出せるようにしてあげていない。頭をこんなふうに止め手綱で引っ張りあげていたら、力を充分に出し切れないの。これを外してあげれば、この子はもっとうまくやれるでしょう――どうかやってみてあげて」説得力のある声だった。「そうしてくれたらとても嬉しいわ」
「へえへえ」ジェイクスはふんと笑いながら言った。「ご婦人の仰せのままにいたしましょう。どれくらい緩めればよろしいので、奥様?」
「完全に。この子に頭を自由にさせてあげて」
 止め手綱を外してもらえたので、僕はすぐに頭を膝のところまで下げた。なんて快適なんだろう! それから僕は頭を何度か上げ下ろしして、強張って痛む首をほぐした。
「かわいそうに! ずっとこうしてほしかったのね」女性はそう言って、手で優しく僕を撫でたり軽く叩いたりした。「あとは、この子に優しく話しかけて行き先を指示してあげれば、この子はさっきよりやれると思うわ」
 ジェイクスは手綱を手に取った。「さあ、黒いの」僕は頭を下げると、すべての体重を首輪にかけ、出し惜しみせずに力を込めた。荷馬車は動き始め、僕はしっかりした足取りで坂を上りきると、足を止めて息を吸った。
 その女性は歩道を歩いたので、道を渡ってこちらへとやってきた。彼女は僕の首を撫でて優しく叩いてくれたが、僕はもうずいぶんそうしてもらっていなかった。
「ほら、この子は機会さえもらえたら、ちゃんとやれるのよ。この子はとても気立てが良いから、以前はとても良いところで飼われていたのは確かでしょう。もう止め手綱を着けたりはしないわよね?」ジェイクスは、坂が終わったらまた着けるつもりだったようだ。
「そうですね、奥様。坂道を上るのに頭を自由にさせたほうがいいというのは否定しませんし、憶えておいてまたそうしようと思います。感謝はしています、奥様。ですが、止め手綱を外しっぱなしにしておいたら、俺は他の連中に笑われます。これがかっこいいんですよ、ご存知でしょうが」
「でも良くないものよ」女性は言った。「良い流行を追うほうが悪いそれを追うよりずっといいでしょう? とてもたくさんの紳士が、今では止め手綱を使っていないの。我が家の馬車を引く馬たちは、それを使わなくなって十五年になるし、つけている馬よりずっと疲れないのよ。それに」彼女はとても真剣な声で付け加えた。「神様のお創りになられた生き物に負荷をかけていいのは、ちゃんとした理由があるときだけよ。私たちは口の利けない動物たちと呼ぶし、実際そうだから、どう感じているかを話すことはできないけど、話せないからといって苦しみが軽くなるわけではないの。でも私は今、あなたを咎めたりはしない。ただありがとうと言いたい、あなたの良い馬に、私の指示を試してくれて。あなたもいずれ、鞭を使うよりこちらのほうがよいとわかるはず。さようなら」もう一度優しく僕の首に触れてから、彼女は軽い足取りで道を去って行き、それきりその姿を見ることはなかった。
「あれぞ、本物の淑女だ。間違いない」ジェイクスは独り言を言った。「俺に対して紳士にするのと同じように、礼儀正しく話しかけてくれたから、試してみる気になったんだ、坂道、どちらにせよ」公正を期すために言っておくと、ジェイクスはそれ以来、僕の手綱を穴数個分緩めてくれるようになり、坂道を上るときは、いつも頭を自由にさせてくれた。だが荷は重いままだった。良い餌と適切な休みがあれば、一日中仕事をしても体力を維持できるが、過剰な荷を運ばされて耐えられる馬はいない。僕もこのせいで完全に調子が落ちてしまったので、僕の代わりをするためにもっと若い馬が購入された。そしてここで、僕を損なった他の要因についても話しておこう。馬たちが話しているのを聞いたことはあったが、自分自身がこの不快な体験をするとは一度も思っていなかった。それは、馬小屋に光がほとんど入って来ないということだ。たったひとつの小さな窓が端っこにあるだけで、結果として馬房はほぼ真っ暗だった。
 この気の滅入るような状況は僕の活気を著しく減退させた上に、視界にも悪い影響を及ぼした。真っ暗な中からいきなり目もくらむような昼の光の中に連れ出されると、目がひどく痛むのだ。僕は何回か敷居のところでつまづいてしまったし、どこに行こうとしているのかもほとんど見えなかった。
 もしここにもっと長くいたら、僕はおそらく視力を半分ほど失うというひどい不運に見舞われていただろう。以前人間たちが話しているのを聞いたのだが、不完全な視力の馬はたいていとても臆病になってしまうので、安全に御すには全盲の馬のほうが良いらしい。しかしながら、僕は視力にずっと残る障害を負う前にそこから連れ出され、大きな辻馬車業者に売られたのだった。
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